第3話 救出

 2日後、セイは10年以上、借りつづけた宿をチェックアウトした。


 普段持ち歩かない着替えや旅道具をまとめたナップサックを持って、宿屋の扉をくぐる。


 宿屋の店主はいつも通り無愛想だった。


 今日だけのことがあるとすれば、何も言わず受付においてあった固い黒パンを押し付けてきたことくらいか。


 何度食べても美味うまい物では無いが、なぜか今日はやたらと塩味が効いているように感じる。


 ――本当に……終わりなのか……


 足取りは決して軽いものではない。

 引退することについて、ある程度気持ちの整理は出来ているはずだ。

 そのくせ、心のどこかでそれを拒否しつづけている。


 そんな葛藤かっとうを抱えた2日間だった。


 迷いを抱えた足で街の銀行へ行き、預金を全て下ろすと、冒険者ギルドへと向かった。


 大金を抱えたからと言って、心をざわつかせることは無い。

 冒険者にとって最も高価なものは常に身に着けているからだ。


 装備だ。


 セイが背中に背負った長杖ながづえ『魔王の杖』は、今ある全財産でも買えないほどの名品だ。

 先端には円状の鏡と、鏡を覆うような幾何学模様きかがくもようの飾りと鈴が付いている杖。


 しかし、その名品も形無し。

 無用の長物として、過去に思いを馳せるアイテムとなるか、日銭に変わっていくのだろう。



 薄暗い将来を考えながら歩いていると、銀行から冒険者ギルドへと、すぐに到着する。


 扉をあけると中は、騒然としていた。

 見慣れた日常とも言える。


 4人ほどの深い傷を負った冒険者達が、回復を受けている。


 ――あれは、確かエトムートのパーティーか。何かあったのか?

 

 皆、満身創痍まんしんそういで、鎧も破損している箇所かしょが目立つ。


 よく見ると、4人のほかにもう1人居た。

 5人目が居たのだが、メンバー達がを分担して持っていた為、すぐには気が付かなかった。


 だが、おかしい。

 エトムートの姿が見当たらない。バラバラの5人目は女でありエトムートではない。


 ――エトムートはどこだ? なぜパーティーリーダーがいない?


「早く寺院で蘇生して来い。死体が腐ると蘇生しにくくなるぞ」


 職員達がメンバー達へ促す。


 寺院とは、この街にあるハイリキン教の寺院のことで、大きな街やダンジョンが近い街にはたいていあるものだ。


 莫大なお布施ふせをせびられる代わりに、高確率で蘇生させてくれる。

 高確率と言っても2回に1回程度の成功率だが。


 確実な死――そもそも死んでいるが――よりはマシなため、多くの冒険者が命を掛けて集めた金を、命のためにせっせとお布施するという不思議な関係を築いていた。


 冒険者ギルド自体も、ハイリキン教と国の共同運営組織であるため、冒険者はもれなく信者扱いでもある。


 セイも形式上は信者ではあるが、死んだ時しか神に祈った経験はない。


「寺院に行く前に教えてくれ。エトムートはどこだ? 今日、アイツと引退する予定だったんだが」


 ボロボロのパーティーメンバーは一同に目を伏せた。

 そして、戦士の男が絞り出すように答える。


「エトムートさんは……死んだ」 


 想定どおりだ。

 冒険者をしていれば死ぬこともある。


「まあ、。それで?」


「どういう意味だ?」


 察しの悪い返答に、悪態をつきそうになるのをこらえた。

 

「今はどこにいる、という意味だ。蘇生はもう受けさせたのか? それとも蘇生に失敗して、灰にでもなったか?」


「……まだダンジョンの中だ」


 セイは目を見開く。


 死体がなければ蘇生も何もない。

 何があっても仲間の死体は持ち帰るのが、本当のパーティーだ。


「リーダーを見捨てて、自分達だけで逃げてきたのか?」


 疲弊していた戦士の男が、セイに掴みかかりそうな勢いで声を張り上げる。


「お前みたいな万年三軍野郎にが何がわかるッ!」


 周りのメンバー達が戦士の男を抑えた。


 ――万年三軍か。合ってるだけに反論できんな


 セイは自嘲気味に笑う。

 当事者が居ない場で、言い争っても何も解決しない。


 まずは情報を整理し、今後を検討しなくては。

 体裁よりじつを取る。

 ずっとそうやって生きてきた。


 苦笑いを浮かべるセイを見ていた戦士の男が更に苛立ちを募らせる。


「アンタ、悔しくないのか!?  全然、攻撃呪文を使えないロートルだと年下の冒険者にもなめられて! そんな男が同期ってだけでエトムートさんとつるんでたのが、ずっと許せなかったんだッ!」


 呪文はダンジョンという人外の領域で生き延びるための術だ。どれだけレベルが高かろうが、それを具現化できる手段が少ないのであれば、必然対応できる範囲が限られる。


 剣がない剣士のようなものだ。


 そこらの新人のほうがセイより呪文を多く覚えている。しかもセイが使える魔術は炎壁だけだった。


 皆、命を賭けているのだ。

 妥協や温情などは二の次にならざるを得ない。


 若い頃はそんな周囲の評価に反発もしたが、近頃は才能が無いことを面罵めんばされることにも慣れてしまった。


「それは別の問題だ」


「違わない! エトムートさんはアンタに――」


 突然、奥から声が上がる。


「止めろ」


 カウンターの奥から白髪混じりでヒゲを蓄えた大男が出てきた。

 少し腹は出ているが、腕は冒険者時代と変わらず筋肉がパテのように盛られている。


 この冒険者ギルドのギルドマスターであるイウリアだ。

 ギルドマスターは、パーティーメンバーとセイの間に、割って入る。


「イウリア」


 ギルドマスターのイウリアは面倒くさそうに、頭を掻きながら、エトムートのパーティーメンバーを向く。


「で、本当の所どうなんだ?」


「……12層にファフニールが出たんだ」


「ファフニールだと?」


 もともとガヤついていた周囲の冒険者達が、輪をかけて騒然とし始める。

 ギルドマスターの視線が更に真剣味を増す。


 本来、ファフニールは、遥かに深い所にいる上位の竜種だ。


「見間違えじゃないのか?」


「実際に戦ったんだ。見間違える分けがない。帰り道で魔力も法力も尽きかけてた所を襲われて……エトムートさんが俺達を逃がすために……1人で残った」


 ダンジョンは深く潜るほど強い魔物が出てくる。しかし、それは絶対の法則ではなく、浅い層であっても強力な魔物が上がってくる事もある。


 運が悪かった。

 言ってしまえば、たったそれだけだ。


 セイはパーティーの横を通り過ぎ、出口へと向かい始めた。

 ギルドマスターが呼び止める。


「セイ、どこに行く?」


「……エトムートを助けに行く」


「聞いてなかったのか? 相手はファフニールだぞ? 残念だが、ドラゴンの腹の中だ。もう深層へ帰ってるだろう。今から行っても間に合わん」


 その言葉が嘘ではない事は理解している。

 同じ釜の飯を食べた仲間が、翌日に死んだなどという経験も初めてではない。


 だが、エトムートとの付き合いは長い。

 死んだからあきらめろ、と言われ、唯々諾々ゆいゆいだくだくできるほど浅い関係でもない。


 何より引退を決意した矢先に、出鼻をくじかれたように感じる。

 冒険者になった目的を達成できていないという未練が、ふつふつと再燃してくる。


 煮え切らない感情を胸に抱えたまま、乱暴にギルドの扉を開けた。

 間髪かんぱつおかず、セイの背中へ、ギルドマスターが声を投げつける。

 

「セイ!」


「少し頭を冷やしてくるだけだ」


 セイは簡単な言葉をだけを残し、ギルドを後にした。


 この街――アリュース砦街――は、ダンジョンにより成り立っている街だ。

 夜中にやっている店など、冒険者達が不安を紛らわすために酒をあおる店か、生死のやり取りにいきり立った感情を吐き出す娼館程度しかない。


 今はどちらも行く気には慣れず、あてもなく街の大通りを歩く。


 これからどうすればいい。

 1人だけで南海岸にでもいくか。


 ――何のために?


 潰れるであろう道場の経営。1億分の1の成功を夢見て若い女を口説く。浜辺で一日中、釣り糸を垂らす生活。


 全く心に響かない。


 友と新しい人生を始めるのであれば、それもアリだと思えたのだ。


 その当人は今、ドラゴンの腹の中だ。

 1人余生を潰すだけの時間を送ることに、どれ程の価値があるのか。


 ――12層にファフニールか


 自然とダンジョンへと思考が流れていく。


 かつての友人、仲間たちも、多くダンジョンの中で死んでいった。

 考えれば考えるほど、才能がない自分が、この年まで生きられただけでも、十分な気がしてきた。


「エトムートの救出。やるだけやってみるか」


 言葉にしてみると不思議としっくり来る。

 胸につかえていた何かが外れた音が鳴った気がした。

 

 間違いなく破滅への福音ふくいんだろう。


 ――分かってる


 理解していて、なお進むのだ。


 冒険者を長く務める人間など、大なり小なり、どこかしら壊れている。


 そもそも金がある生活を悠々自適に暮らすことに価値を覚える人間なら、中年になるまで、迷宮にこもってなどいない。


 ファフニールは12層に出た。

 今から行けば15層辺りで追いつけるかもしれない。


 15層は、ソロで帰ってこれる限界の階層である。

 仮に追いついた所で、ファフニールというドラゴン種の中でも上位の存在に、単独で勝てるはずがない。


 だが、エトムートなら、街一番の冒険者なら、ファフニールを負傷させて、弱らせている可能性は十分にある。


 ――ただの可能性の話だ


 そう思いつつも、ダンジョンへ向かうセイの足取りは、やけに軽かった。



 ◆ ◆ ◆



 次に気がついたときには、セイは走るようにダンジョンの入り口を通り抜けていた。


 入り口をくぐり抜けるや否や、懐から黄色みがかった羽を取り出す。

 そのまま羽へ、魔力を流し込んだ。


 羽が淡く光り始じめ、セイごと周囲を包むように格子状こうしじょうの光ができる。

 光の格子はセイの周囲に展開されているため、移動しても追従してくる。


 通称『鳥かご』である。

 はたから見れば、おりに閉じ込められた哀れなカナリアのようにも見える。


「来い!」


 走りながら、契約しているすべての召喚獣たちを喚ぶ。

 セイの影から枝分かれしたように3つの影が伸びる。


 影が浮き上がり、狼、ゴブリン、少女の形をつくると、被膜ひまくが剥げるように黒い影が落ちて、召喚獣が姿を表した。


「悪いが、急ぐぞ」


 3体の召喚獣は何も言わず、主であるセイに付き従う。

 

 ダンジョンの中は暗闇くらやみではない。

 壁がわずかに発光しており、慣れた冒険者なら明かりが無くても、慎重に進めば問題ない程度には明るい。


 しかし、今は慎重に歩いている時間など無い。

 一刻を争うのだ。

 セイは歩き慣れたダンジョンの道を記憶を頼りに、全速力でけていく。


 ――よかった。まだ地形が変わってない 


 すぐに2層へ降りる階段へたどり着き、3段飛ばしでけ下りた。


 ダンジョンということの性質を一言で表すと、悪辣あくらつに尽きる。

 本人が下へ降りるという意思があるときには、ほとんど罠も魔物も出てこない。代わりに宝も出てこないのだが。


 ダンジョンが牙を向くのは、帰り道である。


 帰る、という思いを持った瞬間に全てが一転する。

 魔物と罠が、これでもかとあらわになるのだ。


 降りる事自体を阻害してくれれば、分不相応ぶんふそうおうな階層へ降りる可能性も減るはずだが、下へ降りるだけなら、たまに魔物と出くわす地下通路にすぎない。


 この仕組のおかげで、実力以上に深く潜りすぎた冒険者は、まず帰ることができなくなる。


 セイは過去に一度だけ、ソロで15層まで降りたことがあるが、その時は、右手を失いながらもうように14層まで辿り着いた。

 死を覚悟した時、たまたま顔見知りの冒険者に助けられ一命を取り留めた。


 それ以来、ソロでは一度も15層へ行っていない。


 ――頼む、間に合ってくれッ


 セイは落ちてきた体力を振り絞りながら、広大なダンジョンを走る。

 所々で、吐き戻し、胃を空にしながら。


 往く道とはいえ、魔物や罠が完全に無くなるわけではない。

 少ないとはいえ、戦闘は起こる。


 一瞬の気の緩みが死に直結する為、普段はもう少し慎重に潜るが、今は時間が勝負だ。

 15階層よりも下へ行かれては、文字通り手も足もでない。


 セイはペース配分も考えず、出会った魔物を全力で叩き伏せ、下へ下へと向かう。

 ほどなく、エトムートのパーティーが、ファフニールと出会った12層へ足を踏み入れた。


 探すまでもなく、ファフニールの証跡しょうせきが目に飛び込んできた。


 グレートボアやキラーマンティス等の死骸が至る所に落ちている。

 それも原型を留めていないものが大半だ。


 12層の支配者でもあり、中堅にとっての最大の障壁であるガーゴイルが10体以上の束となって、ズタズタに引き裂かれている。


「……ファフニールの仕業に違いないな」

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