第27話 催花雨

「あ、あんたいったいいつから私のこと・・・・・・・・・」


まさか自分が朝陽にこんな質問を投げる日が来るなんて。


二人の間で絶対に出て来ない単語ランキング上位に入っている言葉がポンポン飛び出して、もう何が何だかわからない。


悲しいかな朝陽から身内としての親愛以上の感情を感じ取れたことなんて一度もなかった。


むしろ鬱陶しがられていた時期のほうが多い気がする。


それがどうしていきなり結婚!?


唐突過ぎるプロポーズに真っ白になった頭を抱えて質問を投げれば、珍しく朝陽が照れたように視線を揺らした。


「・・・・・・・・・いま言うのそれ?」


「だ、だって思い付きじゃないってなら・・・・・・ま、前から・・・・・・そういう・・・」


荒唐無稽過ぎるさっきの発言が、勢いでも思い付きでもないというのなら、彼はそれなりの時間未弥に焦がれていたことになる。


ちっともさっぱりそんな素振りは見せなかったくせに。


自分という存在が、西園寺のヘッドハンティングを受ける決断までさせたなんて。


わざわざ大学卒業してからずっと暮らして来た土地を離れて地元に戻って転職までして?


大上未弥には、そんな価値があるのだろうか。


どこにでもいる本好きのただの地味な司書なのに。


「ちゃんと自覚したのは・・・・・・14・・・かな・・・・・・」


顎に手を当てながらつぶやいた彼の言葉に顎が外れそうになった。


「はあ!?ななななに人生半分遡ってんのよ!?正気!?」


朝陽は現在29歳なので、かれこれ人生の半分未弥に心を寄せていた事になる。


駄目だ、さすがにこの現実は受け止めきれない。


「俺も自分の正気を疑った。相手お前だし」


「でもあんた彼女居たでしょ!?」


「いたよ。他の人とも付き合ったし、ちゃんと先の事も考えるつもりでいた、でも出来なかった。なんで出来ないのかって考えたら、真っ先に未弥の顔が浮かんだ。結局俺はずーっと馬鹿の一つ覚えでお前のことばっか好きだったんだなって思ったら、なんか無性に腹立って・・・」


「腹立つの!?」


ついさっきプロポーズされたはずなのだが、どうして数分のうちにこんな愚痴っぽい話になっているのか。


しかも朝陽が心底悔しそうなのがどうにも解せない。


もっとこう、ドラマティックとまではいかなくても、雰囲気のあるプロポーズがあるはずなのに。


とそこまで考えて、いやいやいや、うちらの間で雰囲気とかそんな、と慌てて目覚めかけた乙女回路を押し込める。


そうじゃない、いま大事なのはそれじゃない。


いい具合に混乱した頭をどうにかしたいが、その前に朝陽が続きの言葉を口にする。


「俺の気持ちはずっとお前のとこにあるから、他の未来は選べそうにねぇわ」


それはこの先の人生を悟り切ったような静かな声だった。


課せられた責任の大きさに足がすくみそうになる。


「ちょ、で、でも、あんたまだ二十代だし」


この先いくらだって良妻賢母と巡り合えるチャンスはある。


水谷がファンを公言するくらい見た目だっていいのだし、研究者という立派な職業にもついている彼は、いまや最優良物件だ。


なにも年増の本の虫である幼馴染を引き受ける必要は無い。


「もうすぐ三十だけどな」


「でも私より若いじゃん!」


「でも俺の人生半分未弥で埋め尽くされてきたから、これからもずっと変わんねぇよ」


「言い切れるの!?」


「言い切れるからわざわざこっちにファミリー向けのマンション用意してるんだろ。お前のこと吹っ切れてたら、とっくの昔に関東で家買って適当な相手見つけて結婚してるわ」


「・・・・・・た、たしかに」


そのセリフは物凄く説得力があった。


朝陽が就職していた企業は、創業年数こそ若いけれど、この先の成長が見込まれている優良企業だった。


開発分野でも多くの功績を上げており、若いエンジニアを多く育成していた。


まさに朝陽にはぴったりな会社だったと思う。


未弥の記憶が正しければ、社内恋愛だってしていたはずだ。


それでも、朝陽はこっちに戻って来て未弥の側にいることを選んだ。


「で、納得した?」


「納得っていうか・・・・・・いや、もうあんまり頭回ってないんだけど・・・・・・とりあえず、あんたが私を好きなことは、まあ、うん、わかった」


「じゃあ俺の家族になってよ」


「・・・・・・・・・家族・・・」


「俺をこのままずっと一人にすんなよ」


こうして改めて言葉にするとずしんと重たい。


もうこの世界に朝陽の家族と呼べる誰かは存在しないのだ。


そりゃあお墓参りに行けばいつだって優しかった朝陽の祖母には会えるけれど、こうやって視線を合わせたり、ぬくもりを感じたりすることは、出来ない。


思えば、これは朝陽が未弥にする初めてのお願いだった。


そして、結婚して、と言われるよりも、家族になって、という台詞は、今の未弥の気持ちにかなり寄り添ってくれた。


まともな恋愛すらしたことのない未弥にとって、結婚とか夫婦とかは、まったく別次元の別世界の出来事で、ちっともピンと来ない。


けれど、家族と言われれば、不思議なくらい色々としっくりくる。


未弥の心が揺れたことに気づいたのだろう、朝陽がテレビボードの抽斗から、一通の茶封筒を取り出した。


「はい、開けてみて」


「これ、なに?」


「俺もさぁ、お前との付き合い長いから、どうやったら了承して貰えるか、ちゃんとわかってんだよ」


これだけ一緒に居れば、お互いの性格や思考は手に取るように理解することができる。


二の足を踏む未弥を頷かせるために、朝陽はとっておきの秘密兵器を用意していたらしい。


未弥の数倍頭の回転が速い朝陽のすることなんて想像もつかない。


リーサルウェポン恐ろしすぎる。


「え、なにそれ、どういう・・・・・・・・・」


「お願いが駄目だった場合は、袋小路作戦で行こうと思って、念の為用意しといたんだけど・・・・・・あんまこっちには頼りたくなかったんだけど・・・・・・・・・未弥の気持ちがグラグラして、やっぱり幼馴染継続で!ってなるほうが怖いから、書いてもらった」


まあ、あるほうが安心だよな、と朝陽が独り言ちる。


「・・・・・・・・・は?」


取り出した書類をすべて広げて、朝陽が静かに言った。


「これでもう、迷ってられないだろ?」


そこに入っていたのは、記入済みの婚姻届だった。


未弥の母親にはすでに事前承諾を得ていて、未弥がプロポーズを受け入れたのならばすぐに一緒に暮らし始めて問題ないとまで言っているらしい。


お荷物な一人娘が片付くことにホッとしたのか、すでに証人欄には母親の署名捺印が入っている。


その上朝陽の証人欄には恐ろしいことに西園寺の名前と捺印が押されてあった。


用意周到過ぎる。


「なんで西園寺さん!?」


「今後の予定訊かれたから、こっち戻ったら結婚するって答えたら喜んで書いてくれたよ。この町の大地主が証人になってくれる夫婦なんて滅多にいないだろうな」


これを役所に提出すれば、間違いなく西園寺がご縁を見届けた夫婦として騒がれるだろう。


当然この町で生きて居る限り、離婚なんて出来るはずもない。


「こうする予定で、荷物も少なめにした。どうせなら、二人で家具選びたかったし。長く使うものはとくに」


気に入った家具に囲まれて暮らしたいだろ?と当たり前のように言われて、普通にこの家で暮らしている自分の姿が見えそうになって、慌てて我に返った。


「後さ、西園寺さんがお祝儀代わりだってテタンジェと、コレ、持たせてくれた。俺は興味ないけど、未弥は多分、こういうの好きだろ?」


茶封筒に最後まで残っていた厚紙に挟まれた書類を取り出して、朝陽が未弥に差し出す。


上質な厚紙を捲ると、そこには鑑定書と書いてあった。


「西園寺さんの家系って、易者とからしいわ。今でも現役の人が居るらしくて、相性見て貰ってくれた。その上で、婚姻届に署名してくれたんだから、まあお墨付き貰ったと思っていんじゃない?」


目に見えるものしか基本的に信用しない理系の朝陽はさして興味を持っていなかったようだが、文系の未弥は相性診断に物凄く興味があった。


その昔、学生時代に好きになったアイドルと自分の相性診断をして、その結果にげっそりして以来の相性診断かもしれない。


食い入るように見つめた相性診断の結果は、物凄く良かった。


お互いを尊重し慈しみあう夫婦になることでさらなる人生の飛躍と展望が約束されている、と書かれた一文に、ほうっと息を吐く。


多分、いま、朝陽から差し伸べられている手を取らなかったら、自分は一生一人ぼっちだ。


だってそこに不便も不満も感じていないから。


自分以外の誰かと生活を共にするなんて、ちょっと想像もつかない。


けれど、もしも誰かと一緒に暮らすなら、その相手は朝陽が良いような気もする。


ここまで自分のことを理解して一緒にいてくれる相手は、そう簡単には見つけられない。


「・・・・・・・・・お、おんなじ気持ちを・・・すぐには、返せない、と思う」


「それは俺も分かってる。だから、形から入ろうって提案」


「これほとんど脅しでしょ!?」


「だってこうでもしねぇと、お前俺の事視界に入れてくれないだろ」


何とも失礼な物言いに、未弥は全力で言い返した。


「昔からちゃんと入ってるわ!」

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