第33話 栗花落

認めたくはないけれど、あれもお酒の失敗になるのかもしれない。


けれど、許されるなら言い訳させて頂きたい。


私だって緊張していたんです!!!!!






恋愛経験のある朝陽とは違って、未弥が持っているのは3年分多い本で得た知識だけ。


学生時代から、読書好きだった未弥は、中学高校と文芸部で、当然友達もインドア派ばかり。


高校生の男女交際なんて漫画と小説の中だけよ!を地で行くタイプだったので、当然色んな経験も遅かった。


そして、それらを友人に語って聞かせるタイプは一人もいなかった。


そんな友人たちもみんな人妻になったり母親になったりしていて、未弥がこの手の話題を振れる相手は身近に存在していない。


だから、夫婦生活については朝陽任せ。


そんな朝陽も未弥のまっさらな恋愛遍歴を知っているので、迂闊に手を出すようなことはしてこない。


たぶん、彼もよく分かっているのだ、最初が肝心だと。


だから、ちゃんと未弥に自室を与えてくれた。


一足飛びの夫婦生活を要求しているわけではない、というその態度と気遣いは未弥の気持ちを優先させる朝陽の優しさそのもの。


そこに甘えてしまっている自覚があったから、ほんのちょっと勇気を出してみたのだ。


お酒の力を借りて。





潜り込んで来た熱い舌が、遠慮なしに舌の付け根を扱いてきて、パチパチと快感が弾けて息を飲んだらまたキスが深くなって、自分が起きているのか寝転んでいるのかも分からなくなって、気付けば頬に朝陽の手のひらが触れていた。


優しく親指の腹で頬を撫でられて、ぞわぞわと込み上げてくるのが愉悦だと気づいて、このままでいいんだっけ、駄目なんだっけとぼんやり考えている間にまたキスされた。


緩んでいく思考は、身体も弛緩させていって、吐いた吐息の熱さが、お酒のせいなのかそれとも別の熱によるものなのかわからなくなる。


朝陽の指先はどこまでも優しくて、愛おしげに肌を撫でられるたび、唇の隙間から勝手に声が漏れた。


鼻にかかったその声は明らかに濡れていて、自分の身体が自分の知らない変化を起こしているんだと気づいた瞬間、ぷつりと意識が途切れた。


そうして次に目を覚ましたら、ちゃんと和室の布団の上で眠っていた。


なんかとんでもなく破廉恥な夢を見たなと恥ずかしくなりながら、アラームが鳴るまでゴロゴロしようと、もう一度布団に潜り込もうとしたら、部屋に差し込む朝日に照らされた自分の胸元の異変に気づいた。


経験が無くても知識だけはあったので、それがなにかすぐに理解した。


浮かんだのは、短い一言。


『え、したの?』


だった。


初体験を終えたにしては、どこにも違和感が残っていない。


もうちょっと余韻やら名残やらがあるはずなのに、小説では!!!


それでもキスマークとはっきりわかる赤い痣は、間違いなく昨夜朝陽が未弥に残したものだ。


痛くないとかそんなことほんとにあんの?


ぼやけた頭で自分が未だ処女なのか確かめそうになって、いやいやいやと慌てて飛び起きる。


確かめるってどうやってよ馬鹿か。


枕もとのスマホを見ると、7時前で、間もなく未弥のアラームが鳴る時間だ。


大抵先に起きた朝陽がキッチンに立っているのに、彼の姿は無いし、すぐ前のリビングはもぬけの殻。


珍しくまだ眠っているのだろうかと思いながら、布団から出て、ベランダに続く掃き出し窓のカーテンを開けると、見慣れた紫煙が視界を過った。


ベランダで一服中だったらしい。


彼がちゃんとこの家に居てくれたことにホッとして、ゆっくり窓を開ける。


ひんやりとした朝の空気は、ふやけきった頭を正常値に引き戻すにはちょうど良い。


「朝陽ぃ、おはよ」


気まずくなる前に先に声を掛ければ、咥え煙草の彼がこちらを振り向いた。


「あれ、もうそんな時間?」


「いつからここにいんの?」


「さー・・・・・・あんま覚えてねぇな・・・お前、上・・・・・・・・・」


ベランダに出るなら上着を羽織れと口を酸っぱくして言われているのだけれど、今朝もうっかりしてしまっていた。


視線を下げた朝陽が慌てて自分が着ていたパーカーを脱いだ。


手招きされて歩み寄れば、煙草を灰皿に押し付けた彼が脱ぎたてのそれで未弥の身体を包みこむ。


袖を通す前に、朝陽の腕が背中に回された。


こてんと肩に額を預けて、朝陽が短く呟く。


「ごめん」


弱り切った声の謝罪を聞くのは初めてだ。


いや、でもこの場合ごめんはたぶん。


「言うの、私、だよねぇ・・・・・・ちょっと、まあ、あの、うん、酔ってて」


「酔ってるの知ってて付け込んだ・・・・・・だからごめん」


「ああー・・・・・・うん、でも、あんまり覚えてないし、水に流す」


「流すな。これからもあるから」


夫婦なのだから、当然いつかはそういうこともするわけで。


きっぱりと言い返されて胸の奥がきゅうっとなる。


「そ、そうね」


「見えるとこには付けてないと思うけど、今日は服気を付けて」


「え、ここだけでしょ?」


パジャマの襟元から覗く赤い痕をトントンと指させば、顔を上げた朝陽がばつが悪そうに晴れた青空を見上げた。


「え!?まじで!?ど、どこに!?」


腕か、足かそれとも、と慌てる未弥に、朝陽が視線を戻すことなく応える。


「何処って・・・・・・色々」


「・・・・・・・・・・・・待って、もしかして私たち・・・・・・・・・」


奇跡的に記憶にも残らない痛くない初夜を終えたパターンだろうかと恐る恐る切り出せば。


「してねぇわ。お前が途中で寝たんだよ」


あっさりと真実を告げられて、がっかりしたような、ホッとしたような、何とも言えない気持ちになる。


「・・・・・・・・・・・・まじか」


まあ別に焦ってないし、こちらとしてはと肩の力を抜けば、朝陽が苦い顔のままぼやいた。


「まじで・・・・・・・・・おかげで俺は朝方まで・・・・・・・・・・・・いいから、ほら支度しろ。朝飯面倒だから、カサブランカ行こう」


カサブランカのモーニングはあまり知られていないが安くて美味しいのだ。


この話はこれ以上続けないほうがお互いの為らしいと賢明な判断をする。


「わ、分かった・・・・・・」


「俺、今日は終日研究所ラボな。夜遅くなりそうなら早めに連絡するから」


「はーい・・・・・・・・・あのさ、朝陽」


頷いて戻りかけて、でも言っとかないとなと思って振り返る。


「ん?」


だって二人は納得したうえで婚姻届を提出した夫婦なのだから。


「い、嫌じゃ、なかったよ」


これだけ言えば十分だろうと大急ぎで和室に飛び込んで、カーテンを閉める。


パジャマのボタンを外して、ふと気になって姿見の前に立って見たら、脇腹や背中にもキスの痕が残っていて、何をどこまでやったの!?と思わず叫びそうになった。

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