第13話 紅雨
西園寺グループの役員が会社見学に来ているという話は、昼すぎの食堂で聞いていた。
不動産業から始まった西園寺の歴史は古く、最近ではM&Aで興した西園寺製薬の売上が好調だ。
母体である西園寺不動産には土地と資産が余るほどあるので、経営難の心配もない。
ああいう企業で開発を行えたら、毎年予算編成に頭を悩ませることもないんだろう。
西園寺が今度は機器開発に力を入れるのだろうかと勝手な予想を立てながら、仕事に戻ったところで、VIP向けの応接室に呼ばれた。
現在進行中のプロジェクトの概要説明のためだ。
当然社外秘の内容も多いため、さわりだけをざっと説明して、残り時間は見せられる範囲のフロア見学で穴埋めをする。
開発部門に興味を示した西園寺は、社外秘だらけの朝陽の説明にも満足そうに頷いていた。
手渡された彼の名刺に書かれているのは、西園寺不動産の営業企画部本部長の肩書。
西園寺家の当主である西園寺緒巳は、地元の大地主として、行政に顔を出して企業とのパイプ役を担うことが多い。
確か未弥の少し年上だったはずの彼は、二十代半ばで西園寺家当主の座に付き、以降西園寺の顔役として方々で知られることになった。
地元の新聞ではしょっちゅうインタビュー記事が掲載されており、イベント事には必ず来賓として彼もしくは名代が呼ばれる。
片田舎の地方都市のちょっとした有名人だった。
そんな彼が、手渡した名刺を指さして、小さく呟いた。
『空いてる時に、連絡貰えます?』
どういう意味だと思ってそっと名刺を裏向ければ、そこには個人のものと思われる携帯番号が記されていた。
西園寺の当主がわざわざ一技術者である朝陽にコンタクトを取ってくる理由が分からない。
もしやどこかから地元が同じであることを嗅ぎつけたのだろうか。
地元談議目的で渡されたにしては重たすぎる名刺の番号に連絡を入れたのは、これで西園寺との繋がりが生まれれば、未弥の側でいまの自分の知識を生かした仕事にありつけるかもしれないと思ったからだ。
そして、それは、予想もしない結果を生んだ。
・・・・・・・・・・・・・
新幹線の到着駅に直結したターミナルホテルのラウンジに現れた西園寺は、簡単な挨拶と自己紹介の後で、こう言った。
「今度、うちで設立予定のメディカルセンターでロボット開発せぇへん?」
「・・・・・・は?設立予定って・・・・・・どこですか?」
「西園寺のもんは、西園寺に、がモットーのうちやから、当然地元。ほら、もともと図書館が入っとった公民館の跡地分かる?あっこと裏の空き地の敷地全部使て、メディカルセンター作るねん。ロボット開発、新薬開発を主軸にして、医療機器開発や設備開発もして行きたいと思うとるんよ。うちの町な、近々行政と連携して医療都市推進を勧めることになるねん」
「・・・・・・医療都市推進・・・」
「最終的には医療に関することはまるっと任せてもらえる町にすんのが目標やな。まあ何十年も先やけど。ほんで、その先駆けとして、派手な名前が一個欲しいんよ。遠山くんが主任してたロボット開発のプロジェクト、面白かったけど予算カツカツやったやろ?あれ、うちやったらもっと出せるよ」
ロボット開発には莫大な資金が必要になる。
毎年予算編成に泣かされる部署も少なくない。
好きなことを好きなだけ続けるためには、どうしたって費用が掛かるのだ。
「それは、引き抜きってことですか?」
「うん。そう。うちはきみの頭と腕が欲しい。んで、これもオフレコなんやけど、同時進行で開設予定の新薬開発チームは、もう始まっとるねん。ちょっと詳細は話されへんのやけど、そっちを目くらましする為に、出来るだけ大掛かりなプロジェクトを興したいんよ。みんなが目ぇ引くような」
限られた予算の中で方々と折り合いを付けながらの開発業務は、資金が尽きれば当然頓挫することもあり得る。
成果が出せなくては意味がないし、もっと言えば、出した成果が会社に認められて利益を生まなければ意味がない。
この言い方からして、西園寺は今回のプロジェクトに相当の予算を出すつもりがあるようだった。
「それは・・・・・・・・・物凄く魅力的ですけど・・・」
「遠山くんのこともちょっと調べさせてもろたんよ。生まれも育ちもうちの町で、家族は他界済み。西園寺のこともよう知っとる。いまは関東暮らしやけど・・・・・・・・・地元は嫌いちゃう、むしろ大好きやろ?」
意味深な視線を向けられて、痛くない懐だが探られたのかと気づいた。
恐らく、朝陽が身内同然で付き合っている大上家についても調べがついているのだろう。
西園寺の民として暮らす未弥たちの情報を、彼が握れないわけがない。
「・・・・・・・・・出来れば、地元に戻って働きたいと思ってましたけど・・・・・・こんなタイミング良く・・・」
資金繰りの心配なく新しい環境で開発を始められるなんて、すべての研究者が憧れるような状況だ。
あまりにも何もかもが上手く進み過ぎている気がして、逆に怖くなる。
それに何より、西園寺がオフレコ情報を漏らしたのは、朝陽がこのヘッドハンティングを蹴らない絶対の自信があるせいだ。
「実際は、数年後にメディカルセンターを開設する予定やってんけど、それやと遅いんよ。一刻も早く俺はセンターを作る義務があるねん。その為に、今一番必要な人に声をかけて回ってるんや。そのうちの一人が、遠山くん。待遇面ではもちろんこっから交渉予定やけど、こっちの誠意を見せなあかんやろ?これで納得して貰えるとは思ってへんけど・・・まあ、見てみて」
そう言って差し出されたファイルには、朝陽が理想とするロボット開発の
「・・・・・・・・・本気ですか?」
ファイルを持つ指が震えた。
彼がやろうとしている計画の全貌は計り知れない夢物語のようなのに、こうして提示された金額はどこまでもそれを現実に落とし込んで来る。
西園寺の財力がどういうものなのか、初めて目の当たりにした。
「俺が今すぐ動かせる額がこれなんよ。足らんかったら本部に掛け合うけど。ちなみにきみの年俸は最低でもこんだけは用意するつもり」
人差し指を1本立てて交渉可能かな?と首を傾げる西園寺にはっきりと頷いた。
「いえ、十分です。やります」
「良かった。きみが一人目やねん。これから口説く予定のメンバーも見といてくれる?ほんで、いつやったら仕事辞めれる?」
なる早がええねん、と始動時期を急ぐ西園寺に、訊いてよいものかと迷いながら、浮かんだ疑問を口にする。
「どうしてそこまでメディカルセンターの設立を急ぐんですか?」
朝陽の言葉に、西園寺は迷うことなく口を開いた。
「どうしても、メディカルセンターで助けなあかん子がおるんよ」
その子ただ一人だけのために、メディカルセンターを設立し、目隠し看板となるロボット開発チームを興したのだ。
そして、その子、と、西園寺が極秘裏に進めていた新薬開発は、数年後全国に西園寺の名を轟かせることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます