二章 狂戦士

第8話 歴女

「ファリン、急ぐぞ」


 若くなったセイは、アリュース砦街の大通りで、1人焦っていた。


 問いかけに少しだけ反応したのは黒髪の少女。

 セイが生命の泉の中で出会った少女だ。


 ファリンは音楽を再生する魔道具を物珍しそうに見ている。

 偶々たまたまではない。大通りに出てからというもの、日用品を見つける度に、ジッと観察することを繰り返している。


「ファリン、その魔道具は他の所でも売っているから。とりあえず駅までいくぞ。次の馬車が着ちまう」


「……うん」


 セイは20年以上住み慣れたアリュース砦街を離れることにした。

 アリュース砦街にあるダンジョンは中級者以上向けであり、Lv1の初心者前衛が過ごす場所としては適さない。

 また、図らずも若返りという禁忌を犯した為、自分を知る者が多い場所を避けた方がよいと考えた。


 転職の結果にしばらく茫然自失ぼうぜんじしつした後、我に帰ったセイは急いでハイキリン寺院で寝ていた彼女の所まで戻ったのだ。


 彼女が心配だったからではない。今のセイに他人を心配しているだけの余裕などない。


 理由は、彼女がセイの若返りを知っている可能性があったためだ。

 隠し通すと決めたセイは放置もできず、すぐに交渉するために向かったのだ。


 だが、全く話が噛み合わなかった。

 セイが寺院の救護室に入ると、ファリンは既に意識を取り戻しており、ベッドの上で、呆然と辺りを眺めていた。


 呆けている彼女に対して、慎重に言葉を選びながら、話しを投げかけてみたのだが、名がファリンであるという事以外、生まれや年齢はおろか、どこで何をしていたか等、全く分からないと言うのだ。


 なぜ生命の泉の中にいたのかすら、記憶にないそうだ。


 ファリンはダンジョンの中にある生命の泉にいた。

 ならば、ダンジョンがあるこの街に縁があるかもしれないと思い、街を案内してみたが、全く思い当たるものがないらしい。


 身元が不明な記憶喪失の少女。しかも、セイが禁忌を犯した事を知っている可能性がある者を放置するのは、リスクが高すぎると考えた。

 一緒についてくるかと打診した所、ファリンは迷わずついていくと答えたのだ。


 セイは魔道具のそばを中々離れようとしないファリンの手を引いて、馬車が留まる駅へと急ぐ。


「ねえ、セイ。いづこに?」


「いづこって。昨日話したろ? ニゲロイトっていう街に行くんだ」


「了解せり」


 ファリンの言葉はとても古い。

 現代では全く使う人が居ないような表現を当たり前のようにする。

 また、あまり話すこと自体が得意ではないようだ。


 手を引きながら駅へと向かっていると、ファリンが空へと指を差した。


「セイ。御神地がさやかに見ゆる……」


「さやか?」


 セイはファリンが指差した方を見る。

 空には太陽と雲があり、雲の間にはが見える。


「ああ、東大陸のことか。御神地なんて、二世界説時代の名称だろ。この世は球状の世界だって、もう150年以上前に証明されただろ?」


「球状? 国津の大地と天津の大地あらず?」


「なんだ? そんなことも忘れたのか? 世界は球体で、俺らが立ってる大陸は球のにある。球の真ん中に太陽があって、反対側の陸地が見える。昔は上の大陸には神仙が住んでるなんて言われてたようだが、実際に一周回った人がこの世が球体の内側だって証明したんだよ」


「この世が球体……信ぜられず。それならば世界の外には何あり?」


「信じられないって、いつの時代の話だ。世界の外、つまり大地や海の下には、魔物たちの世界があるって話だ。ダンジョンが地下に伸びてるからな」


「ダンジョン……」


 ファリンが困惑したように頭を抱えている。


 ――まさか本当に百年前以上の人間じゃないだろうな?


 ダンジョンは人外の魔境。何があってもおかしくはないが、普通に考えれば生命の泉の中で何年も浸かっていることなど不可能だろう。息ができなければ10分も立たずに死んでしまう。

 ファフニールのブレスによるダンジョンの崩落時に、たまたま近くにいた冒険者が、巻き込まれて生命の泉に落ちたというのが、最もあり得そうな話だ。

 現実的に考えれば、一時的な記憶の混濁こんだくだろう。


 ――やっぱり歴女ってやつか


 ちなみに、セイは歴女の意味を完全に間違えている。

 長年、人との馴れ合いを最低限にし、穴蔵ダンジョンなどにこもっているのだから、俗世的な潮流からは取り残されて久しい。

 だが、悲しいことにそれを指摘してくれたエトムートという友はもう既にいない。


 話を戻す。

 長くこの街で冒険者をやってきたセイが一度も見かけたことのない少女というのが少し気になっていた。

 これほどの美女であれば、一度見かければ忘れようがない。


 ――まあ、俺と同じで、少し前まではもっと年上だったのかもしれないな。下手をしたら、おばあちゃんだったかもな


 となればファリンも若返りという罪を犯したことになり、このまま街に居続けることは同じく危険だ。

 ファリンが若返ったことが公然のもとにさらされれば、ダンジョン入り口に同時に出現した自分へ疑惑が降りかかることは火を見るより明らかだ。


 記憶が戻った後、ファリンがどんな判断をするかは彼女自身に任せるとして、健忘時の間だけは面倒を見ようとセイは決意していた。


「ともかく、早くしないと馬車に遅れちまう。乗り合い馬車はまってくれないからな」


「……わかれり」


 二人は町外れにある馬車駅まで急いだ。


 ◆ ◆ ◆


 セイとファリンは2頭の馬が引く、乗り合い馬車に揺られていた。


 あまり造りが良くないのか、激しい振動が長時間、続いている。

 もし40代の体のままだったらならば、かなり腰にキテいただろう。


 ――若返ってよかった


 街を出てから既に10日経ち、今は真昼時に差し掛かっている。


 馬車は、秋風が吹き抜ける中、なびくススキ野原の中を通り過ぎている。

 そのススキをセイは窓から眺めていた。


 ――さっさと新しいダンジョンに着いてくれよ


 はやる気持ちを抱えたまま、10日の間に12の町や村を通過していった。

 集落に着く度に同乗する乗客が変わったが、3人だけ変わらない者がいる。

 

 セイとファリン。そして、赤茶色のフードを深くかぶった者で、性別すらわからない。セイ達がアリュース砦街を出て、最初についた村で同乗して以来ずっといる。


 今朝、近くの村を発った時に、とうとうフードをかぶった者と3人だけとなった。


 セイは車窓から車内へと目線を移し、向いに座っているフードの者へ話しかけた。


「あんた、どこまで行くんだ?」


「……」


 フードの者は、横に置いた大きなカバンを体へ抱き寄せ、首だけがそっぽを向いた。

 赤茶色のフードに隠されているため、本当に首を動かしたのかはわからないが、何となくそう感じた。


 特段仲良くしたい意図はなかったが、長く一緒にいるのに全く話しかけない、気まずさを紛らわせたかった。

 結果は拒絶。


 ――なんだよ、挨拶くらい返してくれてもいいだろ


 セイは口をすぼめて頬杖ほおづえをついた。

 その後、しばらく社内は馬車が地面を転がる音だけが響く時間が過ぎていく。

 ファリンはほとんど会話もせず、窓外を眺めている。時折、ウトウトとしてセイの肩へと頭をあずけて寝るだけだ。

 やはり、10日経っても、ほとんど何も思い出せないらしい。


 次第にススキ野原には木々が増えていき、日が傾き始めた頃には山道に差し掛かった。


 2頭の馬が力を入れ、山の上り坂をいななきながら登り始める。

 野原が視界から消えさり、赤い夕日に照らされたた森だけが見えるようになったころ、突然、馬車の中にトンッという音が響いた。


 その音に聞き覚えがあった。


 ――弓矢?


 日が落ち始めた頃に、森の中で馬車に弓矢が突き刺さる。

 普通に考えれば誰かに襲われたのだろう。


「止まれ!」


 外から怒号が飛ぶと、馬車が急停車した。

 反動で、セイは前へ崩れそうになりながらも、踏みとどまる。


 窓から外を静かにのぞいてみると、10人近くの見すぼらしい身なりの男たちが馬車を囲うように出てきた。


 ――山賊か。珍しいな


 貧乏人が乗る乗り合い馬車が盗賊に襲われることは、あまりない。

 狙うなら金目の物を積んでいる商隊や豪華な馬車を狙ったほうがいい。

 その分、護衛などもいるのだが、身入りがほとんどないのであれば、そもそも意味がない。


 例外があるとすれば奴隷狩りくらいだろう。

 しかし、奴隷狩りは当然、犯罪であり、見つかれば縛り首となる。

 そのため国境付近で他国民を狙うことが通例だ。国内でやるにはリスクが高すぎる。


 ――ただのカツアゲか


 必然、山賊たちの用件は、通行料をせびる程度と考えられた。

 今は事を荒げたくない。

 また、僅かな身銭しか持っていないため、金銭を盗られる事自体はいい。


「出ろッ」


 荒くドアを開けられる。

 扉側にいた座っていたフードの者が手を振り払おうと拒んだが、無理やり引きずり出された。


「キャッ」


 女の声と共に、赤茶色のフードが剥がれると、長い金色の髪が舞う。

 スラリと伸びた手足に尖った耳に、美しく整った容姿。


 ――エルフだったのか


 エルフは長命であるため実年齢はわからないが、何の加飾も必要ないほど美少女という言葉がぴったりな女の子だった。


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