第40話 大学生になったら……
人間は環境に適応することができる生き物なのだとつくづくと思う。
最初はあれだけ緊張していたのに、1時間程芦塚さんを抱きかかえていると、今ではもうこれが自然な体勢なのだと思えてきた。
それどころか、彼女の重みが心地よく感じられるようにまで適応できている。
僕が変な所を触らないように牽制する為か、芦塚さんの手は、彼女の腰に回している僕の手と重ねられている。
この体勢のまま二人でゴチを眺めている僕は、世界で一番幸せな男だと言っても過言ではないのだ。
でも、たまに僕の足を撫でるのはちょっと危ないからやめてほしいかも……。
しかし、いつか彼女にも素敵な彼氏ができる日がくるだろう。
そうなれば僕はお役御免で、その男がこの役に当てられるのかもしれない。
想像しただけで嫉妬に狂いそうになるけど、僕は芦塚さんが幸せならそれでいいんだ……。
今はこの、頭の先っぽまでかわいい後ろ姿を目に焼き付けておこう。
この瞬間が、僕の人生最後で最高の思い出になるかもしれないからね。
「西河君は、こういう高いお店に入ってみたいとか思わないの?」
「あんまり思わないかなあ。だって高すぎない? ほら、これもアワビが10000円っておかしいでしょ」
テレビを見てみると、丁度アワビが映ったので例えに出してみる。
そもそもアワビって美味しいの?
見た目がエグいし貝類はそもそも苦手だから、これに10000円払おうとは全く思えない。
「アワビは高いわね。私は苦手ではないから、将来お金があったら行ってみたいと思うわよ」
「芦塚さんは将来バリバリ働いてしっかり稼いでそうだし、いつか行けるよ」
「そこは一緒に行こうって言う所じゃないの?」
「んー……そうかもね。あ、そういえばさ、芦塚さんって行きたい大学は決めてるの? 僕も大学行けることになったんだよ」
「あら、良かったじゃない。私はまだ特に決めていないけれど、今は県内のつもりよ。いけそうなら名大にするかもしれないけれど、現状だと立大学辺りが現実的かしら」
「なるほど」
市立大学ってどこ?
「あなたはどうするの? 私とそのまで差がある訳でもないし、同じような所になりそうだけれど」
「大学に行くつもりが無かったからあんまり知らないんだよね。ここから通いたいし、県内の大学にしようかなーくらいしか考えてないかなあ」
「まだ決めるには少し早い気がするし、それくらいでいいと思うわよ。でも、一緒の大学に行けたらいいわね」
「そうだね。じゃあ進路は芦塚さんと一緒にするよ」
「私が言った事なのだけれど、そんな理由で進路を決めてもいいの?」
「いいんじゃない? 大学の違いもわかんないし」
そもそも行くつもりもなかったのだから、何処へ行っても同じだと思う。
父さんも学歴を買いに行けと言っていたし本当にそうなりそう。
それに、もしかしたら大学生の間に遅れてきた成長期がやってきて、男らしくなるかもしれない。
そうしたら選べる進路もまた変わってくるだろう。
5年後もこんな女っぽい顔でいられる保証はないし、大学生活の中で進路を探すというのは正直助かる。
お父様、本当にありがとうございます……。
「何処の大学に行くかよりは、大学でどう過ごすかの方が大切だと思うし、あなたが頑張るなら何処でも良いと思うわよ。大学生のあなたがどんな生活をするのかも見てみたいし」
「どんなって……別に今と変わらないと思うよ? 友達がいないから自分で全部やるしかないのは大変そうだけど」
漫画とかで見る大学生って、レポートを手伝ってもらったり代返してもらったり過去問を集めてもらったりと、成績よりも人脈が大切そうなんだよね。
僕みたいなボッチには無理そうだ。
「そこは真面目に頑張るしかないわね。でも気を付けないとダメよ? あなたって大学生になったら新歓コンパで無理やり飲まされて、そのままお持ち帰りされそうだもの」
「未成年の飲酒は法律で禁止されてるのに……」
そんな悪い人本当にいるの?
法律は守らないとダメだよ!
「私と同じ大学だったら、そうなる前に止めてあげられるのにね」
「でもそんなに危ない人が相手なら、芦塚さんが一緒に居ても二人で仲良くお持ち帰りされるだけじゃない? そうなったら僕なんかお刺し身のツマみたいなオマケ扱いになっちゃうよ」
自分で言っておいてなんだけど、僕がお持ち帰りされるのは変わらないのか……。
なんか流されやすいもんね、西河君って。
「あなたがオマケになるかのは分からないけれど。でも、危ない事にならないよう一緒に気を付けましょうか」
「僕としては芦塚さんの方が心配だよ。芦塚さんって、一人で居る時に無理やり拉致されそうな雰囲気あるし」
「また馬鹿なことを……どんな雰囲気よそれ」
芦塚さんは頭を僕の顔に当てて攻撃してくる。
ちょっ……それやめて……。
クセになりそう……。
「分かんないけど、あしらわれた男に逆恨みされて危ないことに繋がりそうだなって」
「どういう状況よそれ……まあでも、あなたは言いくるめれば何とかなりそうだものね」
「そうそう。芦塚さんは言葉では負けなさそうだし、相手は直接手を出すしかないみたいな」
「自分が言いくるめられるのは否定しないのね。まあ、こればっかりは行った大学の治安の良さを信じましょうか」
夢のある大学生活の話のはずが、どうしてこんなに危ない話になるのか。
何か楽しい話はないかな……。
「芦塚さんの行く大学が、家よりもここからの方が近かったらここに住めるのにね」
「何よその斬新なプロポーズは」
「そんなつもりはないけど……芦塚さんがそっちの方が楽なら、それでもいいなかって思っただけだよ」
「家から出て一人暮らしをするのには多少憧れがあるわ。でも、ここに住むのは一人暮らしではないのよね」
「僕は居ない物として扱ってもらっていいよ。ほら、ここなら家賃もかかんないし」
「確かに。大学生になったら本格的にあなたの世話をするのも悪くないわね。いいわ、ちゃんと面倒見てあげる」
「いや、僕これでも一人暮らししてるからね? 面倒な世話はいらないよ?」
番犬西河は、自分のことは自分でできるのです。
手間がかからない代わりに役にも立たない。
あれ? ならそもそも必要なくない?
「それならルームシェアみたいなものになるのかしらね。大学生活での楽しみが一つできたわ」
それなら良かった。
しかし、一つだけ言っておなくてはいけない事がある。
「でも、男を連れ込むのはやめてね? 家に帰ってきて芦塚さんが男の人と居るのを見ちゃったら、多分僕は窓から飛び降りると思う」
「しないわよそんな事。あなたこそ、男を連れ込むのは私が居ない時にしなさいね」
そう言いながら芦塚さんは僕の顎に軽く頭突きをした。
僕の事をかわいこぶってるって言うけどさ、君のこれも相当だよ?
「どうして連れ込む相手が男なの……いや、女も連れ込まないけどさ」
「そう? 少し安心したわ」
「少しと言わず、ちゃんと安心していいよ」
芦塚さんと住んでいるのに、他の女の子に現を抜かすことなどあり得ないのに。
「そろそろお風呂に入ろうかしら。一緒に入る?」
「残念、僕はもう入ったのでした」
「そう、ならまた今度ね」
「はーい、いってらっしゃーい」
……いや、今度も一緒には入らないよ?
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