一つのメルヘン、ナイン説
NAO
ナインについて
この度は私の考察に付き合ってくださることを感謝する。これは私が高校生の頃の現代文の授業で読んだある小説の謎を考察し、解くという一人語りである。
その小説とは井上ひさし氏の小説、「ナイン」である。
ナインは語り手である「わたし」が20年ほど前に間借りをしていた中村畳店を訪ね、店主の中村さんと息子の英夫と会話をする、というのが内容となっている。
劇中の年代は「王の新政権の発足」と書かれたスポーツ紙を読むシーンがあるため1983年の秋頃だと思われる。そしてそのスポーツ紙の見出しから野球の話となり、中村さんは過去に存在した「新道少年野球団」の話をし始めるのだ。
新道少年野球団とはわたしが間借りをしていた頃に存在した少年野球チームであり、英夫もそのチームに所属していた。
新宿区の少年野球大会で準優勝したなみの強さじゃないチームだそうで、決勝戦を延長十二回まで戦った上での準優勝。中村さんにとっては優勝したも同然だそうだ。(筆者はそうは思わないが)
優勝チームは投手が三人もいて中村さん曰くずるく、そして新道少年野球団には英夫しか投手がいないというワンマンチームであり、準決勝合わせて十九回も投げさせるというブラックチームである。しかも真夏のかんかん照りのなか。負けて当然である。
わたしは当時、新道少年野球団のパレードを見ていた。主将の洗濯屋の正太郎が小さな準優勝のカップを抱き、横には英夫、後ろで他の七人が団子のようにかたまり泣いている姿を目撃している。そしてこの野球団はビリヤード屋のおじさんが監督をしているはずなのにその時に彼の姿は見えなかったのだそうだ。
何故か? それはビリヤード屋のおっさんは決勝戦が始まるとすぐ暑気あたりを起こしてひっくり返ったためだ。なんと新道少年野球団は監督なし、交代もできない完全九人のチームで真夏のかんかん照りのなか十二回も戦ったのである。これは球場ではなく戦場である。小学生には過酷すぎる。筆者はこの決勝戦を決行して良かったものなのかと今でも疑問に思っている。
筆者の感想はさておき、話はその新道少年ナインが今何をしているのかという話に進む。
ここでメンバーが明らかとなる。それを今から下に箇条書きしていこう。
投手 英夫
捕手 正太郎
一塁手 明彦
二塁手 洋一
三塁手 忠
遊撃手 光二
左翼手 常雄
右翼手 誠
以上。
……? 皆よ、お気づきになられただろうか。そう、中堅手、つまりセンターがいないのだ。読み返してみるとわたしが見たパレードではしっかりと9人であることが証明されている。しかしこの小説を読み切ってもこの中堅手はどこにも記述がないのだ。筆者は彼を「空白の中堅手」と読んでいた。これがナインの一番の謎である。
謎①空白の中堅手。
さて、続きを話そう。中村さんは正太郎の話をしたがらない。ここでは割愛しているが他のメンバーの今を詳しく説明しているにも関わらず、正太郎だけは飛ばされている。しかし中堅手については本当に話をしない。まず存在していない。これだけはツッコまさせてほしい。
まあ、それは後で解かれる謎であるため別に構わない。とにかく続きを話すとしよう。中村さんは新道少年野球団をベタ褒めするが、正太郎についてはとことん辛辣である。「あいつの名前を聞いただけでめしがまずくなる」と言い張るほどだ。
何をしたのか。それは彼が寸借詐欺をしているからである。過去に英夫は正太郎に畳を85万円分も騙し取られた。二年前の冬、ひょっこりと訪ねてきて畳を注文したのだという。一体どれほどの量の畳なのか、相場がわかる人がいれば教えてほしいものだ。そして中村さんが警察に通報しようとすると英夫は「通報するなら家を出る」という。なぜか英夫は正太郎を庇っているのだ。
さらに正太郎が手をかけたのは左翼手の常雄。常雄は少年時代豆腐屋の息子であったが今は埼玉で自動車学校を経営している。タクシーの運転手をしていた時にタクシー会社の社長の娘に見初められ、その社長が自動車学校の経営をしていたのだそうだ。寸借詐欺師に落ちぶれた正太郎とはえらい違いである。
しかし常雄は正太郎の魔の手にかかり、薬を飲んで自殺未遂をしたのだ。
その経緯はこうだ。去年の春、正太郎は常雄の自動車学校に現れた。掃除夫でもいいから雇ってくれという。常雄は旧友である彼のことを思い事務員にしてあげた。しかしこれがまずかった。正太郎は事務室の金庫から現金400万を引き出し、さらには常雄とねんごろになっていた妻をNTRした。最低である。これを機に常雄は自殺を図ったが死なず、間もなく妻がボロボロになって帰ってきたのだという。NTRした上でDVとは男の醜さを最大限に生かしたコンボを使う鬼畜野郎である、正太郎。
妻はよほどこたえたらしく、生まれ変わったように常雄に尽くし始めたのだとか。一体どんなことをされたというのか。想像は皆の自由である。
しかしこんなことになっても常雄は正太郎を庇う。自殺未遂までしておいてだ。
ここで中村さんから英夫へと話し相手がバトンタッチされる。英夫が作った畳の仕上がりを中村さんに見てもらうため、中村さんが奥の作業場へと入ったためだ。
中村さんは英夫に絶対の信頼を置いている。それをわたしが英夫に伝えると英夫はそれを正太郎のおかげだと言うのだ。
英夫が本気で仕事をするようになったのは85万円正太郎に騙し取られてからだそうだ。正太郎に取られた85万円分を埋めるために必死に働かなければと思い仕事に精を出し始めたのだと。英夫は常雄だって正太郎を憎みつつも感謝しているのだろうと話す。
常雄の妻は家付き娘を鼻にかけた高慢ちきな女だったそうだ。それが正太郎にNTRられてから別人のようになったのだとか。正太郎は一見悪のように見えてやっぱりぼくらのキャプテンだという。結局は英夫たちのためになることをして歩いているのだと。
……うーん、正直これは擁護できない。結果として良くなっていても行動はただのクズである。「毒を以て毒を制する」と言えば正当化されそうだが、合計にして485万を騙し取った上に人妻をNTRしDVしたとなっては5:95くらいの毒の比率の悪さである。むしろこれでも甘いかもしれない。
それに英夫のこの感性は一体何なのか? 何故ここまで割り切れるのだろうか? 高校の国語の先生がもし同じことをされたらどうする? とクラスに尋ねた時はほぼ全員が通報すると答えた。英夫の感性は正直異常であると思う。
英夫はその後あの日、つまり新宿区の少年野球大会の話をする。準決勝、決勝共に新道チームは三塁側のベンチだったと。ベンチには屋根もなく、木の長い腰掛けが備え付けられていただけだと。対する一塁側は土手に桜の木が植えられており、その桜の木下で相手チームは休めたのだと言う。
悠々と桜の影で敵は休みながら汗を拭けるのに、新道チームは永遠と陽に灼かれ続けるのだ。まずはこの野球場を何とかするべきだと思う。こんな環境で実力が左右されるなどフェアではないだろう。
実際にこの悪環境は彼らに影響を与えていた。英夫は決勝戦の半分にあたる6回の時点でぐったりとしていた。そこで急に影ができたのだ。影を作ったのは正太郎だった。
正太郎にならって他のナインも回が終わるごとに英夫の前へ影を作り、それが12回まで続いたのだ。子供にこんなことをさせる球場はすぐに改善しなければならない。これは涙ぐましい少年たちの助け合いである。皆辛いにも関わらず、仲間のために犠牲になっていくのだ。
その犠牲の上で英夫は12回を投げ切った。さらにこの灼熱の太陽の前に常雄までもがふらつく。常雄に対して正太郎はこう言った。
「常雄も日陰に入れ。遠慮するな。これはキャプテン命令だぞ」と。
なんていいやつなんだ。と言いたいがこやつの所業はもし仮に善のためであろうとも自身の肥沃に繋がっている。結局美味しい思いをしているのだ。その時点でこいつが綺麗な人間であるはずがない。どんな理由があろうとこれだけは覆らない。許してなるものか。
そして英夫はあのパレードの真相を話す。パレードのときに泣いていたのは嬉しかったからなのだと。自分たちは日陰なぞないありえないところに日陰を作ってやったのだぞと。このナインにできないことはなにもないんだと。しっかりとシャレを効かせてそう言ったのだ。そしてその気持ちは今でもどこかに残っているのだと……。
わたしは畳店を出て野球場を見る。すると大会社の大きなビルが野球場に覆いかぶさるように立っていた。この何十年かのうちに、ここには西日がささなくなってしまったようであるという文を入れ、この小説は終わるのだ。
ざっくりと説明するとこんな内容の話である。時の流れによって変わるもの。それでも変わらないものだってある。そういったことを作者は伝えたかったのではないだろうか。この小説は現代文の教科書にも載るほどであり、筆者は専門家ではないため大口は叩けないが、教養に向いた作品であることは間違いないはずである。
さて、小説の内容は頭に入ったかもしれないが、釈然としない部分がある。
結局、正太郎はなんなのか? という謎だ。
正太郎は寸借詐欺をやっている卑劣な男である。事実からそう捉えられるものではあるが、英夫の話によると結局は英夫たちのためになることをして仲間たちのもとを歩いているという。それは本当なのだろうか? 自身の欲を満たすために仲間から搾取しているだけなのではないか? そういった考えが筆者の脳内でも駆け巡っていた。
しかし、筆者はこの謎②正太郎の正体を突き止めることに成功したのである。そしてそれは謎①空白の中堅手とも繋がるのである。しかしこれはあくまでも「説」であり真実ではない。したがってこの解釈が真に値するものかは筆者には断言できない。それでもこの謎を解明することを望む同志は次のページに進んでくれたまえ。
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