第12話 青雨
「朝陽くん、いらっしゃーい。最近よく来るわねぇ」
返却本を逞しい腕に抱えた磯上がフロアに入って来た朝陽に気づいて声を掛けてくる。
未弥の勤める地元の図書館に足繁く通うようになったのは、ここ数年なのだが、最初の頃から朝陽と未弥をそういう目で見ていた磯上は、朝陽の帰省回数が増えるにつれ、その疑惑を確信へと変えて行ったようだ。
朝陽としても今更隠すつもりはないし、未弥にすぐこの気持ちが届かないとしても、気まぐれに他の誰かを宛がわれては困る。
「鈍感な幼馴染の身辺が騒がしくなると困るんで」
女性スタッフばかりの図書館は職場としては安心なのだが、利用者の男性に声を掛けられないとも限らない。
未弥の良さや魅力は、心底自分一人が理解していればそれでいいと思っている朝陽だが、仕事に前向きに取り組む図書館司書としての未弥を間近にするたび、同じように彼女の姿を目で追う誰かが出て来る可能性をいつも考えてしまうのだ。
まして朝陽は日がな一日図書館に貼り込めるわけでもない。
休日を利用してこうして顔を見に来るのが精一杯なので、自分が不在の間の未弥の様子は当然ながらさっぱりわからない。
彼女の性格や、独身主義であることも重々承知してはいるが、だからこそ余計心配になるのだ。
色恋ゴトに全く免疫のない彼女は、見ず知らずの誰かから押されたら、あっさり流されてしまいそうだから。
そんなこと当人に言えば、あるわけがないと笑い飛ばされるだろうが、10年以上の片思いを拗らせて来た朝陽なので、そう簡単に不安はぬぐえない。
「おお!ついに認めたんだ。もう未弥ちゃんに言ったの?」
「言ってませんよ。磯上さんから見て、いまの俺、勝率あると思います?」
現在未弥が居るらしい二階図書室を見上げて、磯上が肩をすくめた。
「んー・・・・・・ないわね」
司書として仕事を始めた頃から未弥をずっと側で眺めていた彼女がそういうのだから間違いないだろう。
相変わらず、朝陽は未弥にとって幼馴染のままだ。
どれだけ歳を重ねて、どれだけ身長を追い越しても。
「でしょう。だから、言えません、まだ」
「まだ、ということはこれからどうにかするのね?」
「・・・・・・・・・します。しますよ、絶対。でないとガキの俺が可哀想すぎるでしょ」
今日までこれをどれだけ拗らせて来たと思っているのだ。
いまは、どうやって彼女を囲い込もうか必死に考えている最中なのだ。
「あら、もしかして未弥ちゃんが初恋?」
「悔しいことに」
「それは責任取らせなきゃだわね」
「一生かけてとってもらうつもりですよ」
いつか祖母の墓前で誓ったのだ。
こうなったら意地でも未弥を嫁にすると。
たとえ、何年かかろうとも、10代から思い続けたことを思えば大した時間ではない。
未弥が西園寺の土地で一生暮らしていきたいという願いを叶えつつ、大好きな仕事を続けながら、自分の側にも居て貰う方法。
答えは分かっているのだが、生憎いまこの土地に、朝陽が働きたい会社は見当たらない。
医療介護ロボット開発を目標にして今の会社に入ったことを未弥もよく理解しているので、それを押して彼女の側に居る事を選べば、間違いなくひずみが生まれる。
かといって、この土地から未弥を連れだすこともしたくない。
単身赴任という形でも最悪良いかと思ったりもしたが、これまで離れている時間が多かったのだから、結婚後は出来るだけ一緒に過ごしたい。
それになにより、どうにか言いくるめて未弥と結婚できたとして、離れている距離と時間が長ければ、二人の関係は形ばかりの結婚になって、あっさりと幼馴染の距離に戻ってしまう気さえする。
だから、未弥の気持ちを手に入れたら、その時は名実ともに夫婦として生活を送りたかった。
幸い今の会社は優良企業で、技術職でもあるので収入はそこいらのサラリーマンよりはるかに多い。
未弥を経済的に養っていくことは決して難しくない。
朝陽がいつまでも幼馴染の立ち位置に甘んじていたのは、未弥を生涯養える自信が無かったからだ。
いつまでも年下扱いが変わらない彼女に、決定的な違いを見せつけるには、どうしても社会的地位と肩書が必要だった。
もう未弥が心配して手を引かなくてはならない自分では無いと、心底理解して貰うためにも。
だからこうして実績を積み重ねて、結果を残して、部署内でもそれなりの立場を任されるようになった今だからこそ、彼女に並べると思ったのだ。
けれど、相変わらず未弥は色恋に興味がなくて、自宅と図書館の往復の日々で大満足して生活している。
好きな本を読める環境があれば、彼女はどこでだって生活できるかもしれないが、母一人子一人の大上家を思えば、気安くこちらに呼ぶことは躊躇われるし、この職場環境を未弥が誰より気に入っている事も知っている。
だから、余計肝心の言葉が言えない。
付き合うとかいうよりも、朝陽は未弥と結婚がしたいのだ。
自分の家族になって欲しい。
もう二度と離れられない場所にこの先ずっと居て欲しいのだ。
未弥のことを第一優先にするのなら、選ぶべきはやっぱり転職ということになる。
この際、ロボット開発の知識を生かして出来る別分野に手を出してみようか。
西園寺グループのどこになら需要がありそうだろうか。
二十代後半の転職、自信はあるけれど、確実なものはなにもない。
一つでも不安がある状態で、未弥に自分の気持ちを伝えたくはない。
堂々巡りを始めた朝陽に向かって、磯上がいいわねぇとあっけらかんと言い放った。
「応援するわ。人数足りないから、青年会の婚活パーティーに未弥ちゃん呼ぼうかと思ってたんだけど」
「やめてください」
「そうね。別の子誘うわ。まあ、あと数年は大丈夫じゃない?未弥ちゃん全く結婚も恋愛も興味なさそうだし、変な揺さぶりかけない限りきっとあの子このままよ」
こちらの準備が整うまで、是が非でもそのままで居て貰いたい。
「磯上さんが味方になってくれると思っていいですか?」
朝陽が側に居られない時間がこの先どれくらい続くか分からない。
その間未弥のことを任せられる相手は、彼女以外に考えられなかった。
「あら、協力要請?そういうことならよろこんで。未弥ちゃんの日常は私がちゃんと見守ってあげるから」
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