第4話 迷宮という所
薄暗いダンジョンの通路は
石畳に散らかる死体の数に、ロックウルフが尾を真下に向けている。
怯えているのだろう。
「……行こう」
まばらに存在する魔物の死体は、予想通り13層へ続く階段付近まであった。
――上の階層に登ってはいないようだな
低い可能性ではあったが、12層より更に上に行ったことも想定していた。だが、魔物の死体は12層から一気に増えたため、下の階層へ戻ったと考えるほうが順当だろう。
下に降りる前に、セイは懐に入れていた羽を取り出した。
鳥かごを作った羽である、
もともと純白だった羽の半分ほどが黒く変色している。
羽が完全に黒く変色すると、人は迷宮の中で術を使えなくなる。
――残存量は半分ってところか。急がないとな
続いて、13層、14層を通り過ぎ、久しぶりに15層へと降りた。
「ウッ」
15層には、他の階層の比ではないほどの死体が転がっていた。
亡骸となった魔物達の血の匂いが辺りに充満している。
死体を避けながら歩いていると、突然、奥にあったグレ―トボアの死体が揺れ始めた。
「まだ息があるのか」
前衛として、ロックウルフとゴブリンが進み出る。
セイとバンシーは一歩下がり後衛に回る。
同時にセイは背負った魔王の杖を手に取り、構えた。
大きく毛皮が揺れる。
次の瞬間、グレートボアの肉体を突き破り、何かが一直線に飛び出た。
――グレートボアじゃない!?
飛翔してくる魔物を、召喚獣のロックウルフが迎え撃つように、飛びかかる。
だが、その牙は空中で回転するように
人のような顔もつ白い鳥。
「ハルピュイア!?」
放たれた矢のように向かってくる鳥に対して、ゴブリンが小さな体で受け止める。
だが、ゴブリンは弾き飛ばされ、宙を舞った。
なお、勢いが止まらないハルピュイアの突進を、バンシーが放った水の
――耐えろッ!
何本もの水の鞭が引きちぎられながらも、なんとか角ある鳥の突進が止まる。
「今だ! 背面から攻撃しろ」
疾風の如く駆けたロックウルフが、背中に飛び乗り、人の形をした首へと噛み付いた。
少し遅れて吹き飛ばされたゴブリンも戦線へ復帰し、棍棒で頭を打ち据える。
水の編みに絡め取られたハルピュイアがもがくように暴れると、辺りの気温が一気に低下し始めた。
セイの吐息が徐々に白くなる。
ハルピュイアから強烈な冷気が吹き出し、背中に乗っているロックウルフと横にいたゴブリンに真っ白な
そして、ハルピュイアがゴミでも払うかのように体を揺さぶると、ロックウルフとゴブリンが砕け散った。
――北風の化身め
砕けた2体の召喚獣が、黒色液体へと変わりはて、セイの影へと戻る。
縛り付けていたが水の鞭も凍りつき、パキパキと高い音を立てながら崩れ落ちた。
「やっぱりダメか」
ハルピュイアは本来であれば20層以下に出現する魔物である。
――ファフニールに続いて、場違いな魔物が上がってきてる。何か起きてるのか?
疑問が頭をよぎるが、考え事をしながら勝てる相手ではない。
そもそも格上なのだ。
余念を振り払い、目の前の的に集中する。
「バンシー! 水で攻撃してくれ!」
霧に映し出された少女が頷くと、手をかざし、水の塊を放つ。
放った水は、鳥女へすぐに命中した。
だが、命中した水の塊は弾けると同時、一瞬で氷となって砕け散った。
――水弾じゃダメージにならない
セイはその内に宿る膨大な魔力を、杖の先端へと集める。
魔王の杖についた鏡がわずかに光る。
「炎壁ッッ!」
初発の炎壁より魔力を多く込めた炎の壁が
「炎壁ッ!」
更に、ハルピュイアとセイを隔てる壁を追加する。
前方と、左右を炎壁に阻まれたハルピュイアは狼狽えながら、行き場を無くした。
――今だッ
セイは足を踏み込みハルピュイアへと一気に近づく。
自らが放った炎壁のすぐ
――怖ぇ……
炎壁がなければ一瞬で肉塊にされる。
セイは緊張しながらも、更に魔王の杖へ魔力を込める。
この呪文に込められる上限いっぱいの魔力だ。
「己が思料を焼く激情を以て、全てを熾す障壁と化せ。炎壁ッッ!」
次に放った炎壁は地面と並行に現れる。
炎の鉄板が、一直線にハルピュイアへと向かっていく。
ハルピュイアは逃げる仕草を見せたが、時既に遅し。
炎の鉄板は、逃げ場のないハルピュイアを貫いた。
首から胴体をせん断し、行き場を失った炎が、体の至る所から吹き出す。
「熱ッ」
セイもたまらず距離をとった。
状況を察したバンシーが、セイを水のベールで覆ってくれたが、次々と蒸発していく。
赤青く燃える炎が強烈な光を放つ。
ハルピュイアであった2つのモノが、地面に崩れ落ちても炎は轟音を立てながら勢いよく燃え盛り続けた。
地面から立ち上る3枚の炎壁の徐々に弱くなり、静寂が取り戻した頃に、命を食らった炎が名残おしそうに消えていった。
後には、炭となった鳥の残骸だけが在った。
「なんとか……勝ったか」
魔物を一体狩るためだけに、炎壁を4回も放ち、魔力をかなり使ってしまった。
とは言うものの、致し方ない。
格上相手に温存などを気にして言えば、
セイがゴブリンとロックウルフを、再び影から呼び出す。
「まさか20層の魔物もいるとはな。ここからは慎重に進もう」
セイが前へ進もうとしたとき、金切り声が耳に飛び込んだ。
目を凝らすと、先にある通路と通路が交差した広場に、何かが飛んでいる姿が見える。
先程の鳥女と同種が、5体ほど低空飛行しながら、声を上げているのだ。
「……仲間が……いたのか」
1体でも全力を出し切った。
パーティーならともかくソロでは分が悪すぎる。
同時に5体も相手にするのは不可能だ。
鳥達がけたたましく鳴き
だからって、ダンジョンの中で泣き言を言っても仕方がない。
逃げるにしても、ただ無思慮に背中を
「来るなら来いッ!」
自らを奮い立たせ、魔王の杖を強く握ったとき、周囲の闇が濃くなった。
――何だ!?
突如、近くの通路から出てきた巨大な何かが、通路の淡い光を
何の前触れもなく5羽の鳥たちが、消えた。
巨大な何かに一飲みにされたのだ。
慮外のことにより、寸秒だけ頭が真っ白になった。
それでも、否が応でも状況を理解させられる。
「ドラゴン……」
鳥の魔物5体を一口で飲み込んだドラゴン。
大人3人ほどが横並びで、武器を振りまわせるほどある道幅でも、
鉄色に揺らめく
セイは強烈な存在感に。背中に冷たいものが流れ落ちる。
「ファフニール……。まだ15層にいたのか」
そう望んだはずだが、いざ目の当たりにすると、驚きが勝る。
よく見ると、体の至る所には切り傷がある。
特に首には巨大な剣が刺さっていた。
――エトムートの剣だッ!
よく目にした剣である。
国でも5本の指に入る冒険者が振るった名剣を、見間違えるはずがない。
エトムートに「いつまで驚いているつもりだ?」と言われた気がした。
セイは杖を握りなおす。
「やろうと思ってたところだ。今から助けてやる、待ってろ」
独り言である。
臨戦態勢を察知したファフニールは太い後ろ脚を曲げる。
直後、その巨体に似合わぬ速度で前方へ飛び跳ねた。
まるでバカバカしいほど巨大なバネで、岩塊が跳ね飛ばされたかのようだ。
一瞬で間合いを潰されたセイは、身動きすらできなかった。
ドラゴンは冷たい目のまま、羽虫でもはたき落とすかのように、腕を振り下ろす。
耳を
同時、召喚獣達が消滅した感触だけは伝わってきた。
慌てて周りを確認すると、周囲の壁が切り裂かれ、崩れ落ちていた。
「ダンジョンの地形も無視かよ!」
体中の毛穴が開いたように感じるほどの焦燥感。
本能が告げている。
逃げろ、と。
だが、同時にどうしようもない羨望にかられた。
――この力が……欲しいッ!!
友を助けたいのは事実である。
だが根本に在る欲望がざわついていた。
ファフニールを召喚獣にすることができれば、自分の望みはきっと叶う。
終わったはずのクソッタレ人生を取り戻せるかもしれない。
幻想に
絶対的な死を前に、感情が振り切れていただけかもしれない。
先程と同じように、セイは魔王の杖を構え、詠唱を始める。
ファフニールの警戒が少しだけ上がると、大きく口を開けた。
ドラゴンの喉の奥から
――ブレスか
「炎壁ッッ」
セイの杖についた鏡が光、直ぐ前にいるファフニールの前足辺りから炎が吹き出す。
火柱がファフニールの首や頭部と直撃し、ファフニールの首が炎に包まれた。
にもかかわらず、竜は微動だにしない。
今にも力の塊であるブレスを放とうとしている。
だが、それはセイも同じ。
ブレスが打ち込まれる場所に、
「炎壁ッ! 炎壁ッ! 炎壁ッッ!! 炎壁ッッッ!!!」
炎がダンジョン天井まで立ち上り、巨大な業火が火柱のように立ち上る。
竜種の多くには高い炎耐性を持っている。
本来であれば、炎ではなく氷や雷で攻撃することがセオリー。
だが、セイには炎壁しか無い。
故に全力で打ち続ける。
ブレスの光が集光し、輝きがより強くなった。
セイの魔力は切れる寸前。
それでもその場から逃げはしない。
「炎壁ッッ!!」
最後の一撃。
それは壁というより刃のように薄い炎壁だった。
偶然にも、首に刺さったままのエトムートの剣の刃と炎が交差した。
剣の刃と炎の刃が、竜の首へと深く沈み込んでいく。
――そのまま切り落とせッッ!!
ついに、極太の光線のようなブレスが放たれた。
目が潰れそうな程のまばゆい光が薄暗いダンジョンを照らす。
「クッ」
凄まじい熱量と爆音。
混乱の最中、ブレスが自身を焼き裂いたのではないかと疑ったが、どうやらまだ手先足先の感覚があるようだ。
同時に、妙な浮遊感がある。
薄っすらと目を開けると足元がなくなっていた。
炎壁が、首に当たった事により、わずかに軌道が逸れたのだろう。
放たれたブレスは、セイの足元にあった床一帯を吹き飛ばした。
失われたのは床だけではない。
ダンジョンの層を
「ハハッ、マジかよ……」
さきほどまで踏みしめていた床が無くなり、空中へと投げ出される。
状況を確認する間もなく、重力に引きづられ、セイは崩れる床の瓦礫ごと、下へと落ちていった。
◆ ◆ ◆
顔に水滴が当ったように感じた。
次に、全身に痛みが駆け巡り、嫌でも現実が引き戻される。
どうやら意識を失っていたようだ。
慌てて立ち上がろうとするが、痛みで上半身が上がらない。
寝たまま周囲を確認すると、
――下の階層に落ちたのか
先程のファフニールとの戦いを思い出す。
「あれは無理だ、エトムート。助けてやれなくて、ごめんな」
思わず小さな笑いがこぼれた。
生き残った事に対する安堵か、あるいは落胆か。
一人、軽口を叩くと、下半身から猛烈な痛みがかけ上がってきた。
目をやると、両足が潰れている。
更に悪いことに、セイを包んでいた光の格子が消えていた。
失血のせいか震えが止まらない手でどうにか、懐から羽を取り出した。
純白だった羽が真っ黒に変色している。
「あぁ……」
間の抜けた声が思わずこぼれた。
セイは魔力を体の中で練るが、まるっきり形にならない。
羽が作り出す光の格子。
ダンジョンでは、光の格子の中でしか、人は術が使えないのだ。
足が潰れ、術も使えない状況。
つまり、
死だ。
「まったく。俺らしい死に方だな」
もはやダンジョンを脱出することはできない。このまま失血死か、息を引き取る前に魔物の餌になることが確定した。
いつか戦いや罠で死ぬと思っていたが、ただの動かぬ餌のまま死んでいくとは思っていなかった。
振り返ると、小さな池があった。
エメラルドグリーンに淡く光る水で満たされた池だ。
水面は、風もないにもかかわらず
「生命の泉か……」
ダンジョンの中に稀に現れる奇跡の泉。
その水は、
飲めば、傷を癒やすこともあれば、内臓を溶かし腐らせることもある。
呪文を覚えることもあれば、呪文を失うこともある。
入り口に戻されることもあれば、下層へと放り込まれることもある。
詰まるところ効果は、泉の気分次第という訳だ。
気分次第で殺されては
そのため、冒険者たちは生命の泉を見つけても無視することが多い。
過去、セイも2度ほど見かけたことがあるが、もちろん素通りした。
だが、人が忌避する生命の泉は、魔物にとっては特別な意味を持つらしい。
魔物たちは、なぜか生命の泉に惹かれ、近寄ってくるのだ。
本来、はるか深淵にいるはずのファフニールだけではなく、いつもは20層に居るハルピュイアが浅層へ上がってきた理由が図らずも判明する。
上位の魔物たちはこの泉を探して、わざわざこんな浅層に上がって来ていたのだ。
「ハハッ、ヒィ、ァハッハハーッ」
心底、どうでもいいと、次は壊れたように笑った。
ひとしきり笑った所で、セイは
――どうせ、このまま死ぬんだ
全く運に恵まれなかった。
生命の泉が傷を癒やしてくれるとも思えない。
万が一癒やしてくれた所で、羽が無いのでは術も使えない。
術が使えない生身の人間など、魔物からしたら、ただの動き回る肉でしかない。
だが、何もせずに死ぬことが
それだけだ。
池のほとりまで
セイが愛用していた魔王の杖だ。
「よう、相棒」
一緒に転落したのだろう。瓦礫に埋もれたかと思ったが、泉の中へと落ちたようだ。
魔王の杖をつかもうと、水面へ手を伸ばした時、前方へ重心が
体制を立て直そうとするも、潰れた足では踏ん張りが効かない。
そのまま頭から池へと転落した。
泉は思った以上に深く、勢いよく落ちても、水底には全く届かない。
普通の水ではないのか、体は、ひたすら沈んでいく。
――上から見た時はただの泉だったのにな
潰れた足ではあがくこともできず、だた沈んでいく自分を、どこか他人事のように思えて仕方ない。
どれだけ深いのかと半ば呆れている自分と、この期に及んで泉の深さを考えている自分を嘲笑っている自分がいる。
息を止めておくことも限界になり、エメラルドグリーンの水が
一口、飲むどころではない。
全身に浴び、あまつさえ、溺れている。
底へと沈んでいく中、生命の泉の水が体中に浸透していくことが分かる。
全身から力を抜けていく。
――やっぱりな
大して期待していなかったが、やはり呪いをひいてしまったようだ。
20年以上かけて蓄積した力が、全て抜けていくように感じる。
ただ力を求めていた。
されど、人並みに呪文を習得する事ができなかった。
それでも諦め切れず、パーティーに寄生し、
最期は、人生を賭けて集めた取るに足らない力も、すべて失っていく。
――どうして……こうなったんだ
徐々に頭が
――俺はただ、奪われた故郷を、取り返す力が欲しかっただけなのに
意識が不明瞭になりかけたときに、エメラルドグリーンの水中で視界に何かが飛び込んできた。
乳白色の何かに、黒く長い
水中を漂うセイが謎の物体に惹きつけられるように、近くまで流れ着いた。
――お…ん……な?
裸の少女だった。
セイは訳も分からず、無意識に長い黒髪の少女の腕を掴んだ。
突如、体を包む水が消えた。
放り投げられたかのように、体が急降下していく。
そして、ドカッと音を立て、固い物に叩きつけられた。
目を開けると、そこは見慣れた所だった。
「ダン……ジョンの……入り口?」
駆け寄ってくる衛兵の足が見えたが、血を失いすぎたセイは気を失った。
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