第48話 若葉雨

人との出会いは、本のページを捲ってまだ見ぬ新しい世界に飛び込むときと同じくらいの喜びを与えてくれる。


それが、これまで知らなかった世界で生きて来た人なら尚更だ。


生まれてこのかた地元から出たことが無く、超閉鎖的空間を自ら好んで選んで、冒険は二次元のみで十分だと思っていた未弥にとって、瑠璃との出会いは、平民が偶然町で一国のお姫様と巡り合うような奇跡的なものに思えた。


未弥の予感は早々に当たり、あの後数日経って一人でカサブランカにランチに出掛けた時に、同じように店にやって来た瑠璃と再会して、一緒のテーブルでお昼を食べたことをきっかけに二人は一気に仲良くなった。


初めて自ら進んで連絡先の交換を申し出た未弥に、瑠璃は驚いたように目を見張っておたおたと慣れない仕草で最新機種のスマホ取り出して、機械音痴二人が必死にID交換を終えたときにはランチはすっかり冷めてしまっていたけれど、それでも今までで一番美味しいランチだった。


それ以来、瑠璃がアートギャラリーに出勤している日は一緒に待ち合わせてランチを食べたり、彼女が図書館にやって来る機会も増えた。


話の流れで彼女から聖琳女子の卒業生だと聞かされた時の、未弥の興奮ぶりといったら無かった。


聖琳女子といえば、この地方で知らない者はいない超名門の由緒正しきお嬢様学校である。


偏差値はもちろんのこと、入学から卒業まで多額の寄付金が必要になることで知られている女子高に中学から高校卒業まで籍を置いていたという彼女は、どこからどう見ても生粋のお嬢様だった。


言葉遣いがカジュアルになっても箸の持ち方や歩き方、手指の使い方がどこまでもエレガントなのだ。


未弥が一時期大ハマりしていたミッション系名門女子高を舞台にした少女小説を瑠璃も知っていたことで、お互いの持っている本について語り合い、瑠璃の祖母が生前読んでいた大正時代の少女小説を貸して貰えた時には狂喜乱舞した。


年齢は離れていても、一つ共通項があればそんなものは関係なく仲良くなれるのだ。


瑠璃が図書館に足を運ぶようになって、彼女を迎えにやって来た西園寺とも何度か挨拶をしたのだが、その時彼が瑠璃のことを”うちのおひぃさん”と呼ぶことに最高のときめきを覚えて、やっぱり彼女は生粋のお姫様なのだと大興奮した。


瑠璃の口から語られる聖琳女子時代の生活は、地元の公立校を卒業した未弥には完全に別世界でそれがまた最高に楽しかった。


次代を遡れば皇族に嫁ぐお嬢様も通っていたくらいの女学校である。


制服と名前しか知らない未弥にとって秘密の花園の昔話は、どんな御伽噺よりも刺激的で魅力的だった。


だから、いきなり夢から現実に突き落とされた瞬間、身体が反応出来なかったのだ。







・・・・・・






「西園寺さんに絶対気を遣わせたと思うのよ・・・だから、お土産の頭数にはもう入れないでって瑠璃ちゃんからお願いしておいてね」


ちょうど休憩に入るタイミングで図書館にやって来た瑠璃を、敷地の外まで見送りながら、受け取った高級チョコレートの紙袋を仰々しく捧げ持ちながら未弥は恐縮しきって言った。


国内外への出張が多い彼が、結婚間近の婚約者に大量のお土産を持ち帰るのは分かるし、西園寺メディカルセンターの社員にお土産を配るのも分かる。


が、瑠璃のお友達という肩書しか持たない未弥に、明らかに数千円は下らない限定品の高級チョコレートをお土産として用意するのはさすがにやりすぎだし、こちらとしても申し訳なくなってしまう。


西園寺と瑠璃の金銭感覚が、未弥や朝陽と大きく異なっている事は重々承知しているが、それにしても夫婦二人で食べきれない位の大箱をありがとう、の一言で受け取る訳にはいかない。


未弥の言葉に瑠璃はそうよねと肩を竦めた後で、しょげたように綺麗なかんばせに憂いを乗せた。


「緒巳は、人にものをあげるのが好きなの。それに・・・・・・こっちに来て、その・・・私が友達を作ったのが・・・初めてだから・・・・・・色々と世話を焼きたいんだと思うの・・・だから・・・」


物凄く言い難そうに頬を染めて言葉を紡ぐ瑠璃に、みなまで言わせられるわけがないと、気付けば言葉を制していた。


「待って、分かった!すんごい有難い。全力で頂くわ」


未弥以上に社交的ではない瑠璃の口から発せられた友達発言に、一気に胸に誇らしさが広がった。


いうなればこれは、マリーアントワネットと善良バージョンのポリニャック伯爵夫人じゃないか。


ええもちろん喜んでこのお姫様を守り導き慕ってみせましょうと謎の使命感に駆られる。


何度も頷いて胸を張る未弥に、瑠璃がほっとしたように花のかんばせを取り戻した。


小さく微笑んでこちらを見つめて来る様は、同性でもちょっとドキドキして倒錯的な気分になってしまう。


「良かった。緒巳も私もそのほうが嬉しい・・・・・・お土産ってね、渡したい相手がいないと買えないでしょ?だから、未弥さんに何かを贈れるのはすごく嬉しいの」


彼女が複雑な家庭事情を抱えていることは何となく察していたけれど、瑠璃の一言で覚悟が決まった。


西園寺の妻の友人だと胸を張る勇気は無いが、彼女たちが向けてくれる厚意は全力で受け取るのがベストだ。


だって未弥にとっても瑠璃との出会いはある意味奇跡的なものだったから。


朝陽と結婚していなかったら、絶対に縁続きにならなかった二人なのだ。


結婚は人生を変える、というのは、あながち嘘ではないのだろう。


そして、朝陽の手を取ってから未弥に訪れた変化は、どれも幸せなものばかりだった。


「ありがとう。あの・・・西園寺さんにもお礼伝えてね」


「うん。ちゃんと伝えておく。あとね、実は、未弥さんにお願いがあって・・・」


「うん、なになに?」


「この間貸してくれた漫画ね、面白かったから続き読みたいなって」


何とも嬉しいお願いに、反射的に頷いていた。


「ほんとに!?勿論持って来るわ!とうとう瑠璃ちゃんも少年漫画の世界に進出だね」


漫画は子供の頃にちょっと読んだだけ、という瑠璃に新たな世界を見せられたことが何よりも嬉しい。


当然血みどろビシャア!な作品はお勧めしていないので、西園寺の検閲が入っても問題は無いはずだ。


ありがとうと頷く瑠璃とひとしきり笑い合って、じゃあね、と言おうとした矢先。


「あのう・・・・・・すみません・・・」


駅方面からこちらに歩いて来たスーツ姿の女性が声を掛けて来た。


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