第6話 喜雨
「いやー男手があると助かるわー」
毎度お馴染み地元民御用達の唯一のスーパーウエノマートを出て、自宅に向かって歩きながら、久々にかご一杯買ったわ、と未弥が満足そうに笑った。
運転出来る若い世代は、市内の大型スーパーに買い出しに出かけられるが、この辺りに暮らす高齢者のほとんどは、運転免許をとうの昔に返納しており、移動手段は徒歩と本数の少ない循環バスのみ。
高齢者がメイン顧客のウエノマートは、他店にお客が流れる心配が皆無なので、未だにポイントカードも未導入で、アプリ割引も会員割引も存在しない。
この町を出て都会で働いている朝陽からしてみれば、信じられないくらい原始的なスーパーだが、幼いころから変わらないここは、ある意味ずっとこのままで居て欲しいような気もする。
少し前まではコンビニすらなかった町なのだ。
マンションを出て5分も歩けば、コンビニを2軒は見つけられる都会人は、帰省のたびにノスタルジックな気分に包まれる。
だから田舎はいい。
隣を見れば、相変わらずな未弥の横顔が見えて、大量の荷物が入ったエコバックがほんの少しだけ軽くなった。
気分が上がれば腕は重みを感じなくなるらしい。
相変わらず、自分の心は思春期のあの頃に捕らえられたままだ。
初恋の吸引力はどうやら最新のハイスペック掃除機並らしい。
付かず離れずのこの関係でもまあいいかと思えてしまうのは、未弥にさっぱり男っ気がないせいだ。
このまま一生本の虫で死んでいくと本気で思っている彼女は、町の青年会挙げての婚活パーティーにも参加したことはないし、当然お見合いの予定もない。
未弥の母親が、手に職があるのなら、好きに生きよ。という現代風の考えの持ち主で本当に良かった。
これが、この辺りに住むお年寄りたちのように、女は25過ぎたらいい家に嫁いで、跡継ぎを生んでなんぼ、という考えだったら、朝陽はこんな悠長に構えてはいられなかっただろう。
焦ったところで何か画期的な手を打てたとも思えないけれど。
「こないださぁ、お母さんが圧力鍋新しくしたのよ。カレー10分で出来るから、山ほど作っとくから、残り持って帰りなね」
「・・・それで玉ねぎと人参がこんなにあんのか」
基本的に休日におかずを大量に作って冷凍して、それを食べながら足りない総菜をウエノマートで調達するのが女二人暮らしの日常だ。
図書館勤務の未弥と違って、老人ホームに勤めている未弥の母親は、夜勤や会議で時間が不規則なので、昔からこのスタイルだった。
「そうよー。ジャガイモ入れると美味しくないから、その分玉ねぎ大量に入れるのよ」
30分以上台所に立たない主義の大上親子の料理は大鍋料理がほとんどだった。
一度、朝陽が中学生の頃、未弥が朝陽に肉を食べさせようと唐揚げを大量に作ろうとしたことがあったが、撥ねた油で彼女が火傷を負ってから、唐揚げはウエノマート製にして欲しいとお願いしている。
自分のためを思ってくれるのは心底有難いけれど、そのたび腕を赤くされるとこちらの胸が痛むからだ。
未弥は、心配はいらないと胸を張ったけれど、二度上げした唐揚げは焦げていたし、いくつかは生揚げのものもあって、彼女自身もこれはよろしくないと思ったらしく、それ以降お手製の唐揚げが食卓に並んだことは無い。
思えば、本当に色んなことがあったのだ。
10代の頃からずっと。
懐かしい気持ちで、少しだけ涼しくなった夕暮れ時の夏空を見上げたら、隣を歩いていた未弥が、何かに気づいて足を止めた。
「・・・・・あ、朝陽!見てー・・・懐かしい、中学校の制服だ」
見ると、少し先を学ランとセーラー服姿の中学生が並んで歩いて居る。
嬉しそうに話しているのは女の子のほうで、男の子のほうは頬を赤くしながらぎこちなく頷いたり返事を返すのみ。
付き合い立てのカップルなのだろうか、自宅に向かっているらしい足取りはゆっくりで、離れがたい二人の心境が透けて見えるようだ。
ああ。なんか身に覚えがあるな、と苦くなったら、未弥が朝陽の腕を軽く引っ張って来た。
「お邪魔したら悪いから、ちょっと遠回りになるけどこっちから帰ろうか」
住宅街の細道を迂回するルートを指さした彼女の、何とも嬉しそうな表情に思わず笑みがこぼれた。
「どこの世話焼きおばちゃんだよ」
「だって、このまま歩いてたら確実にあの子たちに追い付いちゃうし、追い越したとしても、走らない限り距離はあんまり広がらないだろうし」
さすがに二人して走るのはわざとらしすぎるでしょ、と未弥が微笑む。
色恋ゴトにさっぱり興味が無いくせに、そういうところの気は付くのか。
だったらもうちょっと身近な人間に目を向けろと言いかけて、飲み込む。
「いいけど・・・荷物、平気?」
「ん?」
きょとんとなった彼女に向かって手を差し出す。
持ってきたエコバック3つがいっぱいになるまで買い物をした未弥は、バランスを考えて四苦八苦しながら荷物を分けて詰め込んでいた。
今日は朝陽が居るのだからと重たいものを纏めないところが彼女らしい。
むしろ進んで牛乳と豆乳の入ったエコバックを持とうとした未弥を制したら、心底驚いた顔をされて、身長を追い越してから10年近く経ってるのにまだ駄目かとげんなりした。
「遠回りするなら、そっちも持つけど」
未弥とて司書として毎日大量の蔵書を抱えたり運んだりしているのだろうが、朝陽のほうが体力も腕力もある。
仕事柄日常的に大きな機械や金属片を動かすことが多いので、エコバックがあと一つ増えてもどうということはない。
一緒に居る時くらい甘えてくれればいいのにと思いながら尋ねれば、こちらを見つめたまま、未弥が急に瞳を潤ませた。
「・・・・・・・・・・・・朝陽ぃ」
感極まった声で名前を呼ばれて、初めての反応にどうして良いか分からなくなる。
そんな気の利いたことを言ったつもりはない。
当たり前のことを言っただけだ。
それなのに、こんな風に声を震わせられると、これまで堪えて来た色んな感情が一気に胸の奥底から湧き上がってくる。
もしかしたら未弥も自分のことを、なんて淡い期待が頭を過った瞬間。
「あんた・・・・・・・成長したねぇ!そんな優しいこと言えるようになるなんて・・・っ」
私は嬉しいよ、と噛み締めるように言われて、一瞬だけ綺麗な茜色の空を睨みつけて、未弥の手からエコバックを奪い取る。
ああそうだ、そうなのだ。
彼女の中で自分はやっぱり、どうしようもなく未熟で幼いままなのだと、ひしひしと感じさせられた。
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