第65話 New York:お風呂に入ること

「では俺達は失礼する。料理は本当に美味かったぞ、また作る機会があったら呼んでくれ」

「うーん……多分暫くやらないと思うけど、また機会があったらね?」


 ケーキも食べ終わって本日は解散となった。

 渚は高御堂君の車で送って貰うことになっている。

 渚がお母さんに会ったらどんな反応するんだろ?

 もう外は暗いし、わざわざ顔をしっかり見る事もないだろうから余計な事は言わないと思うけど。


「お兄ちゃんはもう少し自炊した方がいいよ。なんかこの前よりも痩せたんじゃないの?」

「体重なんて計らないから分かんないけど大丈夫だよ。渚は勉強頑張りなさいね」

「……それじゃあ真理さん、おやすみなさーい!」

「ええ、今日は来てくれてありがとう」


 まーた無視だよ。

 高御堂君といい、僕の周りはこんな人ばっかりだな。

 都合が悪くなると言葉が通じなくなる癖は直した方がいいのではなくて?


「高御堂君も渚を送ってくれてありがとね。お母さんにもよろしく」

「……ああ、また学校でな」

「バイバーイ」


 僕と芦塚さんは二人に手を振り、ドアが閉まるまで見送った。

 なんか夫婦みたいで照れるかも……。


「ん? 芦塚さんは帰らないの?」

「そうね。悪いけど今日も泊めてもらえるかしら?」

「別にいいけど何かするの?」

「今日なら、あなたは何でも言う事を聞いてくれそうな気がするのよ。だからむしろ、これからが本番だと言っても過言ではないわね」

「何でもは無理だけど……ていうか、僕って普段から割と芦塚さんの言いなりじゃない?」

「そうかしら? なら今日もいつも通りお願いね」

「んん〜……取り敢えず片付けよっか?」


 いつも通りとは?


「なら私はお風呂の用意をしてくるわ。湯船にお湯を張ってもいいかしら?」

「いいよー。じゃあそっちはお願いね」


 今更だけど芦塚さんにお風呂の準備をしてもらうって何かおかしくない?

 そもそも操作分かるのかな。

 給湯器って色々と説明不足だよね。

 そんな事を考えながら洗い物を済ませ、芦塚さんと炬燵に籠もっていた。

 少し待つとお湯張りが完了しましたと言う音声がリビングに響いた。


「西河君、先に入っていいわよ」

「いいの? お湯冷めちゃうかもしれないのに」

「大丈夫よ。今日は寒いから、あなたもゆっくり浸かってきなさい」

「んー、湯船入るの苦手だからやめとくよ。後から芦塚さんが入るなら余計に」

「気にし過ぎだと思うけれど……まあ好きにしたらいいわ」

「じゃあお先に頂くねー」


 服を脱いで浴室に入ると、湯船にお湯があるおかげでいつもより温かかった。

 冬のお風呂は入る前後が嫌なんだよね。

 寒いのは好きなんだけどこの瞬間と布団から出る時は嫌いです。

 浴室暖房の取り付けっていくらかかるんだろ?

 いつか付けてみたいけど、その前にちゃんと働けるかが心配だよ。

 あーあ、家に引きこもってるだけでお金を稼ぐ方法ってないのかなぁ。


 そんな事を考えながら髪を洗っていると、背後から何かの気配を感じた。

 ……いやいやいや。

 シャンプーの時に後ろに何かがいる気がするのはストレスのせいだってどこかで読んだし、多分僕はストレスが溜まっているのだろう。

 きっと料理なんて慣れないことしたから、気づかない内にストレスを感じていたんだろうね。

 オバケなんているはずないし、ましてや芦塚さんが何かしているなんてもっとあり得ない。

 何かって何だ……?

 あれ、そもそも脱衣所って何する所だっけ?

 脱衣所は服を脱ぐ為の場所だと思い出したその時、ガチャリと音を立てて後ろのドアが開いた。

 思わず顔を上げて湯気で曇った鏡を見ると、背後に人影らしきものが見えてしまった。

 ……まだだ、まだ慌てるような時間じゃない。

 後ろに誰かがいるのは間違いないとしても、まだオバケか芦塚さんかの二択は残されている。

 せめてオバケであってくれ……!


「入るわよ。あら、まだ髪を洗っていたのね。私が洗ってあげましょうか?」


 なるほど、芦塚さんの声を真似するオバケの可能性も出てきたのか。

 話しかけてくるオバケに反応すると余計に絡まれそうだから、気づかないフリをしてやり過ごしてみよう。


「ちょっと、どうして無視するのよ」


 後ろから肩を揺すられ、僕は後ろの人がオバケではなく芦塚さんだと認めざるを得なくなった。

 無視はよくないもんね。

 手が冷たいからオバケだと思いたいけど、接触してくるタイプのオバケだとしたら怖すぎて無視なんてできないよ。


「いや、それよりもどうしたの? 僕まだ入ってるよ?」

「見れば分かるわ。今日こそは私も一緒に入ろうと思っていたのよ。以前から一緒に入ると言っても、あなたは断り続けたでしょう?」

「そうですか……」


 顔を上げずに下を向いたまま会話を続ける。


「ていうか芦塚さん、服は着てるよね?」

「お風呂で服を着ているはずないでしょう。現にあなたも裸じゃない」

「そりゃそうだけど……え、ホントに裸なの?」

「お風呂なのだから当たり前でしょう」


 これ、僕がおかしいの?

 髪をシャワーで流してもう一度曇った鏡を見てみると、確かに肌色の何かが僕の背後に映っているように見えなくもない。

 ていうかこの人なら本当にやりかねないし、水着でしたとかいうオチもないんだろうなぁ……。

 ホントに何やってんの?

 いや、でも僕が確認しなければ彼女が何も着ていないという事実は現実にはならない。

 シュレディンガーの芦塚さんだ。

 なんか猫よりかわいい。

 僕が観測しない限り、そこに裸の芦塚さんは存在しないということになる。

 よし、目を閉じよう。

 ……後ろ見たいなぁ。


「なるほど。それで、何が目的なのかな?」

「目的が……必要なのかしら?」


 どうしてそんなに不思議そうな声が出せるの?

 そんな事を聞かれても困る……みたいな感じを出してるけど、僕はもっと困る……。


「そうね、強いて言えば人の背中を洗うっていうのをやってみたかったのよ」

「それなら修学旅行とかでできたんじゃ……」

「修学旅行でいきなり背中を洗わせてくれなんて言ったら、私の頭がおかしくなったと思われるわよ」


 今の状況もよっぽどだと思うの……。

 でも多分、ごちゃごちゃ言っても勝ち目は無いのだから、彼女が満足するまで耐えるしかないのだ。

 先程の言う事を聞けという話はこの事を言っていたのか……。

 僕の自制心を信じよう。


「もう好きにして……」

「いい心がけね。それでは失礼するわ」


 そう言うと芦塚さんは僕の後ろから手を伸ばし、ボディーソープを持っていった。

 後ろからの気配で無意識に目を開けてしまい、素肌の腕をチラッと見てしまった。

 首が後ろを向きたがるのを抑え込みながら、再び目を閉じる。


「じゃあいくわよ」

「お願いします……って、タオルとか使わないの?」


 僕の背中をヌルヌルとした芦塚さんの手が這いずり回る。

 これ……なんかやらしくない?

 お金払わなくても大丈夫なやつ?


「こっちの方が肌に優しいのよ。あなたの綺麗な肌に傷を付ける訳にはいかないでしょう?」

「別に気にしないけど……」


 タオルだろうが素手だろうが、芦塚さんに背中を触られるのは落ち着かない。

 よく考えなくても、同級生の女の子と一緒にお風呂に入って、なおかつ背中を洗ってもらってる今の状況は異常だ。

 でもこうなってしまった以上は冷静になったらダメなのだ。

 頭がちゃんとした判断を下せないように努める必要がある。

 気を紛らわせる為に何か他の事でも考えていようか。


 異世界転生物……いいよね。

 最近は炬燵で横になりながらネット小説をずーっと読んでるけど、特に追放物は好きかもしれない。

 ハズレスキルがーってやつで、たまにどう考えてもハズレじゃないのにハズレ扱いされてるのはどうかと思うけど。

 もっと分かりやすくハズレだって分かるやつって無いのかな?

 例えば、ハズレスキル『乳首操作』で魔族の乳首を開発無双! みたいなタイトルだったら一話は読むと思う。

 …………???

 僕は何を考えているの?

 どうして急に乳首が出てきたんだろう。

 いやもっと普通に……なんか乳首がヒリヒリするな。

 もしやと思って目を開けて自分の胸元を見てみると、案の定後ろから伸びる手でいじられていた。


「前も聞いたかもしれないけどさ、それ楽しいの? あと、少しヒリヒリするからそろそろやめて欲しいかも」

「ごめんなさい、やりすぎたみたいね。楽しいかと聞かれても、あなただって異性の胸を触ったら楽しいでしょう? そういうことよ」

「触ったことないから分かんないけど、そんな認識でやってたんだ……」


 異性の胸ってそんな気軽に触るものだっけ……。

 それが常識ならこの世に痴漢は生まれないはずなのに。

 顔が良い人って普段から、『ちょっと触るよー』くらいのノリで胸を触るものなのかな。

 そういうのはよくないと思います!


「あなたもやってみる?」

「ちょっと何を言ってるのか分かんないかなぁ」

「まあいいわ。ほら、前も洗ってあげるからこっちを向きなさい」

「それはやりすぎ!」


 芦塚さんも僕が許可しないのを理解して言っているのは間違いない。

 修学旅行の時も犬扱いしてきたし、犬を洗うのと同じ感覚なのかも。

 犬とか猫の肉球って触ると楽しいらしいしね。

 よく分かんないけど早いとこ体を洗って出ないと色々とマズイ。


「はい終わり! 僕はもう出るからね!」

「残念、もう少しゆっくりしていけばいいのに」

「……芦塚さん、一旦退いてくれたりしないの?」


 後ろから声は聞こえるものの、彼女が動く気配はない。

 目を閉じたまま外に出るのは危ないし、目を開けて後ろを振り向くこともできない。

 で、出れないじゃん……。


「取り敢えず西河君が湯船に入ったらどうかしら?」

「……それしかないのかなぁ」

「どうしてそんなに嫌そうなのよ」

「嫌っていうか、何かもう色々と怖いんだよね」


 薄めを開けて湯船までの距離を確認して、芦塚さんが視界に入らないよう努めながら湯船へと移動する。

 湯船の中あったかいナリ……。

 突っ立ってる訳にもいかないので湯船に体を沈めると、久しぶりの湯船の心地良さが体に染みた。


「あなた、目を閉じていたの? 私の体には興味が無いと言いたいのかしら」

「そういうんじゃないけど……」

「じゃあ何なのよ」


 えっ……なんか怖い。


「だって芦塚さん何も着てないんでしょ!? そんなのを見たら世界が許さないじゃん!」

「何を言っているの? 私だってあなたの裸をしっかりと見ているのだし、何の問題ないわよ」


 しっかりは見ないで欲しかったかな……。


「んー……芦塚さんが僕に何かするのはいいんだけど、僕が芦塚さんに何かするのはアウトじゃない? ほら、同じセクハラでも男がされるのと女性がされるのでは被害度が違うみたいな風潮あるじゃん」

「あなたってたまに性差別的な発言をするわね。当人が嫌だったことに性別は関係ないでしょう」

「そうなんだけどさあ」


 昨今は一周回って女性の権力が高まっているから仕方ない。

 まとめサイトとか見るとツイッターで暴れ回ってる人が多いみたいだし。

 ネットの中で声が大きいだけなのは分かってるけど、見てて怖いし嫌な気持ちになるよね。


「まあ、あなたが緊張でそれどころではないのは分かっているわ。背中に触れていてもあなたの心臓の鼓動が伝わってきたくらいだもの」

「そうなんだよ。今はそれどころじゃないんだよ。ねえ、ホントに出たいから体隠してくれない?」

「ダーメ」

「はい……」


 何それかわいい……。

 やっぱり無敵じゃんこの人。

 


 その後もシャワーのシャワァァァという音に意識を集中させつつ、芦塚さんが横で何をしているかを考えないようにして湯船で温まり続けた。

 のぼせてきたからなのか、会話しながらだと芦塚さんが体を洗っていることに意識が向かなかったのも幸いだ。

 暫くするとシャワァァァの音が止まり、水の落ちる音だけが浴室に響いた。


「じゃあ私も湯船に入るから、西河君はもう出て大丈夫よ」

「はーい。出る時に少し目を開けるから、目の前に立ってるとかは冗談でもやめてね?」

「私が見せたがっているみたいに言うのはやめてもらってもいいかしら。わざわざそんな事しないわよ」


 見せるのと見られるのには大きな違いがあるらしい。

 一緒にお風呂に居るんだからどっちでも同じな気がするけど……まぁ、どっちにしても見ないから大丈夫です。


「付き合わせて悪かったわね。気になっていた事も確認できたし、一緒に入れて楽しかったわよ」

「……今変な事言わなかった?」

「言ってないわよ?」

「そ、そう……じゃあ出るから、あんまり見ないでね?」

「今更気にしなくてもいいのに」

「僕が気にするの!」

「大丈夫よ。全身つるつるで綺麗な体だから、もっと自信を持ちなさい」

「それでどんな自信が持てるのさ……じゃあ、ホントに出るからね」


 薄めを開いて浴室のドアを確認し、立ち上がってドアの前に辿り着いた。

 ……何となく名残惜しいけどさっさと出よう。


「あなた、本当にかわいいわね」


 ドア閉める直前に芦塚さんの声が聞こえたけれど、手を止めることができず、言葉を返す前にドアを閉めてしまった。

 浴室から芦塚さんが湯船に入る音が聞こえたし、多分返事はしなくても大丈夫でしょ。


 しかしすごい体験だったな……。

 我ながらよく我慢できたと思う。

 目を開けなかったのも偉いし後ろを振り向かなかったのも偉いし、暴走しなかったのも偉かった。

 これだけ偉いと大統領にでもなった気分だね。


 髪をタオルで拭いていると、先程の会話が脳内で勝手に再生された。


『気になっていた事も確認できたし楽しかったわ』

『全身つるつるで綺麗な体だから自信を持ちなさい』

『あなた、本当にかわいいわね』


 手を動かしながら下を向いて、改めて自分の体を見てみる。

 すると本当にムダ毛の無い、おおよそ高校生には見えない体が視界に広がった。


 うわぁ、死のうかなぁ……。

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