一つのメルヘンについて

 ナインで呈された疑問は二つ。


①空白の中堅手


②正太郎の正体


 この二つを解明する鍵はこの作品、「一つのメルヘン」に隠されているのだ。


 さて、まずは一つのメルヘンについて話さねばならない。


 一つのメルヘンとは詩人、中原中也氏の詩である。中原中也氏は1907年〜1937年と短い生涯を終えた詩人であり、その中で多くの別れを経験した人物である。8歳の時に弟、亜郎が病死し、京都で出会った女優の長谷川泰子は友人の文芸評論家、小林に奪われ、身内の女性と結婚し、長男文也が誕生するが2歳で病死するという別れをもとに生み出された死生観や、その死生観から基づいた強い自身の主張を作品の中に取り入れる特色に定評がある。


 この一つのメルヘンは「在りし日の歌」という詩集に収録されており秀雄から「彼の最も美しい遺作に思われる」と評された詩である。


 この詩は定型詩の中でも「ソネット形式」という4・4・3・3行の形式で構成された詩でありオノマトペを多用している。全文はこうである。




秋の夜は、はるかの彼方に、

小石ばかりの、河原があつて、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射してゐるのでありました。


陽といつても、まるで硅石けいせきか何かのやうで、

非常な個体の粉末のやうで、

さればこそ、さらさらと

かすかな音を立ててもゐるのでした。


さて小石の上に、今しも一つのてふがとまり、

狭い、それでゐてくつきりとした

影を落としてゐるのでした。


やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、

今迄いままで流れてもゐなかつた川床に、水は

さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……




 これが全文である。第一連のさらさらと陽が射すという珍しいオノマトペが目を引く。さらに秋の夜の河原に陽が射すという非現実感はまさしくメルヘンそのものである。


 第二連の硅石。これはガラス、陶磁器などの原料になる鉱石である。個体の粉末という表現もまた面白い。個体とは基本、物体としてその一つが見えるものを指すと思うが、目にその粒子の一つを見ることが困難である粉末を個体と表現している。しかしここで目をつけたいのは「硅石の粉末」というところだ。


 硅石はガラスのもととなる。仮に硅石をガラスと表現してみるとガラスの粉末となり、それがさらさらとかすかな音を立てている。非常に儚く、弱いものを表しているように感じる。第一連と合わせてみると非常に静かで、かつ儚げな情景が浮かんでくる。


 第三連で出てくる蝶。蝶から連想されるものは綺麗、美しい、そして儚く、か弱い。秋の蝶はまもなく死を迎えようとしていることを表現し、命の巡りを表していると考えられる。そして蝶が残すは終わりを予感させ、それは心に思い浮かべた自身の投影であるとも考えられる。


 第四連にて蝶は消える。するといつのまにか水の流れぬ川には水がさらさらとさらさらと流れている……季節は巡り、命はまた廻り出す。


 メルヘン調の表現で自身の死生観を表した素晴らしい作品だ。筆者も彼のように魂へと語りかける作品を生み出したいものである。


 しかし、この作品が生み出されたのはナインが発表されるずっと前の話である。これがナインの謎を解く鍵など、この筆者は一体何を馬鹿げたことを言っているのだとお思いであろう。そうだ、筆者も馬鹿げた話だと思っている。


 だが言わせてもらおう。作品をどう捉えるかは読み手次第であると。文学の本質とはその作品を手に取り、ことなのである。最低限の品度を守る必要はもちろんあるが、極論、それだけで立派な読み手なのだと筆者は思っている。故に筆者はこの二つの作品を、生み出された時代も異なるこの作品を掛け合わせ、謎を解くことに成功した。楽しんだ結果がそうさせたのだ。筆者は幸せである。そして筆者は皆にその考察を聞いてもらいたいのである。ただそれだけなのである。


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