15
夏の盛りを越えて、時折風の涼しさを感じられるようになった頃、午前休を取って昼過ぎに出社すると、何人かの警察官が営業所の敷地内をうろついていた。
奥間くんの日記の件を思い出して、反射的に身構える。
しかし遠目に見ていると、どうも台風で崩れた棟の周囲を検分しているらしかった。立ち入り禁止のテープが張られ、先週から作業を始めた工事車両群も大人しく隅に身を寄せている。
多少片付き始めていた瓦礫の前で、生田係長が警官と話すのが見えた。商品の配送を終えて帰ってきたドライバーたちが、煩わしそうに行き交う諸々を睨んでいる。
五井が襲われた、と大越さんは言った。
「どうも、角材か何かで背後から殴られたらしい」
席に着いたまま少し身をかがめて、後頭部を人差し指でトン、トン、と叩く。想像していたよりも物々しい話に、私は思わず息をのむ。
「だい、丈夫だったんですか……?」
「作業帽を被ってたから、とりあえず目に見えるような怪我はしてないよ。ほら、インナーヘルメットが入ってるから」
そう言って、大越さんは身を起こす。インナーヘルメットは作業帽の内側に入れる簡易的なヘルメットで、デコボコと浮いたラインを作る薄いプラスチックが、いざという時に緩衝材の役目を果たすようになっている。全国の工場で、作業中に頭をぶつける労災が多発した折、生田係長が導入したものだ。
煩わしがって使わない者を見つけては叱り飛ばしたものだから、生田係長が疎ましがられる原因のひとつにもなったのだけど、こんな形で用を成すとは誰も思わなかっただろう。
「それでも、脳震盪か何かで気絶してたっていうから安心はできないけどね」
「脳震盪って……普通にやばいじゃないですか」
「ねえ。死んでても全然おかしくない。襲われたのが夜明け頃、作業が終わったあとで、朝になって工事の人たちが来るまでずっと、あそこで倒れてたっていうんだから」
生田さんの判断は正しいと思うなあ、と言って、大越さんは席を立ち、私に耳打ちする。
「所長は、警察を呼ぶことに大反対してね。小一時間言い合って、最終的には生田さんが強引に警察を呼んだんだ」
私が思わず口を押さえたのと同時に、所長の席から怒号があがる。見ると、顔を真っ赤にして座る所長の前で、真志係長が立たされ、うなだれている。
「真志もこれから大変だね。明らかにセーヒン内のトラブルが動機だろうし」
「……仁村さんって、昨日出勤でしたっけ」
口をついて出た言葉に、大越さんの目が少し開く。そうしてすぐに表情を崩し、不自然に微笑んでみせる。
「やっぱり、真っ先に疑いが掛かるか……」
「……すいません」
「いや、大丈夫。だけど、仁村はいないよ。昨日から、退職後に息子夫婦と暮らすための新居を見に、田舎に戻ってる。警察のほうで確認が取れるまでは何とも言えないけど、たぶん本当に、新潟にいるんじゃないかな」
ひと通り叱責されて、真志係長が解放される。溜め息をついて、首のあたりをさすりながら現場に戻っていく。五井さんが抜ければ穴としても大きなものになるだろう。そのうち休日出勤の申請に、事務室を訪れるかもしれない。
「ただ、仁村もあれで、長くやってきた人間だからね」
大越さんが、懐かしむように目を細める。
「若い奴らは知らないだろうけど、昔はまともだったし、仲のいい奴も多かったんだよ。ボケちゃって、今はああだけど……。
だから、五井が仁村をいびるのが、気に入らない奴も結構いたんじゃないかな。テーオンは古株が仁村しかいなかったから、あの中でやってる分には、そうでもなかったんだろうけどね」
そう言って、大越さんはポケットからタバコを取り出す。タバコ吸ってたんですか、と訊くと、昔はね、と手を振って、喫煙室へと去っていく。
警察の聴取を終えて、生田係長が帰ってくる。それを見るなり、所長は生田係長を呼びつけて、何やら小言を並べている。
数ヶ月のち、生田係長は地方の工場へ異動になる。
私と大越さんしか来なかった送別会で、生田さんは言った。
「従業員を守らない会社なんて、そんなの、絶対にあっちゃいけないだろ」
ベロベロに酔っ払って、テーブルにうつ伏せながら、延々と、呻くように繰り返した。
「会社は俺たちの、親父みたいなもんなんだからよお……」
「そんなの、もうみんな死にましたよ」
大越さんが背中をさする。生田係長は、わかってる、わかってるよ、そんなこと、とこぼした。それから、絶対辞めねえからな、と吠えて、拳をテーブルに打ちつけるのだった。
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