第11話 緑雨

”何時に駅に着くの?”


普段は予告なしに帰省するのだが、ちょうどお盆の時期で、この時期はいつも予定が合えば大上親子と一緒に祖母の墓参りをすることにしていたので、事前に帰省予定を伝えていたのだ。


最寄り駅まであと2駅という距離のところで、こんなメッセージが未弥から届いて、朝陽は一瞬何事かと目を見張った。


どこか一緒に行きたい場所でもあるのだろうか?


男手が必要な買い物とか?


そう言えば母親が未弥の不在時に棚の上のものを取ろうとして危ないから、しっかりした脚立か踏み台が欲しいと言っていた。


あと、リビングのテレビボードを新調したいとも。


こちらとしては、デートのお誘いだったら嬉しいが、残念ながらそれだけは絶対にあり得ない。


どうせ今日も色気のない理由なんだろうと高を括って、後2駅と返信を打つ。


決して暇ではない朝陽が、貴重な休日を帰省のために使っているのは、ほかではない未弥のためだ。


朝陽が関東勤務になってから、一度も遊びに行きたいと言ったことのない彼女と会うためには、こうして新幹線に乗って帰って来るよりほかにないのだ。


人混みが嫌いな未弥が、都会に出たがるとも思えない。


そしてそれ以上に朝陽の職場に興味があるとも思えない。


だから、未弥からそっち遊びに行ってもいい?と問われないのは、当然のことだ。


そして、それをもどかしく思ってしまうのは、朝陽の身勝手だ。


思えば、彼女への恋心を自覚してから、一度として未弥が自分の思い通りになった試しがない。


子供の頃は、どれだけ未弥の前に出て彼女を庇おうとして、責任感の強い彼女は頑としてそれをさせてくれなかったし、どうにかして幼馴染じゃない場所に並ぼうとしても、残念ながら未弥の異性の枠に入り込むには、あの頃の朝陽は背が低すぎた。


全寮制の高校の食事メニューには、ありがたいことに毎回牛乳がついており、どんな時でも朝陽はそれを残した事が無い。


そのおかげで、15歳の時には163センチ止まりだった身長は、1年で10センチほど伸びて、高校を卒業する頃には177センチになっていた。


彼女から初めて上目遣いで見られた日の喜びは、それはもう筆舌に尽くしがたい。


てっきり大上家のマイカーでロータリーまで迎えに来ているのだろうと思ったら、改札の手前で名前を呼ばれた。


「朝陽ぃーおかえりー!」


改札を出てすぐの場所でこちらに手を振っている未弥を見つけて、自然と笑顔になる。


「どこ行きたいの?」


すぐに顔が見れて機嫌が良くなったので、付き合ってやろうと先に尋ねれば。


「うん?いや、帰るけど」


予想外の返事が返って来て、あれ?と怪訝な顔になった。


そして気づく。


「あ・・・・・・・・・雨だ」


「そーなのよ。コンビニ行こうと思って駅前まで来たら本降りになったから、朝陽の帰って来る時間が合えば、一緒に帰ろうと思って。まあ傘一本だけどね」


「・・・・・・・・・え、なに、未弥俺のこと迎えにきたの?」


買い物に行きたいわけでも、男手が必要なわけでもなかった。


呆然とした朝陽の言葉に、未弥がコンビニ袋をぶら下げてこくんと頷く。


「コンビニのついでにね。なに、感動して言葉も出ないって?」


全くもってその通りだ。


こんなにあっさりと、彼女は自分を喜ばせてくる。


帰省途中まで考えていた仕事の事が、綺麗に頭の中から吹き飛んだ。


新幹線での移動時間は決して短くは無い。


それでも、こうして何かにつけてこちらに戻ってくるのは、未弥に会いたいからだ。


いまこの瞬間に言ったってどうせ届かないだろうけれど。


「・・・・・・・・・傘持つ」


「え、いいよ。私が・・・」


「普通に考えて俺が持つのが道理だろ。俺のがでかいんだから」


「・・・・・・・・・ああ」


「思い出したみたいに言うな・・・・・・・・・あれ、なんかお前縮んだ?」


「縮んでねぇわ!ペタンコ靴なのよ!なんかちょっと腹立つからあんたしゃがんでくれる!?無性に見下ろしたくなったわ。最近ちっとも朝陽のつむじ見てないし」


いつも視線を下げてこちらの顔を覗き込んできた未弥が頭を過って苦くなる。


もしも時間旅行できる時代が来ても、絶対に過去に戻りたいとは思わない。


また、見下ろされるのはごめんである。


ともすれば頭を撫でられそうで怖い。


「・・・・・・・・・見せねぇよ。なんでこんな天気の時にわざわざコンビニ?」


これ以上付き合っていられないとビニール傘を持って先に未弥を追い越していく。


すぐ後ろから彼女が追いかけて来た。


「あんたの住んでる都会と違って、この町にコンビニは一軒で、ウエノマートにはないお菓子を買おうと思ったら此処まで来る必要があんのよ」


「ああー・・・・・・そっか・・・思い立ってコンビニまで徒歩10分弱って結構しんどいな」


「これでもマシなほうよ。駅前にコンビニ出来るまでは、車で二駅戻ってたんだから」


「・・・・・・・・・それでもこの町が好きだろ?」


「そりゃあもう。骨の髄までこの土地に根付いてるから、生きて死ぬのはこの町よ」


西園寺の土地に住む人間は、ゆりかごから墓場まで、西園寺に守られて生きる。


過疎化が進み高齢者だけが残った片田舎の地方都市に、老人たちの最後の憩いの場所をと老人ホームを建ててから早20年近く。


不動産業から始まった西園寺グループはどんどん大きくなり、雇用人数と比例してこの土地で暮らす住民の数も増えて来た。


未弥や朝陽が子供の頃は2クラスしかなかった中学校もいまや4クラスになり、確実に人々の生活は変わってきている。


「あんたもだから最後はここに帰ってくればいいのよ。私やお母さんがいるんだから」


何でもない事のように言って、駅の階段を下りきったところで未弥が身を寄せてくる。


一瞬どきりとしたが、傘に入るために身を寄せられたのだと気づいて、いや前にもこれあっただろ、と期待した自分を戒めた。


それでも、これくらい許されるだろうかと、そっと薄い肩に腕を回せば。


「荷物あるんだから、朝陽が濡れないようにして」


当たり前のように言い返されて、いかにも彼女らしい発言に渇いた笑い声を返した。

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