第18話 迷宮の不審者

 連れている狼はウィンドウルフ。ロックウルフと同等の魔獣だ。

 最悪なことに、鬼人と魔獣のダンジョンボスが組んで出てきたのだ。


 ホブゴブリンの手には、他の冒険者と思われる首が、2つぶら下がっている。

 まだ若い男女の首だ。半分腐敗しており、死後数日は経っているのだろう。


「嘘……、何この力……」


 人一倍、感度が高いルネリッサには、正面に居る魔物が今までとは、別格であることが嫌でも分かってしまう。


 先程の魔物の群れが、虫の群れのように思えた。それ程に力が隔絶していたのだ。

 ルネリッサは、恐怖のあまりに震え始めた。

 圧倒的な力を前に、否が応でも死が頭をよぎる。


 セイという超級の新人と組んでいた為に忘れていた。本来ダンジョンとはこういう未知と遭遇する場所なのだ。


 そして、その恐怖は、タイラーへとありありと伝わった。

 タイラーはセイを治療するために伸ばした手を、戻すことも出来ず固まってしまう。


 すべてが出来すぎていた。

 まるで物語の主人公が現れ、その仲間になれたように錯覚していた。

 いくら常識外でも、セイもまだ新人の域を出ていないのだ。


 そして今、目の前にいる魔物は新人が相手にできるものではない。


「あっあああっ……」


 怯える二人を視界に捉えたホブゴブリンとウィンドウルフが嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべた。


 そしてホブゴブリンが、力をみなぎらせながら吠える。


「グボォォオオオ!」


 吠え終わると、ホブゴブリンは興味を失ったように、手にぶら下げていた人間の頭を捨てた。


 ホブゴブリンが捨てた頭を踏み潰す。

 絶望に浮かぶ顔を視ると愉悦ゆえつに浸れたが、既に腐敗して表情が崩れてきている。

 ちょうど新しいおもちゃを探している最中だった。


 いつもの楽しみな時間が訪れたとばかりにはやる気持ちを抑える。


 今すぐ目の前の怯えた生き物を輪切りにし、女を犯し尽くながら食らう。これから起こるであろう事を想像するだけで、ずいから喜びが湧き上がった。


「……炎壁」


 何処からとも無く響いてきた声とともに、巨大な炎の刃が、2体の魔物へ襲いかかる。

 突然のことに反応が、遅れたホブゴブリンとウィンドウルフが炎に包まれる。


「クソッ。こんなに弱い炎壁なんて、恥ずかしすぎる」


 炎が通り過ぎた軌跡を、セイが一瞬で駆け寄る。


 セイは右手に杖、左手に剣というチグハグな装備をしていた。

 杖は先程宝箱から手に入れたものだ。


 ウィンドウルフが体の一部を焼かれながらも、いち早く炎から、もがき出る。

 風をまとっている狼であるため、炎にはある程度耐性がある。


 見失ったセイを必死に探そうと、首を振った。


 が、それだけだった。


「雷壁」


 新しく覚えた呪文である。

 だが、魔術の操作を極めたと言っても過言ではないセイにとっては、今まで使っていた炎壁とさしたる違いはない。


 雷で作られた巨大な刃が、ウィンドウルフの首を通り過ぎる。

 頭と胴体をつなぐ首が焼け落ち、首が転がったのだ。


 かたや、ホブゴブリンは手に持ったブロードソードで炎の刃を振り払ったが、重度の火傷を負ってしまった。


 とっさに、得体の知れないセイと距離を置くため、その場から跳躍した。

 人外の膂力りょりょくにより、ダンジョンの天井に突きそうなほどに高く飛びはねる。


「それは悪手だ。……重力操作」


 セイの言霊とともに、左手に持った剣を投げつける。

 剣がホブゴブリンの肩に刺さると、急に重りでも括りつけられたように、地面へと引きずり降ろされた。


 地面に叩きつけられたホブゴブリンが、肩に刺さった剣を引き抜こうとしたとき、影が指す。


 魔力を帯びた杖を、振りかぶったセイが直ぐ側に立っていたのだ。


 ホブゴブリンの顔に恐怖が刻まれる。


 最下層のボスとして、圧倒的な存在として、暫くの間、このダンジョンに君臨してきた。


 自分こそが強者だと思っていた。

 魔物はこうべを垂れ、人という生き物も玩具程度にしか捉えていなかった。


「炎壁」


 だが、それは誤りだった。

 世の中には自分より強い人間がいる。


 それを知ったときには、ぐるぐると視界が回っていた。


 首に熱い何かを感じる。

 遠くに、首が無くなった自分の胴体が崩れ落ちていく姿が見えた。

 それが最期に見えた光景だった。

 




「セイ! セイ! セイ!」


 半分泣き崩れたルネリッサが抱きついてきた。

 タイラーはまだ現実感が無いまま、固まっていた。


「あんなに強い魔物を一瞬で!」


「いや、相手が余裕こいてて、魔術を撃てるきがあっただけだ。真剣に間合いを詰められて、接近戦になってたら、やばかったかもな」


 セイは、ホブゴブリンの遺体から抜き取った剣に目をやる。

 僅か2日で、刃こぼれやブレードに無数に傷が付いている。剣術が未熟である証拠だ。


「本当にセイって常識外よね」


「ともかく、次のダンジョンボスが発生する前に上に戻ろう。流石に炎壁は何度も撃てない」


 そう言ってタイラーを引き起こし、回復をかけてもらう。

 ホブゴブリンに玩具にされていた若い冒険者のドッグタグは既に無く、その場に置き去りにすることしかできなかった。


「行こう」


 その後、何度かの戦闘を経て、1層へとたどり着く。


「もう闇袋が満杯だな。まだ魔力が大したこと無いから容量も部屋一つ分くらいだしな」


「魔物を部屋一杯って……すごいお金!」


「そのことなんだけどな。ルネとタイラーはギルドへの借金はどうするんだ?」


「もちろん早く返したいわよ」


「僕もです」


「なら、今日の魔物は俺に任せてくれないか?」


 本来であれば、自分の分前わけまえを、簡単に他人に預けたりしてはならない。

 だが、セイが裏切るとも思えない上に、ほとんどセイ1人で倒したようなものだ。


「いいけど、どうするの?」


「錬金術師の知り合いが居てな。錬金術を施した後に売ったほうが金になる」


「それだとギルドに何も納めないってことになりませんか? ルール上は問題ないですが」


「確かに。痛くない懐を探られるのも良い気はしないな。なら、雑魚を何体か納めておくか。ボスや迷宮産魔道具はキープで」


「うん。いいと思うよ。それにたった2日でダンジョンボスまで倒したなんて誰も信じないだろうし」


「よし、話はまとまったな。責任を持って稼いでくる。……キュメイが」


「キュメイ?」


「ああ、錬金術師の名前だ」


「……女なのね」


「ん? それはそうだが」


 やっとダンジョンの出口が遠方に見えてきた。

 ルネリッサは少し不機嫌そうだが、昨日の経験から出口が見えたからと言って警戒をほどかない。

 

 出口まで後少しという所で、後方から殺気を感じた。


「うぐッ」


 タイラーのうめき声とともに、セイとルネリッサの視線が背後と向かう。


 すると、タイラーが黒装束を着た不審な人間に羽交締めにされていた。

 少し前からタイラーは静かだったが、声を発せなかったのだ。


 ――馬車を襲った山賊に混ざってた黒装束と同じ服装だな


 セイが剣を引き抜きながら、尋ねる。


「その手を離せ」


 黒装束の男は何も答えない。


「離すつもりはないって事でいいんだな?」


 セイが剣を構えたときに、タイラーを羽交締めにしている男の背後の暗闇が揺れる。

 更に2人の男が現れたのだ。


 ――敵は3人か


 後方から現れた男が冷たく言い放つ。


「新人のガキが生意気な。始末するぞ」


 殺気を放ちながら、牽制してくる。

 ルネリッサは、背中に針金でも通されたかのように背筋を伸ばした。


「わかった、降参だ」


 セイが剣を持ったまま、手を上に揚げる。


「始めっからそうやってろ。おい、さっさと腕を折ってコイツら、連れてくぞ」


「わかってるっての」


 そう言ってタイラーを羽交い締めにしていた男が、力を込めた。

 タイラーの表情に苦悶くもんが広がり、声が溢れる。


「うぐッ。ぎゃぁあ」


 男は表情こそ崩れていないが、目に愉悦が宿っていることが伝わる。

 セイは剣を握ったまま、苦しむタイラーから目を離さない。


 そして、ゴリッという鈍い音が辺りに響いた。


「がぅうああぁッッ」


 タイラーの叫び声と共に、腕がありえない方向に曲がっていた。

 羽交い締めにしていた男が、残虐に笑いながらタイラーの苦悶を、満足そうに見ている。



 その時、静かにセイが動いた。



 的確かつ研ぎ澄まされた動きとともに、間合いを詰める。


 速度に乗ったまま繰り出された斬撃が、男の首を勢いよく跳ね飛ばしたのだ。


 隙かさず、後ろで指示を与えていた2人の男が、セイと距離を置く。


「新人と聞いていたが、人を斬る動きに全く躊躇とまどいがないな……。狂戦士が狂っているというのは本当のようだな」


 セイのまゆがピクリとつり上がる。


「知らないのか? ダンジョンで襲ってくる人間は魔物と見做みなしていいって冒険者のルールブックに載ってるんだぜ?」


「ルールだからといって、あっさり人を切れるやつは頭のネジ穴が擦り切れてる。まあ、それは我等もだがな」


 そう言って黒装束の2人は左右へと分かれる。


 1人は刀と呼ばれる異国の剣をさやから抜いた。

 刀は鋭いが、脆く繊細な剣だ。


 それを実践で使うのであれば、腕に覚えがあるのだろう。


 もう1人は身の丈ほどありそうなロングソードを背中から引き抜く。

 膂力りょりょくで攻めるタイプなのだろう。


 更に嫌な事にロングソードの刀身が淡く光っている。

 間違いなく【付与】が施された剣だ。


 セイはその二人を冷たい目でにらみつける。

 


「どっちからでもいいから、さっさと来い。家に帰って一休みしたいんだ」

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