第49話 微雨
「はい、どうされました?」
未弥の返事に、こちらに歩いてきた女性が困り顔でビジネスバッグを肩に掛け直しながら口を開いた。
「西園寺メディカルセンターの場所って分かります?パンフレットの地図じゃ分かりにくくて・・・スマホの充電が切れちゃって・・・・・・タクシーも停まって無いし・・・結構大きい施設だって聞いて来たんですけど」
緑に囲まれたメディカルセンターは、この位置からだと見ることは出来ない。
十分徒歩圏内だが、タクシーでやって来る人間は、駅北の大きなロータリーでタクシーを拾ってやって来るので、恐らく彼女は初めてこの駅に降り立って、パンフレットの地図を見て閑散とした駅南に出たためタクシーが見つけられなかったのだろう。
「ここからだと、5、6分で行けますよ。この場所からは分かりにくいんですが」
「ああ良かった・・・」
ホッと胸をなで下ろした彼女にこの先の角を曲がってからの道順を説明しようと方向を示したところで、進行方向からやって来る見慣れた人影に気づいた。
「あれ・・・朝陽!ちょうどよかった」
図書館に来る用事でもあったのか、こちらに歩いて来る朝陽が立ち話をしている三人を目に止めて驚いた顔になる。
彼女の道案内を頼もうとした未弥を制するように、隣に居た女性が急に駆け出した。
「朝陽!!!」
親しげな様子で名前を呼んだ彼女に、朝陽が分かりやすく表情を強張らせる。
面倒臭そうな何とも言えないそれは、ここ最近あまり見ていないものだった。
メディカルセンターに用事があるということは、彼女もエンジニアなのかもしれない。
そして、朝陽の名前を呼ぶくらい親密な関係だった。
そこに加えて朝陽の微妙な表情で、おおかたの予想はついた。
「久しぶりね!元気だった?迎えに来てくれなかったらどうしようかと思ったのよ・・・こんな田舎だなんて・・・西園寺の財力があればもっと立地の良い場所を選べたでしょうに・・・よりによってこんな何もない場所に・・・」
信じられないわと周辺を見回す女性に、瑠璃と未弥の険しい視線が向けられた。
西園寺メディカルセンターの責任者の身内が目の前にいるだなんて気づきもしない彼女が手に持っていた荷物を朝陽に差し出す。
「歩く予定にしてなかったのよ」
「園田、電話は途中で切るなよ」
「充電切れよ仕方ないでしょ。こっちに来るまでずっと仕事してたのよ」
遠慮なしの物言いは、二人の気易い距離感を如実に示していた。
未弥と朝陽の間では絶対に出せない空気感と距離感だ。
未弥は間違いなく朝陽から信用されているし、大事にもされているし、愛されてもいる。
けれど、目の前の女性と朝陽の間にある確固たる信頼感は、逆立ちしたって未弥が貰えないものだ。
色々と複雑な気持ちは込み上げてくるが、朝陽に任せておけば問題ないだろうし、これ以上この場所には居たくない。
いい具合に育ってきた遠山未弥としての自尊心が、園田の出現によって一気に失われてしまった。
何処からどう見ても完璧なキャリアウーマンの園田と、汚れ防止のエプロンを巻き付けた地味な未弥では間違いなく園田に軍配が上がる。
妻です、とここで勇んで参戦する勇気も度胸も、未弥にはない。
「朝陽、じゃあ後はよろしく」
「・・・・・・ああ」
微妙な表情になった未弥を見つめた朝陽が、園田と瑠璃を一瞥した後で諦めたように頷いた。
そんな二人を交互に眺めた園田が、未弥に向かって綺麗にルージュの引かれた唇を持ち上げた。
「ねえ、あなた、気を付けたほうがいいわよぉ。朝陽は魅力的だけど簡単に一番にはして貰えないの。だから、私もずうっと二番手」
「園田余計なこと言うな」
気色ばんだ声を上げた朝陽に続くように、瑠璃がきっと園田を睨みつけて一歩前へ出た。
一気に攻撃的になったお姫様を止める暇もないまま、瑠璃が口を開いた。
「ちょっと不躾じゃありません?」
「あら、でも本当のことだもの。彼の中にはずうっと一番の相手がいるのよ。その人のこと地元に長く囲ってるらしいわ。お墓参りだって言い訳しては毎月のように帰省するんだもの、バレバレでしょ?報われなくてもいいのなら好きでいればいいけど、私はごめんだわ。素敵な人はほかにも沢山いるもの」
「・・・・・・園田」
いよいよ朝陽の声が低くなる。
彼女の言葉が事実かどうかは分からない。
が、確かに朝陽はこまめに帰省していたけれど、お墓参りの後、図書館に顔を出した彼がその後どんなふうに過ごしていたのかは知らない。
朝陽が中学時代までを過ごした地元で、未弥以外に仲の良かった女の子。
学ラン姿の朝陽とセーラー服を着た女の子が脳裏をよぎった。
確かに、あの頃朝陽を好きだった女の子は存在していて、彼女と朝陽の仲を取り持ってやろうと気を利かせた事さえあった。
たしか彼女は県外の大学に進学した後、小学校教諭として地元に戻っているはずだ。
もしも未弥の頭に浮かんだ女の子で間違いないのなら、色々と辻褄が合う気がする。
29年普通に生きて来た彼が未弥のように真っ新なはずがなかった。
もちろん、それらは過去で、いまの朝陽の愛情に疑う余地なんてどこにもないけれど。
それでも、たらればですら胸は軋んで悲鳴を上げる。
未弥は痛む胸を押さえて無意識に口を開いていた。
「昔がどうだったとか・・・それは知らないけど・・・少なくともいまの朝陽は私のもので、私の夫です!」
大声を張り上げた未弥に、朝陽、瑠璃、園田が驚いたように目を見張った。
一番驚いたのは園田だ。
信じられない表情で朝陽を見やって呆然と呟く。
「結婚・・・・・・・・・したの?」
「そうだ」
間髪入れずに頷いた朝陽を睨みつけた園田が、負けるものかと仁王立ちする未弥に視線を戻した。
嘲るように見据えたまま彼女が口を開く。
「じゃあ後でご主人に訊いてみればいいわよ。みやってだあれ?って。上手くはぐらかされるかもしれないけど、寝言でまで名前呼んでたんだから、まず間違いないわ」
「・・・・・・・・・え?」
園田の口から告げられた過去の女の名前に、未弥はぽかんとした。
一瞬真顔になった未弥の表情に気を良くした園田が、スマホでも探ってみれば?とけしかけて来る。
朝陽の一番はずっと前から未弥一人だった。
突然告げられた言葉の衝撃に耐えきれずに後ろ足で下がれば、必死に踏ん張っていた足から力が抜けてふらりとよろめいた。
危ないと思って反対の足を引いた途端、足の裏に違和感を覚えて完全に体勢が崩れる。
情けなくもアスファルトの上に倒れ込んだ未弥に、朝陽と瑠璃が驚いた声を上げた。
「未弥!?」
「未弥さん!?」
二人の呼びかけに、初めて園田が顔色を失くした。
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