第28話 卯の花腐し
14歳で自覚した初恋、ということは、一番多感な思春期のほぼすべてを、未弥がかっさらってしまったことになる。
朝陽が14歳の時、未弥は17歳で、当然朝陽のことは異性の枠に入れていなかった。
同世代の男の子や、テレビのアイドルグループに当たり前のように惹かれたし、朝陽から向けられる生意気な視線が恋心の裏返しだなんて、微塵も気づいていなかった。
いや、それは今もそうなのだけれど。
未弥が朝陽に声を掛けたきっかけは、母親の一言だった。
『うちの老人ホームにデイサービスで来られてるおばあちゃんね、お孫さんがあんたと同じ小学校なのよ』
この辺りの小学校は一つしかないし、老人ホームも一つしかない。
第二老人ホームは近々建設予定だが、この町の老人のほとんどが一か所に集まっているのだからまあ当然そういうこともあるだろう。
だから、最初に未弥が返した返事は素っ気ないものだった。
『ふーん』
『そのお孫さんね、お父さんとお母さんを亡くしてるのよ。今はおばあちゃんに引き取られて二人暮らしなんですって。だから、お家帰っても未弥と同じひとりぼっちなのよ』
『・・・・・・そう・・・なんだ』
母子家庭で育ったクラスメイトは他にもいるけれど、両親を共に失くしている子供には会った事が無い。
年老いた祖母と二人暮らしのその子のことが、急に気になった。
『未弥の3つ下らしいから、今度うちのホームで見かけた時は、声をかけてあげてね』
『そんなちっさいの!?』
小学2年生で両親が既に他界しているなんて、さっぱり想像できない。
未弥とっては母親が世界の全てだ。
父親も母親もいなくなって、祖母しか頼る人が居ない心細さは、何となく子供でも理解できた。
『うん。だから、気にかけてくれると母さん嬉しいな』
『・・・分かった』
この話を聞いた後だったから、その後出会った朝陽に対する未弥の庇護欲はそれはもう凄まじいものだった。
小学校の帰り道、老人ホームに立ち寄る後ろ姿を見かけてからは、積極的に教室まで迎えに行くようにして、時にはホームの片隅で一緒に宿題を見てやった。
最初こそ大人しく言われるがままだった朝陽が、どんどん生意気になって行って、けれど、その姿を見る朝陽の祖母の顔がなんとも嬉しそうで、だから未弥も強く叱ることが出来なかった。
ずっと祖母と二人暮らしで、気を張っていたのだろう。
不安や怒りを誰にもぶつけることが出来ずに居た朝陽にとって、未弥は友達でも母親でもない距離で付き合える遠慮の要らない存在になった。
成長するごとに可愛げは無くなって行ったし、時にはこちらが言いくるめられることも出て来て、油断ならないなと思い始めた頃、未弥は中学生になった。
それでも朝陽への心配は絶えなくて、中学校と小学校が近距離だったせいもあって、しょっちゅう小学校まで迎えに行った。
なんで来るんだよ!と怒鳴りつけられるたび、腹立たしさも覚えたけれど、借りてきた猫のように未弥の言う事を聞いていた頃の朝陽よりはずっといいなと思えた。
これからずっと、どれだけお互いが大人になっても、こういう距離で一緒に居られるものだと本気で思っていたのだ。
未弥は、朝陽がもしも彼女を連れて地元に戻って来たら、どうぞうちの朝陽をよろしくと母親代わりに挨拶をする気満々だったし、朝陽がこの先関東に根を下ろして、地元に戻ってくることが無くても、変わらず祖母のお墓を見て行くつもりにしていた。
だってもう、ほとんど家族同然だったから。
だから、その気持ちをただただ真っ直ぐ伝えれば、彼は喜ぶと思って、あの春の日あんな発言をしてしまったのだ。
他意なんてこれっぽちもなかった。
純粋に、朝陽には帰る家があるのだと伝えたかったのだ。
あの日彼が怒ったのは、母親という唯一無二の家族がいる未弥が、上から目線で言葉を発したからではなかった。
自分が好きだった相手から、見当違いの励ましを投げられたから、怒ったのだ。
・・・・・・・・・・
「はい。間違いなくお預かりします!ご結婚おめでとうございます!!!」
「いやあーあの西園寺さんが証人になるなんて・・・・・・こんなめでたいことはないですよ!」
「間違いなく幸せが約束されてますね~!」
「どうか末永くお幸せに!」
受理した婚姻届を代わる代わる眺めながら、口々に祝福の言葉を口にする役所の職員にどうにか愛想笑いを返して、よろしくお願いします、と頭を下げて逃げるようにフロアから出る。
席にいた職員の拍手で見送られる新婚夫婦なんてほかにはいないはずだ。
役所の建物を出て、やっと息を吐くことが出来た。
「死ぬほど恥ずかしかった・・・・・・ねえ、結婚する夫婦ってみんなこんな感じなの!?」
「結婚した、夫婦な。いや、俺らだけだろ・・・すげぇ注目集めたな・・・」
「あんたが西園寺さんに署名頼んだりするから!」
「こうでもしねぇと結婚してくれなかったくせに」
不貞腐れるように言われて、終わったことをグチグチ言うなと朝陽を振り返る。
「もうしたからいいでしょ!」
朝陽の説得と、印籠のように差し出された婚姻届に折れる形で、新たな人生の門出を迎えることになった未弥は、たったいま大上未弥から遠山未弥になった。
戸籍上配偶者となった朝陽は、未弥の言葉に大きく頷く。
「・・・・・・・・・うん、もうした。っはー・・・・・・・・・長かったぁー・・・・・・・・・」
背後から回された腕に抱きすくめられて、立ち止まることを余儀なくされた未弥は、途端悲鳴を上げた。
「お、重いから!!もう昔みたいにあんたのこと背負ったり出来ないんだからね!」
「して欲しいと思ってねぇわ・・・・・・」
「え、一応夫婦になったのに?」
これでも一応病める時も健やかなる時も支え合うつもりにしているのだが。
思わず疑問を口にすれば、朝陽が首筋に頬を擦りつけて来た。
こういうスキンシップは、夫婦なのだから当然なのだろうけれど、急に変わった距離感にすぐに順応なんて出来るはずもない。
それでも不思議と居心地が悪くないのは、やっぱり幼馴染のなせる業なのだろうか。
「これからは、俺がお前のこと背負ってくよ」
「・・・・・・・・・それは・・・・・・うん・・・・・・ありがとう・・・・・・あのさ、私も、形はアレだったけど・・・・・・これから一緒に暮らしてくなかで、朝陽のことを幸せにしたいと思ってるので・・・・・・ええっと・・・・・・長い目で見てくれると・・・嬉しいというか」
一応妻として努力するつもりがあることだけは伝えておかなくてはと言葉を紡げば、朝陽が頬に唇を寄せて囁いた。
「・・・・・・いいよ。気長に俺の事幸せにしてよ」
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