第15話 黒雨

朝陽の祖母が最期の時間を過ごした老人ホームは、西園寺がこの町で最初に作った老人ホームだった。


過疎化が進み、若い世代が地元を離れ、一人残った老人たちが憩える場所になれば、と作られたそこは、未弥と朝陽の自宅からもほど近い場所にあって、最初はデイサービスの利用をしていた祖母を小学校の帰りに迎えに行って、一緒に自宅まで戻るのが常だった。


未弥は母親が老人ホームで働いていることもあって、しょっちゅう老人ホームにも朝陽の教室にも顔を出していた。


母子家庭の自分と、祖母と二人暮らしの朝陽をどこか重ねて見ていたのだろう。


そのうち未弥が教室まで迎えに来るようになって、それを朝陽が恥ずかしがるようになった頃には未弥は一足早く中学生になって、今度はセーラー服で校門前で待ち伏せするようになった。


それはそれで恥ずかしくて、ランドセルを未弥に預けて友達と遊びに行ったこともあったし、迎えに来た未弥を無視してグラウンドで遊び続けたこともあった。


そのたび未弥は呆れた声で朝陽の名前を呼んで、朝陽がいつまでも来ないことに諦めると先に帰って行った。


彼女を困らせることで、名前を呼んでもらいたかったのだと、今ならわかる。


祖母は言葉数が多い方では無かったし、耳も遠くなっていたので、家での会話はあまり無くて、だから未弥のよく通る声で呼ばれると、嬉しかったのだ。


実家は手放してしまったけれど、祖母との思い出のほとんどは、この老人ホームに残っているので、ある意味ではここが大上家に続いて第二の自宅なのかもしれない。


建設中のメディカルセンターを研究所ラボに入社予定のエンジニアたちと見に行った帰り、駅に向かう彼らに別れを告げて、図書館ではなくて、こっちに立ち寄ったのは、会いたい人物が居たからだ。


今のところ一番緊張する相手でもある。


施錠済みの自動ドアの前でインターホンを鳴らすと、聞き慣れた返事が聞こえた。


「おばさん、久しぶり。朝陽です」


「あら!お帰りー朝陽くん、すぐドア開けるわねー」


入居者が誤って外に出てしまったり、外部からの侵入者を防ぐために、常に施錠されている自動ドアの開閉ボタンを操作する音がして、中から未弥の母親が出て来た。


「おかえり」


「・・・・・・ただいま」


老人ホームに顔を出すたび、いつも彼女はそう言って朝陽を迎えてくれる。


それは祖母が生きていた頃から変わらない。


照れ臭い気持ちで返事をして、ケアマネジャーの仕事の手隙時間を伺おうとしたら、先手を打たれた。


「未弥に聞いたわよー。こっち戻ってくるんだってね。あんたはずっと関東に骨埋めるつもりかと思ってたけど・・・・・・まあ、なんとなくわかるわ」


意味深に向けられた視線に、知らずに背筋が伸びた。


生まれ育った地元に戻りたいと思うには若すぎる年齢だし、すでに家を手放した朝陽が地元にこだわる理由は無い。


希望大学を選んだ時点で、こっちに戻るつもりは無かったし、働き始めてからもその気持ちはずっと変わらなかったのだ。


未弥に拗らせた初恋が再燃するまでは。


「おばさん、いま時間ある?」


「うん。ちょうど事務所戻ったところだし、あるわよー。なーに?人生相談?」


「・・・・・・・・・これからのこと、話したいんだけど」


改まってそう告げると、未弥の母親はいつも案内してくれる事務所の奥のソファーではなくて、入居者の家族と面談を行う談話室へ朝陽を通してくれた。


「西園寺メディカルセンターに勤めるって聞いたけど?ヘッドハンティングだって、未弥が自分のことみたいにはしゃいでたわよ」


「うん。有難い条件で呼んでもらえたから、助かってる。俺も、こっちに戻ってきたいと思ってたから」


「そうなのね。未弥が、やっぱり家は残しておくべきだったんじゃないかってぶつくさ言っていたけど・・・・・・」


「それは俺も言われた」


けれど現実問題、全寮制の高校に入った朝陽に、家を管理する力も財力も無かったし、両親と祖母の残した遺産プラス、家の売却費用を朝陽の大学までの資金としてくれた叔母夫婦の意向に沿う以外の選択肢は無かった。


おかげで希望の大学に入れて、希望の会社に就職することも出来た。


たぶん、亡くなった祖母もこの結果に満足してくれていると思う。


「でも、俺は正直家にはあんまり拘りはなくて・・・・・・あの家はばあちゃんが住んでた大事な家だけど、俺にとっては仮住まいっていうか・・・・・・」


両親が亡くなってから、行き場のない朝陽を引き取ってくれた祖母には心底感謝している。


あの家に迎えて貰えなければ、未弥と出会えなかったから。


「まあ、家出てからのほうが長いもんねぇ」


「だから、俺もいつかちゃんと自分だけの家を持ちたいなと思ってて・・・・・・」


「うん。いいと思うわ。それがこの町なら私も嬉しいし、おばあちゃんもきっと・・・・・・」


ここで一緒に過ごした時間を懐かしむように目を細める未弥の母親に、覚悟を決めて向き直る。


「おばさん、俺、自分の家には未弥に居て貰いたいんだ」


「・・・・・・・・・・・・・・・え、あんたたち、付き合ってるの!?」


心底驚愕の表情が返って来て、まあそうなるよなと納得した。


だっていまだにあの頃から一ミリも二人の関係は前進していないのだから。


「付き合ってないし、未弥には何も言ってない」


「・・・・・・・・・ああ・・・・・・そう。こっち離れてもうちの娘が忘れられなかったのね」


「・・・・・・まあ、うん。だから、帰って来ることにした。どうせすぐバレるから言うけど、俺は未弥と付き合いたいんじゃなくて、結婚したいんだ。俺の家族になって欲しいと思ってる」


「うん・・・それはよーくわかった。で?」


「結婚するつもりで、ファミリー向けマンションの社宅申請を通して貰ってる」


「なるほど、それが朝陽くんの覚悟ね」


「うん。一筋縄ではいかないとも思ってるし、時間も掛かると思ってる。でも、これ以外の方法が見つからないから、多少強引でも多めに見てください。絶対泣かせないから」


「言ったわね。男に二言は無いね?」


「あったら先におばさんのとこには来ねぇよ」


どれだけの覚悟でここまでやって来たと思っているのか。


「おばあちゃんのところには行った?」


「おばさんが許してくれたら、行ってくるよ。先におばさんに話し通すのが礼儀だし」


「・・・・・・・・・そうねぇー・・・・・・あの子多分このまま行ったらずうっと一人だろうし・・・私が死んだあと面倒見てくれるのが、朝陽くんなら・・・・・・・・・うん。悪くないわね」


「じゃあ、未弥との結婚認めてくれる?」


「いいでしょう。ただし、私はあくまで傍観者だからね。あんたの味方も未弥の味方もしないわよ。あんたたちもいい大人なんだから、自分たちでどうにかしなさい。でも、うちの子絶対傷つけないでよね」


言われるまでもない。


搦め手は取っても、未弥を泣かせる未来は天地がひっくり返っても選べないのだ、昔から。


静かに頷いたら、未弥の母親が、じゃあ、しっかりやんなさい、と笑ってくれた。




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