第18話  朝間-1

研究開発と機密保持はもはやセットのようなものだ。


どれだけ世のため人の為と公明正大な理由を貼りつけても、それが盗まれてしまえば元も子もない。


悪用はもとより、改良されて世に出されるのが一番怖い。


利益が無ければ研究も開発も続けられない。


ロボット開発にはとんでもない額の資金が長期的に必要になる。


それを丸ごと請け負って医薬品開発と併せて、ゆくゆくはグループの主軸に押し上げようとする西園寺の思い描く理想の未来の一端を担う事は決して楽では無いが、これまでのどの研究開発よりもやりがいを感じられる。


その上、これまでのように予算申請に頭を悩ませる必要が無いことは、エンジニアとしてはかなり嬉しいことだった。


既存技術の向上への追加投資には眉を顰めない上役たちも、新規事業の研究開発への出資は躊躇うのが常だ。


そんな中、初期投資額としてはちょっとお目見えしない桁数の予算額を提示して来た西園寺は、本気でこの分野を活性化させる覚悟を持っているらしい。


ヘッドハンティングの面談で示された年俸を考えても、こちらへの期待と信頼が伺えた。


だから、少し踏み込んだ頼み事をしようと思ったのだ。


入室制限ゾーンに指定された機密エリアのさらに奥、二枚のセキュリティカードと定期的に変更される暗証番号で厳重にロックされた研究所ラボから廊下へ出ると、一気に行き交うスタッフの人数が増える。


西園寺メディカルセンターには、朝陽が勤務する医療介護ロボットの研究開発チームの他にも、医薬品の研究開発チームや医療設備開発チームなど様々なセクションが存在する。


西園寺メディカルセンターの設立を西園寺が急いだのは、ロボット開発を目くらましにした、医薬品の研究開発チームの早期始動が目的だったらしい。


まだニュースでは取り上げられてはいないが、ここ最近その界隈でたびたび名前を聞くようになった、突発性発情型特異体質に対する特効薬を開発製造するための研究所ラボだということは、西園寺から聞かされている。


詳細までは不明だが、どうやら身内にその病に罹患した人間がいるらしく、早急に対応を講じたいようだった。



電子機器倉庫の隣を陣取っている研究所ラボが一番奥まった場所あり、その手前の医療設備開発チームは、外作業も多く、テラスに面した日差しの入るスペースを使っており、業者の出入りも多いためここがいつも一番雑多としていた。


研究所ラボの中のカプセルコーヒーに飽きると、観葉植物で彩られた自然光をふんだんに取り入れた広々としたラウンジに向かう。


ラウンジにはカフェスペースがあって常駐のバリスタが美味しいコーヒーを提供してくれるのだ。


未弥の母親からも聞かされていたが、西園寺グループの福利厚生は群を抜いて充実している。


年間休日数は勿論のこと、特別休暇も豊富で当然ながらフレックスタイム制、仮眠室もシャワーブースも来客向けの宿泊施設も完備。


夜間対応も多い西園寺メディカルセンターは、ランチ以外にも常設のケータリングスペースでいつでも好きなだけ美味しい料理を食べることが出来る。


ラウンジ使用料という名の最低料金のみ払えば飲み食いし放題なので、若手エンジニアたちは寝袋持参で研究所ラボに籠る事も珍しくなかった。


今日の目的はバリスタのコーヒーではないのだが、同じチームの窪塚はラウンジに向かうのだろうと踏んで遠慮なく朝陽を呼び止めて、コーヒー俺の分も、とオーダーして来た。


主要目的が果たされたら、寄り道してコーヒーを二つ持ち帰らなくてはならない。


県南部の海辺の町出身の窪塚は、コーヒーにはかなりのこだわりがあるらしく、幼馴染の父親がやっている喫茶店のコーヒーに勝るものは無いと話していたが、そんな彼もバリスタの淹れるコーヒーはお気に召したようなので、かなりの腕前なのだろう。


入室制限ゾーンを抜けて、一般区域に入ると来客向けの展示スペースに中学生らしき団体が見えた。


恐らくこの地域に住む学生なのだろう。


西園寺グループは、定期的にこうして地域の学生や子供たちを招いて企業見学を行っている。


より良い人材を育成して、この町に根付いて貰う為に。


その思惑にまんまと乗せられてIターン転職をした朝陽の第一目標は無事に叶えられた。


未弥の側で自分の足で生きていく術を身につけること。


無事エンジニアとしても独り立ち出来たし、経済面も申し分ない。


未弥が図書館の仕事を生涯続けるつもりでいることは最初から分かっていたから、彼女を自分の手元に呼び寄せることははなから諦めていた。


朝陽としてもエンジニアの仕事には不満なんて無かったし、もういっそこのままでもいいかとすら思っていたのだ。


けれど、西園寺からの連絡でその気持ちは別の方向に一気に傾いた。


願いをいっぺんに叶える方法が目の前に転がり込んできたのだ。


これまでのように年に数回の帰省では詰められなかった未弥との距離を、これを機に一気に詰めて出来ることならその未来の確約が欲しい。


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