第8話 甘雨
「未弥、もうちょっとこっち歩いて」
ウエノマートの総菜が大量に入ったエコバックをぶら下げて、いつも通り帰路についた未弥を手招きする。
怪訝な顔になった彼女が、すぐに納得したように朝陽と立ち位置を入れ替えようとしてきたので、慌てて腕を掴んでそれを阻止した。
伝えたかったのはそういうことではない。
「なんで車道側歩こうとすんだよ」
「え?違うの?」
通学用のスクールゾーンはあるけれど、圧倒的に人口の少ないこの町には、柵で仕切られた歩道がある場所のほうがうんと少ない。
だから、未弥は、朝陽があからさまに嫌そうな顔をするまで、ずっと車道側を歩いて居た。
年下の幼馴染を車から守るためだ。
そうされるたびにモヤモヤするようになったのはいつの頃だったか、もう昔過ぎて思い出せない。
「ちげぇわ・・・・・・そうじゃなくて、用水路、危ないから」
言い含めるように未弥に視線を向ければ、何かを思い出したらしい彼女がむうっと眉根を寄せた。
「はいはい・・・・・・ついこないだまで私が手ぇ繋いで車道側歩いてたのに・・・」
「いや待て、それはされたことねぇよ!」
「あれ?そうだっけ?私の記憶違いか」
あっけらかんと言ってのけた未弥に向かって本気で苦い顔を向ける。
これ以上対象外扱いはされたくないのに。
「勝手な過去捏造すんなよ」
「いや、でもあんたが小学校高学年になるまでは・・・・・・・・・あ、少年野球行くようになってから一気に生意気度が上がったんだわ。そうだったそうだった」
「なんでそういうことばっかり覚えてんだよ」
もっとほかに記憶しておくべきことは沢山あるはずなのに。
彼女が語る昔話はどの場面を切り取っても、幼い未弥と生意気な朝陽の微笑ましい姉弟物語だ。
「だから、用水路」
「見てるし!いまはガラケーも持ってないし!」
ふんぞり返るように言い返されて、ああそう言えばあの時未弥はガラケーを操作していたんだったと、今更のように思い出した。
・・・・・・・・・・
「頼んでないのに何で見に来るんだよ!?しかも制服とかすげぇ目立つし!俺一人っ子なのみんな知ってんだから・・・」
三年生が抜けた後の新体制で迎えた秋の市内大会は一回戦負け。
やっと試合に出られるようになったばかりの一年生のやる気が見事に空回った結果、エラーから失点。
挽回できないまま終盤を迎えてしまって、そのままゲームセット。
爽やかな秋空のもと行われた試合のはずが、重たくてどんよりとした気持ちのまま部員全員が家路につくことになった。
試合会場が市民グラウンドと、近かったこともあり、多くの父兄が試合を見に来ていた。
けれど、朝陽の唯一の肉親である祖母は膝を悪くしてから階段移動が難しく、段差の多いグラウンドに足を運ぶことは出来なかった。
初めての試合なのにごめんねぇとしきりに謝る祖母に、気にしなくていいよと言ったのは本心からだったし、むしろ家族に見に来られる事の方が恥ずかしかった。
そういう年頃なのだと一番理解して欲しい母親はとうの昔に居なくなっていて、母親代わりの祖母は年々弱っていく自分がいつまで孫の面倒を見られるのかと不安を抱いている。
そんな祖母の心身のケアを行ってくれている未弥の母親は、シフトが休みなら見に行けたのにと心底悔しがっていた。
だから、絶対に誰も来ないと思っていたのだ。
けれど、いざ市民グラウンドで練習を始めてみたら、応援席の中に見慣れた高校の制服を見つけて、よく見るとそれはまぎれもなく未弥で、すぐ帰るのかと思いきや、父兄に交じって一緒に応援し始めて、結局最後の挨拶が終わるまで父兄たちと一緒に後片付けを行っていた。
当然顔見知りの父兄たちの中に、ぽつんと女子高生が混ざっていたら物凄く目立つわけで、遠山の身内ですと姉貴面している未弥を見た瞬間死ぬほど恥ずかしくなった。
これなら誰も来てくれないほうがよっぽど良かった。
『あれだれ!?遠山の姉貴!?え、一人っ子じゃん、親戚?』
『あーほら、遠山んとこばあちゃん来れねぇから』
『あの人俺見たことあるわ。小学校んときも何度か迎えに来てなかった?』
迎えに来た父兄の車で相乗りして帰る者、電車で帰る者と、部員たちがばらけて去っていくのを待って、最後に市民グラウンドを出たら、待ち構えていた未弥が、私頑張ってムービー撮ったよ!と腰に手を当てて言って来て、頼んでねぇよと叫びそうになった。
朝陽の不機嫌を試合で負けたせいだと読んだらしい彼女は、電車に乗っている間も終始無言に付き合ってくれて、それだけは有難かった。
口を開けば八つ当たりのような言葉しか出てこなかったから。
文芸部の顧問の手伝いで、市民会館の芸術作品展に行った後、わざわざ部員たちのお茶の誘いを断って試合を見に来たのと言った未弥は、ちょっとでもおばあちゃんにあんたの姿見せてあげたくてさ、と嬉しそうに言って、老人ホームにちょっと寄って行こうよと誘ってきた。
放っておいてくれと言い返す気力もなくて、二人で並んで駅からの歩いて、その途中で、思い出したように、未弥がストラップが沢山ついた携帯を取り出した。
「ムービーって初めて取ったから、結構手ブレしたけど、ちゃんと遠目でもレフトの朝陽が分かったよ。あ、でもさ、おばあちゃん、こんな小さい画面見えるかな・・・・・・ね、声聞こえる?」
ここまで戻ってくる間にすっかり日は落ちていて、車もほとんど通らない田舎道は明かりが極端に少ない。
ガラケーを朝陽の方に近づけながら、未弥がボリュームを上げようと四苦八苦している。
と、次の瞬間彼女の姿が視界から消えた。
それと同時にドスンという重たい音が響いて、次いでアスファルトに未弥の携帯が転がった。
「いいったぁ!」
暗がりから声がして、彼女が用水路に落っこちたのだと気づいた。
「み、未弥!?大丈夫!?」
慌てて用水路を覗き込めば、子供の背丈ほどの溝の底で蹲っている彼女を見つける。
「っだ・・・・・・いじょうぶ・・・・・・」
「未弥、手ぇ伸ばして!」
自力でこの溝を上ってくるのは無理だと判断した朝陽に向かって、未弥が首を横に振った。
「あんたじゃ無理よ。ごめん。誰か大人呼んできて」
自分より背が低くて体重も軽い朝陽では、未弥を引っ張り上げることは出来ないと彼女が冷静に判断した結果だった。
・・・・・・・・・・
「もう落っこちても、助けられるけど。怪我すんの嫌だろ。この時期水張ってるし」
彼女の身長を10センチ以上追い越した今なら、未弥は間違っても誰か大人呼んできてとは言うまい。
きっと目の前の朝陽に助けてとせがんで来るはずだ。
「なんで落ちる前提かな!?」
「もし落ちたら上って来れる?」
念の為尋ねてみれば、ちらっと水の張った因縁の用水路を睨みつけて未弥が首を横に振った。
「いや・・・無理でしょ・・・足上がんないわ。腕の力もないし。そん時はよろしくね」
あっさりと投げられたSOSは、真っ直ぐ朝陽の胸を、焼いた。
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