第1話 山の民のエル
一山の民エル
「エル? ナイフを取って」
母さんが小さい声で話す。木々の葉がこすれる音がしていた。じっと森の気配を感じ取るが、この周辺にエルたち以外生き物の気配はない。
「いい? 薬草は根こそぎとっちゃだめ。根元から少し離したところに刃をあてて」
「はい。母さん」
小さいときは母さんの見よう見まねでモギモギ草をむしりとっていたが、いまはナイフの刃をあてて綺麗に採ることができる。
「上手に採れるようになったわね、大きくなった」
母さんは微笑んだ。
「ずっと前から上手にとれるようになってるもん」
エルは片方の頬を膨らませる。
「さて、問題です。モギモギ草ってどんな効能がある?」
母さんの抜き打ちチェックだ。簡単、簡単。ちゃんと覚えているもんね。
『あのね、僕たちはね』
モギモギ草が話しかけてきた。
「だめだめ、エルが覚えないでしょ」
母さんがストップをかける。
山の民は自然のものと話ができるのだ。
「大丈夫、ちゃんと覚えているもんね! 止血剤でしょ?」
エルは誇らしげに答えた。
「モギモギ草はね、いくらあってもいいの。魔力が少なくなって、自分がケガしたときにも使えるからね。魔獣がケガをしているときがあるから、手当てしてあげられるし。モギモギ草は必ず収納袋に入れておくのよ? 収納袋に生のまま入れておいてもいいし、乾燥させておいてもいいわ」
「ナジエ草もあったほうがいいんでしょ」
「エルはよく覚えてるわね。賢い賢い」
母さんは微笑んだ。
エルたち家族は山の民だ。山の民は、山神様からどんな生き物の声も聞くことができるという特別な祝福を与えられている。その祝福を使って、エルたちは魔獣などの生き物の卵や種、薬草を集め、里の村や冒険者登録所に売って暮らしている。
でも、いいことばかりではないの。
たまごハンターは敬われつつも恐れられているから、村の人たちと仲良くはできないんだって。魔獣と仲がよいし、生き物の声が聞こえるからね。
ちなみに、エルは卵の声も聞くことができるんだ。
「すごいわ。エルはきっと一流のたまごハンターになるわ」
父さんと母さんによく褒められる。褒められるっていい気持ちだよね。ちょっとくすぐったいけれど。
たまごハンターとは、正式に言うと種卵採集家。たまに、たまご泥棒といわれたりもする。山の民に多い職業だ。
しかし、たまご泥棒って失礼だよね。私たちは泥棒とかしないもの。私たちはちゃんと魔獣や動物たちに取っていいか確認してもらっているんだよ。普通の人にはそれが泥棒しているように見えちゃうのかもね。
それに私たちがいないと薬師や魔法使いたちが困るはず。珍しい植物のタネや魔獣の卵などの素材を集めるのは、大変だから。無理やりとると、大災害が起きたり、魔獣たちと戦争になったりするの。
「人間の都合だけを優先させてはいけない。皆の平和のためにたまごハンターに任せてほしい」
父さんと母さんがよくこぼしている。
私、エルは十四歳。
山の民は、厳しすぎる山の環境から子どもを守るため、里山に降りることがある。父さんと母さんは私を育てるために山のふもとに降りてきた。現在、私の家はチヒキイ山のふもとの西、ナワニ村の近くにある。十五歳になったら私も大人。山の家に帰ろうと話が出ていた。
きょうはなんだかおかしな日だ。山の生き物たちも里の生き物たちもざわついている。天気も晴れたり曇ったり。今までにない感覚だ。
何かがある?
気になったので窓から外をじっと見ていると、強い風が吹き始めた。木の枝が大きくしなり、葉や砂が舞い上がっている。
「父さんは?」
「きょうは山に登って、魔獣の見回りをするって言ってたわよ」
「大丈夫かな。天気が何だか変なの。生き物たちもざわついているし」
母さんに真っ黒い雲が来ていることを教える。雲の流れも速く、どんどん黒い塊が押し寄せてきていた。ジトっとした湿り気も感じる。
母さんも窓際にやってきた。
「本当だわ。ひどい風ね。きっと父さんなら大丈夫よ。とっても強い、腕利きのたまごハンターだからね。それに父さんのパートナーはドラゴンよ」
母さんは微笑んだ。でも本当は心配しているみたい。母さんは黒い雲を注視していた。
たまごハンターには相棒のパートナーがいる。だいたいは魔獣や神獣といった生き物が多い。ちなみに父さんのパートナーはドラゴン、母さんのパートナーは山神様の大狼だ。ドラゴンさんと大狼さんに私は生まれた時に一回だけ会ったことがあるらしいだけど、覚えていない。
パートナーはあまり人前に現れることがないんだって。残念。
「父さんが早く帰ってくるといいね」
母さんのあったかい身体にぎゅっと抱き着くと、母さんも私のことを抱きしめてくれた。
「エル? 最近、髪の毛の手入れ、している? なんかゴワゴワするんだけど」
母さんはエルの髪をなでていたが、その手が止まった。髪の毛の手入れをやっていないことがバレたらしい。
「……ええと」
髪の毛の手入れをするよりも、薬草の調合をしたり、山で遊ぶ方が楽しいので、外見のメンテナンスは疎かになっていた。
「肌の手入れは? あら、乾燥してるわね。ちゃんとオイルを塗ってね? せっかくの白い肌が台無しよ」
母さんが小さくため息をつく。
「せっかく可愛いのに。キレイにしていると、自分に自信がつくのよ。サラサラの綺麗な黒い髪に大きな黒い目。おまけに白い肌なんだから、ちゃんとメンテナンスすること。約束よ」
母さんが苦笑する。
「はあ」
「もうすぐ十五歳。大人になるんだからね。恋人とかもできちゃうかもしれないわよ」
父さんは背が高くて顔立ちが整っているし、母さんも優し気な雰囲気の美女だ。二人とも若いときはきっとモテモテだったと思う。私はというと、父さんと母さんの容姿が遺伝しているとは限らないけれど、父さんと母さんはよく可愛いと褒めてくれるので、そこそこなんだと思う。
「だって、それより卵の本を読んだり、山で薬草を探したいもの」
とりあえず抵抗してみる。
「自分のことは自分で。外見も含めきちんとやること。美人は一日にしてならずよ」
「美人じゃなくていいし」
「美人っていうのは、形の問題じゃないの。自分を見つめ、自分を大切にしている人のことよ」
母さんに怒られた。
「雨だよ。雨がきた」
大粒の雨がポツンポツンと来たと思ったら、ザーっと一気に振り出した。
母さんの顔色は悪くなった。雨はとどまることなく三日間降り続き、父さんは帰ってこなかった。
「じゃあ、行ってくるわね」
母さんのパートナーの大狼が山の土砂崩れの危険を連絡してきたらしい。父さんもどうやら山が崩壊しないよう、ドラゴンと動いているみたいだった。
「父さんだけじゃ無理かもしれないわ」
母さんも山に向かうことにした。
「絶対帰ってきてね」
「大丈夫よ」
母さんは私の髪をなでて、それから強く抱きしめる。
嫌な予感がした。本当は行ってほしくなかった。でも父さんのことも心配だった。
行かないでという言葉をぐっと我慢する。
「パートナーの大狼も連れて行くから大丈夫よ。でも……、もし父さんと母さんが帰らなかったら、薬草をもって村に行きなさい。お金に変えてね。一人で暮らすのよ?」
「わかってる。でも、……母さん、帰ってきてね?」
母さんはエルの頭をポンポンと叩いた。
それからも雨はずっと降り続き、一週間たっても十日たっても、父さんと母さんは帰ってこなかった。
村には、膝の位まで川の水があふれ出していた。私の家は山の麓にあるから洪水の被害はなかったけれど、村は大変だろう。
父さん、母さん、どこにいるの? 帰ってきてよ。
毎晩泣きながら寝た。
二週間後。ようやく空が晴れた。水もゆっくりと引いていったが、父さんと母さんはとうとう帰ってこなかった。
外に出て、山を見る。村人二人が山を登っていくのが見えた。エルはそっと後をつけた。
「山の方でがけ崩れがあったそうだ」と村の人が言っているのが聞こえた。
父さん、母さん。大丈夫かな。無事でいてほしい。
庭先でぼんやりしていると
「エル、父さんと母さんは? やっぱり帰ってきていないのか」
「二週間、帰ってきてないの。ずっと帰ってこないの。どうしよう」
村長がエルの家にやって来た。
「お母さんはなんて言って家を出たんだ?」
「帰ってこなかったら、薬草を売って暮らせって」
村長はエルの顔をじっと見た。
「こんな時にこういうことを言いたくないんだが、山の民で種卵採集家だけがこの家に留まれるという決まりなんだ。もうすぐ15歳になるだろう? お前ならきっとどこかで暮らせる。すまないな、エル。なるべく早くこの家を出ていってほしい」
村長のカナドが頭を下げる。カナドは申し訳なさそうな顔をしていた。
「そっか。そうですよね」
だから母さんが薬草をもって村に行けと言ったんだね。村の役に立つことを示せっていうことだったんだ。
でも村長に出ていけと言われてしまった。どうしよう。家の中のものはほとんど村の備品だ。父さんと母さんの私物や食料、リネンなどは私のスキルを展開して格納すれば、すぐに引っ越せるだろう。エルには格納というスキルがある。スキルは神様からの祝福と言われ、スキルを持っている人は少なかった。
引っ越しか。
家の中をぐるりと見る。父さんと母さんと一緒に暮らしたこの家を離れないといけない。
心臓がギュッと痛くなった。
「本当に済まない。次のたまごハンターがすでにこちらにむかっているんだ」
村長のカナドがもう一度小さく頭を下げた。
「わかりました」
薬草を売ったお金と2日分のパンと果物を収納袋に入れておこう。収納袋とは、品質を保持したまま入れられる袋で、見た目よりも5倍のものが入れられる。貴重品は収納袋よりもスキルの格納のほうがいいだろう。
一番の問題は住むところだ。どうしよう。これからどこに住めばいいんだろう。何をしてお金を稼いでいけばいいんだろう。薬草を売ると言っても、この村からは追い出されてしまう。父さんと母さんはもういない。これからはひとりだ。
どうやって暮らしていこう。私にできることって……?
そうか。私も種卵採集家、たまごハンターになれば、家に住めるってこと?
心配した森の魔獣、ルビーキャットが足元にやってきた。すりすりと身体をこすりつけ、エルの顔を見る。
大丈夫と小さな声で伝えると、ルビーキャットは小さく頷いた。森に棲む動物や魔獣たちが木々の間からこちらを伺っていた。
「ひいい」
村長は悲鳴を上げた。
「何もしません。父さんと母さんがいないので、心配して様子を見に来てくれたようです」
「そ、そうなのか」
村長の顔色は悪い。手が少し震えていた。
驚かせてしまったみたいだ。
エルは苦笑した。
気まずい沈黙が流れる。
「エルのお父さんとお母さんは立派だった。山の生き物たちを助けようと動いていて、土砂に巻き込まれたらしい」
村長のカナドは目を伏せたままだ。
「そうなんですね」
母さんは父さんに会えたかな。やっぱり父さんと母さんは死んじゃったんだね。父さんと母さんのパートナーのドラゴンさんや大狼さんは大丈夫だったのかな。生きていたとしても、きっと無傷ではないだろうな。大丈夫なんだろうか。
「今後のことだけど……、エルはどうする? 行くあてはあるのか?」
村長のカナドがエルを心配そうに見つめる。
「……父さんと母さんと同じたまごハンターになります」
エルは前を向いた。
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