第5話 若返り

 セイがいるアリュース砦街から、遠く離れた場所。


 松明たいまつが揺らめく暗闇の中に、深くフードをかぶっている者が3人がいる。

 3人は、光る水が揺らめく地底湖のふちに立っていた。


「見よ。生命の泉の水位が下がっている。世界の何処いずこかで、かえりみぬ愚か者が、禁忌を犯したようだ」


早計そうけいでは? 大病や呪詛じゅそでも癒やしたのやもしませぬ」


「それにしては減りすぎじゃね? 怪我を治す程度じゃ、こんなに減らないっしょ」


「魔王の杖が行方知れずになって、廿にじゅう年以上経っておる。回春の法が行われたと考えるのが妥当であろう」


「しかし、情報がどこからか漏れたというのでしょうか。回春の法はすでに失われた法。我等以外に知る者がいるとは思えませぬが」


「わからぬ。我等以外に知っていた者がいるのやもしれぬし、偶然かもしれぬ」


「偶然に起こり得るものでは、ありますまい」


「あぁぁ、だりぃ。どっちでもいいんじゃね? さっさと大馬鹿野郎を、殺して終わりにしようぜ」


「若返りは在ってはならぬ。世の安寧あんねいの為に」


 3人組は暗がりの中へ静かに、消えていった。



 ◆ ◆ ◆



 気がついたときには、寺院のベッドの上にいた。

 回復の法術ほうじゅつを使われたのか、体の傷が癒え、足も元通りになっている。


 何度も来たことのある場所だ。


 ――ハイリキン教の寺院か


 冒険者と怪我は、親友まぶだちを通り越して一心同体のようなものだ。

 その度、お世話になるのだから、嫌でも覚える。


 ――早く出ないとな


 いつもの様にベッドから降り、立ち上がると、血が足りないためか、足がよろけた。


 何とか踏みとどまり、よろめきながら出口へと向かう。


 寺院は慈善事業ではない。

 むしろボッタクリと言っていい。


 タイムチャージで信じられないほどの利用料が積み上がっていく。

 悪質な飲み屋の女が、女神に思えるほどの値段を請求される。


 そのため一刻でも早くこの部屋から出たかった。


 部屋から出ると、何度も顔をあわせたことのある神父が、すぐに近寄ってくる。

 セイは早く話を済ませたい一心で、結論だけ伝えた。


「金は以前預けた分から引いておいてくれ」


 慣れた冒険者は寺院にお布施という名の前払金を収めているケースが多い。

 金がないなら蘇生も治療もしない、と真顔で言う連中だからだ。


「神の慈悲を無碍むげに扱うと、良いことになりませんよ」


 強欲神父が笑顔を向けてくる。


「だから金は払うと言ってるだろ。それとも預けた金じゃ足りなかったか?」


「あなたから寄進きしんされた浄財じょうざいはありません」


「何を言ってる? 少なくない額を預けていただろう? セイの名前で調べてくれ」


 神父がわざとらしく息を吐いた。


「セイさんは存じあげておりますよ。、熱心な信者ですから。でもあなたのような若いセイさんは存じ上げません」


「若い? 俺が?」


 どうも話が噛み合わない。


「ええ、とてもお若いですよ。まるで生まれ育った故郷を昨日、飛び出してきたばかりのようです。その貴方が、何故このような強力な杖をもっているのかは、わかりませんが」


 神父が魔王の杖を手渡しくてる。


 混乱しながらも、慣れ親しんだ愛杖あいじょうを受け取ったとき、自らの手が視界に入った。


 手の甲に浮き上がっていた血管が、ハリのある肌の奥底にしまい込まれている。

 まるで自分の手ではないようだ。


 ――何だこれは!?


 セイははやる気持ちを抑えながら、神父の視線も気にせずかわやへと急いだ。

 扉を乱暴に開け、鏡をのぞき込む。


 そこには見覚えがある十代中頃の少年がいた。

 遠い昔の自分の姿だ。


「何が……起きた?」


 考えがまとまらない。

 今日まで生きていた記憶は妄想もうそうなのか。

 実は自分はまだ若くて、悪夢でも見ていたのだろうか。


 だが、あの神父はつてのセイを知っていた。

 つまり実在したはずだ。


「……まさか」


 ――若返ったのか?


 生命の泉には奇跡と呪いがあると言う。


 呪いは明確だ。体に溜め込んでいた膨大な魔力や法力を殆ど感じなくなった。

 代わりに、若さゆえの活力にあふれている。


 訳がわからないまま、強欲神父がいる場所まで戻った。


「他の……荷物は……ないか?」


「身一つで、ありませんよ。の方も何もお持ちでない。というより何も着ておられませんでしたが」


「連れ?」


「あちらに」


 神父はセイが寝ていたベッドの隣を指し示めした。

 そこには長い黒髪の少女が寝ていた。


 まるで絵画の中から出てきたような白く美しい肌と艶やかな黒髪。

 目をつむっているが、容姿が恐ろしく整っていることがわかる。


 服は孤児たちに分け与えられる質素なワンピースが着せられていた。

 さすがに治療対象を裸で放置はしなかったようだ。


 そして、服を着た状態でもわかる程の豊満な女性らしさを主張している。


「……幻じゃなかったのか」


 酸欠により見た幻かとも思っていたが、どうやら現実だったようだ。


「貴方と一緒にずぶ濡れで倒れていたようですが。ご存知ではないのですか?」


「…………」


 セイは答えに詰まった。

 他人ではあるが、自分が連れ出したような気もする。

 だが、なぜ生命の泉の中に、人が居たのかは全くわからない。


「知り合いといえば知り合いだ。……代金は自分が払う」


 セイは全財産を入れていたバックを探したが、どこにもない。

 杖以外の財産を迷宮に置いて来てしまったようだ。


 しかたなく、迷宮産の魔道具である指輪を外した。

 それを神父の手へ押し込めると、少女を置いたまま、すぐに寺院を後にした。



 もともと指輪以外にも貴重な装備品を身に着けていたはずなだが、見当たらない。

 気を失っている間に衛兵や他の冒険者、もしかすると強欲神父にでもられたのだろう。


 だが、今は失った装備品などどうでもいい。


 セイは走りながら冒険者ギルドへ向かった。

 ギルドの扉をあけ、ずいずいと中へと進み、鑑定器の台座に血を垂らした。



 ■種族 ヒューム

 ■レベル Lv1

 ■ジョブ 召喚師


 ■ステータス

 闘気 2

 魔力 3

 法力 3

 念力 4

 霊感 1


 ■術

 魔術 Lv10(MAX)

 法術 Lv10(MAX)

 念術 Lv10(MAX)

 召喚術 Lv10(MAX)



 やはりレベルが1に戻っていた。

 想定はしていたが、心が激しく波ち、かき乱される。


「君、それは冒険者用の鑑定機だよ。登録は終わってる?」


 いつもギルドに居る受付嬢がカウンター越しに話しかけてきた。

 セイであることに気がついていないようだ。


 そこで、ハタと我に帰る。


 ――正直に話した方がいいのか?


 何も悪いことをしたわけではない。

 だが、ダンジョンによって若返った人間は、禁忌を犯した人間として裁かれると聞く。


 偶然によるものか、など一切勘案かんあんされないだろう。

 良くて、奴隷に落とされるだろう。最悪、即処刑。

 法を作る貴族達にとっては、冒険者など居なくなっても問題ない消耗品でしかない。


 ――隠し通すしかない、か


 それに誰が信じるだろうか。

 若返る方法は、生命の泉に飛び込むことなどと。


 今回は偶然かもしれない。

 次、飛び込めば骨も残らぬほどに溶けてしまう可能性も十分ある。


 ――これからどうする?


 エトムートを助け出すのにもLv1では話にならない。

 1層ですら危うい上に、自分が何日の間、意識を失っていたのかもわからない。

 もう救出が間に合うことも無いだろう。


 レベルが初期化されたことは、確かに憤懣遣ふんまんやる方無い。

 セイにとって力は全てだった。それを失ったのだから。


 だが、若返った。


 若さは、それだけで価値がある。

 今後の身の振り方を自らの意思で選択できるからだ。


 脳裏に今までの記憶が押し寄せる。


 楽ではなかった。


 いや、控えめに言っても、いつ死んでもおかしくない地獄だった。

 ダンジョンあなぐらの中で、泥水をすすり、血反吐を吐く人生など、二度とごめんだ。


 今は若い肉体が手に入った。


 次は楽な人生を送りたい。誰だってそう思うに決まっている。

 商人や農民になって命のやり取り無く、日々を過ごす。

 恋人を見つけ、結婚し、子どもの成長を喜ぶ人生。


 悪くない。


 将来を予想するだけで、胸の奥がじんわりと温かく感じる。


 このまま何事も無かったかのように、冒険者ギルドを出て、ダンジョンのない街へ行き、職を探す。

 ただそれだけで、人並みの人生が手に入る。


 では、なぜ自分が冒険者などになったのか。


 国も故郷も家族も、すべてを魔物に奪われたからだ。

 だから、力が欲しかった。


 奪われたすべてを取り返したいために藻掻もがいた。

 もはや人も住まぬ魔物の楽園となった地を、だ。

 死んでいった両親や兄弟へ伝えたかった――あなた達の死には意味があった――と。


 そう考えると、胸の奥底に熱がもる。

 己を焼くような強い熱が。


 ――そうだ。捨てられるわけがない


 人は己の意思で生き方を選べるが、意思は過去の積み重ねにより形成され、未来は過去の延長線上にしか存在しない。


「今度こそ取り戻す。必ず」


 一気に思考が明瞭クリアになった。


 目標は定まった。

 次は登り方だ。

 前と同じルートを行くか、それとも違うルートを行くか。


 もちろん違う登り方を採る。

 当たり前だ。

 同じルートを選べば、同じ過ちを繰り返す可能性の方が高い。

 

 かつての自分にはできなかった方法がある。


 リスクを取らず、日常を続ける事を選んできた。

 だか、全てをリセットされた今、恐れるものはない。


「ちょっと聞いてる?」


 反応しないセイに対して、受付嬢が再び話しかけてきた。


 現実に引き戻されたセイは、意を決したようにカウンターへ向かう。

 手に持っていた虎の子である魔王の杖を差し出した。


「この杖は、あのダメ召喚師の……」


 受付嬢は、なぜこの青年が他人の杖を持っているのか、と少し戸惑っているようだ。


「僕はセイの親戚です。この杖は貰いました」


「そう言われれば……確かに似てるような? 彼は今どこに?」


「引退して、南海岸に行くそうです」


 受付嬢の顔が曇る。


「そう……1人で行ったのね。結局」


 どこか名残惜しそうだ。

 ほとんど仕事の話以外したことはないが、新人の頃から知っている職員だ。

 思うところはある。


 だが、今はやるべきをなす。


「あの、この杖を売って、魔導具を買いたいのですが、いいでしょうか?」


「ええ、魔導具の取り扱いはギルドで出来るけど、何が欲しいの?」


 ダンジョンで取れた魔物が一部や魔導具などの売買を一手に預かるのはギルドである。

 それこそが、冒険者ギルドのビジネスの根幹でもある。



「この杖を売って【英雄のコイン】を買います」


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