第9話 穀雨

いい加減な交際をしてきたつもりはないし、向けられた好意に精一杯誠意を持って向き合ってきたつもりだ。


当然浮気も余所見もしていない。


ただ、将来を考えていたのか、と問われれば、答えは否。


そういうの抜きにして、気が合うし女性としても好感が持てると思って付き合い続けていた彼女からの決別の言葉は、朝陽に自分の心の置き場所を思い出させた。


そしてもう、逃げられなくなった。





「晴れて良かったよ。おばあちゃんも喜んでるんじゃない?あんたが久しぶりに帰って来てくれて」


朝陽が地元を離れている間は、いつも大上親子に管理を任せている祖母の墓は、綺麗に手入れされており、雑草も生えていなかった。


定期的に足を運んでくれているのだろう。


久しぶりの帰省報告と、自分の中にある覚悟を一緒に胸の内で伝えて、そっと合わせていた手を離して顔を上げる。


「いつも綺麗にしてくれてるんだな」


「そりゃあ、あんたのおばあちゃんは私のおばあちゃんみたいなもんだからね。お母さんもちょくちょく来てるし・・・・・・ほら、ここってあそこのホームで亡くなった方のお墓多いから」


最後は西園寺の土地に帰りたいという高齢者の声は多く、未弥の母親が勤める老人ホームで亡くなった入居者のほとんどは、地元の出身で、徒歩圏内に墓地がある。


ホームの開設からずっとケアマネジャーとして、入居者を家族同様にサポートしてきた未弥の母親は、亡くなった人たちの命日には必ずスタッフたちと墓参りに出かけていた。


ほとんどのスタッフが地元の人間なので、老人ホームに入って来る前から顔見知りであることも多いのだ。


都会人には考えられないくらい密接な関係が根付いているこの町が、朝陽は不思議と嫌いではない。


それが当たり前として育ってきたせいもあるのだろうが、大上親子から向けられるお節介は、ちっとも居心地が悪くなかったからだ。


「ああ・・・そっか、この辺りじゃ一番でかい墓地だもんな・・・・・・でも助かってる」


「いいよいいよ。それよりちゃんと挨拶できた?これからはもっとマメに帰ってきますって言っとかないと、おばあちゃん心配して夢枕に立つかもよ」


立ち上がってお墓の前から下がった未弥の軽口に、確かにと笑みを返す。


お彼岸でもない平日の午後の墓地は無人で、ゆっくりと手を合わせることが出来た。


ちょうど仕事が休みで一緒にお墓参りすると言ってくれた未弥を連れてここまで来たが、幼馴染だからといってこうも頻繁に身内でもない人間の墓前に手を合わせるものだろうか。


この辺りの距離感が昔からバグっているから、どうにもならなくなってしまっているのだ。


就職してから朝陽の帰省回数が減っている事を気にしていた未弥の表情を窺いながら、用意していた言葉を告げる。


「あのさ・・・・・・・・・未弥。俺、結婚するかもしれない」


もうすでにその話は終わっており、それどころか交際相手にもフラれた後なのだけれど。


朝陽が一足早く別の未来に向かおうとしたら、彼女はどんな反応を返すのか気になったのだ。


焦るか、ショックを受けるか、それとも。


希望としては、ショックを受けて欲しいところだが、この温度感だからそれはないだろう。


ああ自分たちもそういう年齢なんだと改めて自分の歳を思い出して、やっぱり婚活をとか斜め上の方向に行かないことだけを祈りながら返事を待つ。


朝陽の言葉を受けて、未弥は黙って瞬きを二度三度と繰り返した。


これでもしも泣かれたりしたらどうしよう。


涙の意味を確かめる前に、好きだとフライングしてしまいそうな自分がいる。


10代から根強く初恋を引きずっているせいか、未弥を前にすると、途端思考が思春期に逆戻りしてしまうのだ。


そして、自分の幼さを思い出して穴を掘って埋まりたくなる。


「ほ・・・・・・・・・ほんとに!?」


信じられないといった表情で詰め寄られて、何も考えられないままこくこく頷く。


これはどちらの感情だ?


純粋な驚きか、それともそんなわけないと信じたいが故の反応か。


ごくりと生唾を飲んで反応を伺うこと数秒、未弥がぱあっと表情を綻ばせた。


「なによそれー!!!早く言いなさいよ!!そんなおめでたい事!!!あ、だからやたら真剣な顔で長いことおばあちゃんに手ぇ合わせてたのね!?もおおお!この子ってば!!」


あ、ないな。


秒で彼女が本心からそう言っている事が見てとれた。


「で、相手はどんな人なの!?職場の人と付き合ってるって前言ってたからもしかしてその人!?あんたと同じ会社ってことはエリートじゃない!すごいよ、朝陽!おばあちゃんも安心できるねぇこれで」


こうも全力で喜びを表現されてしまえば、今更嘘ですとは言いだせない。


フラれたなんて言えば、未弥は本気で残念がりそうだ。


「あ、いや、まだはっきりとそう決まったわけじゃ・・・なくて・・・・・・そろそろそういう話が出るかもってだけで・・・・・・」


「ええーでも、そうやって考えられる相手がいることが素敵じゃない!そうかー朝陽がプロポーズすんのかー・・・」


「だから、まだわかんねぇって・・・・・・・・・それより、未弥は?相変わらず一人なの?」


「私には本があるからねぇ・・・65歳定年まで働いて、お母さん看取って・・・最後はあんたの子供に面倒見て貰おうかなぁ」


何となく予想していたことだが、彼女の人生設計はここ数年一度も変わっていなかった。


一つ変わったことと言えば、老後を朝陽の子供に任せるつもりにしていることくらいだ。


自分が朝陽の子供を産む可能性なんて、一ミリも考えていないようだ。


「俺の未来の子供に託すのかよ」


訊くんじゃなかった。


まだ駄目だった。


苦虫を嚙み潰したような気分で憎らしいほど晴れた空を見上げる。


さっき祖母の墓前で手を合わせて祈った事は、いい加減目を逸らし続けた初恋と向き合う事に決めたので、力を下さいということだった。


どうせこの先、他の誰とも未来なんて思い描けないのだから。


「あんたの子供以外、誰に託すのよ?」


「・・・・・・・・・まあ、いいけど」


未弥が生んだとしても、朝陽の子であることに違いは無い。


最終的には同じことだ。


そして、同じことにするために、これから動く事を決めた。


「あのさ、仕事落ち着いてきたから、もうちょっとちゃんと帰って来るようにするわ」


未弥に会うために。


視線を合わせて伝えると、彼女が笑って、それはいいね、と答えた。


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