第45話「レリウスの切り札」

 ラスティア王女、病床のラウル王および宰相リフィトミを殺め、パレスガードと共に逃亡す。


 十三領侯の筆頭アルゴード侯もラスティア王女に加担した罪に問われ、投獄。他の支持者たちも同罪状により王宮査問介へ出廷。


 アナリス王女、グレン王子ならびにそのパレスガード二名においては、新王ディファトの名において謹慎処分を命ず。


 その事実が広がるや否や、変異種の襲来と相まってアインズは近年類を見ないほどの大混乱に陥った。


 もちろんそれは、王宮とて同じことだった。実質次期国王となったディファトはもちろん、領侯をはじめとする重鎮たち、アインズの大貴族から小貴族、王宮付の侍従たち、王都の有力者ならびにそこに住まうすべての人々にいたるまで、いったい何が起きたのかを知りたがっていた。


 誰もが顔を突き合わせるたびに、今回の件を噂し合い、議論した。アインズ国内においてこのことを話題にしないのは、言葉を話せない幼子だけという有様だった。

 特に人の集まる広場や酒場といった場所では、皆声を張り上げるようにしながら自分たちの考えや主張を鼻息荒く述べたのだった。


 ある者は、もとよりラスティア王女は水晶の玉座を狙っていたのだと言った。

 ある者は、ディファト王子の陰謀にはまり、無実の罪を着せられたのだと言った。

 またある者は、病床のラウル王が乱心してしまったがために、致し方なくラスティア王女が命を奪ったのだと言った。

 中には言葉にするのもおぞましいことを述べる者もおり、それに反感を抱いた者たちと争いにまで発展する事態となった。


 多くの人々が納得できる内容もあれば、混沌無形ともいえる言葉をくりかえす者もいた。それでも――


 闇の創造主を名乗る何者かが宰相に憑りつき、アインズを己の意のままに操るためラスティア王女を利用して邪魔となりうる重鎮たちを一掃しようとした。などという言を発した者は一人としていなかった。

 ましてや、宰相がラスティア王女に罪を着せる形で自害し、かの者がラウル王の遺体に乗り移った故、それをラスティア王女が討った。もし、そのような真実を見抜く目を持つ者がいるとしたら、まさに光の創造主エルダその人しかありえなかった。


「レリウスあんた、とんでもねえもん押し付けやがったな……」

 酒場の片隅に腰掛けていたフェイルは独り言のようにつぶやくと、残っていた火酒を一気に喉の奥に流し込んだ。


 つい先日交わしたレリウスとの会話が、嫌でも思い出される。


「さあて、どうしたもんかね。俺も」


 フェイルがレリウスの書斎に呼び出されたのは、変異種の大群が襲ってくるより以前、バンサーたちがマールズの存在を明かした直後のことだった。


「突然だが、おまえにあるものを託したい」

 レリウスからそう切り出されたフェイルは思わず首を傾げたが、すぐにいつもの薄ら笑いを浮かべてみせた。


「俺みたいなもんに、いったい何をいただけるんでしょうかね」

「もし私に――ラスティア様の身に何事かあれば、これをエル・シラにいる護国卿パーヴァスへ渡してほしい」

 咄嗟に眉をしかめるフェイルに対し、レリウスは机の上に縦長の小箱を取り出して見せた。


 フェイルが目の前に置かれた箱をまじまじと見つめる。


 両手から少しはみ出すくらいの大きさの、これといってなんの特徴もない、ただの箱だった。しかしよく見てみると、それが木で出来ているのか鉄で出来ているのか、まったく判断がつかなかった。

 材質的な意味で奇妙といえば奇妙だったが、その辺に置かれてしまえば誰も気に留めないような代物であることは間違いなかった。


「なんです、これは」

「中身はラウル王から預かった密書だ」

「……密書?」

 あまりにも予想外すぎる回答に、フェイルの顔から笑みが引っ込む。


「陛下と最後にお会いした際にいただいた。ラスティア様をエル・シラまでお迎えにあがる時、ここを発つ直前のことだ」


「どうして、そんなどえらいもんを俺なんかに?」

 フェイルの視線が何度もレリウスと目の前の箱とを行き来する。

「密書なんてもんにはやばいことしか書かれていないって相場が決まってるじゃないですか」


「だからこそ、おまえに託すのだ――ザナトスで自分を売り込みにきたとき私が言った言葉を覚えているか」


「一言一句違わず口にできるくらいには」

 レリウスはわざとらしく姿勢を正した。

「『ラスティア様を王とするために、どのようなことでもやってのける者が必要だ。たとえそれが、決して明るみに出せないようなことであっても。おまえにそれができるというのなら、私たちに同行することを許可しよう』、と」


「実際おまえはよくやってくれている。オルタナに融け込み、あらゆる場所に入り込み、時に地下へ潜り、民衆の感情に乗じてラスティア様の評判を高め、他の王子王女を貶める。言うのは簡単だが、これほど多くの者たちの口に登らせるのは至難の業だ。よほど上手くやらぬ限りは」


「お褒めいただき光栄です」

 言いながら、優雅に一礼してみせる。

「しかし『どのようなことでも』と言うからには、今まで俺がやってきたようなこともまだ序の口といったところでしょう?」


 レリウスは鼻で笑うのみで、その質問には答えなかった。


「周囲の者たちはおまえやダフをここへ向かう道中雇った単なる下働き程度にしか思っていない」

「だから、都合がいいと」


 レリウスは椅子から立ち上がると、後ろの窓に目をやり、水面に移る王宮の煌びやかさに目を細めた。

「王宮という場所は見た目は過分に華やかな場所だが、少しでも足を踏み外せば深い川底へと引きずりこまれる。二度と浮かび上がることもない」


「かのアルゴード候から直にそのようなことを口にされると身の竦む思いがしますよ」

 フェイルが両肩をすくめてみせる。まるでそうは思っていないようなフェイルの言動にも、レリウスは気を悪くする様子もなく頷いてみせた。


「私たちは今日、ディファト王子を今の権力から引き下ろすカードを得た」


「おめでとうございます。俺の苦労も報われるってもんです」


「そうだな。あとはそれをいつ切るかだが……状況次第では武力衝突にまで発展する可能性も十分ある。そうなればもう、後には引けん。もし私たちが最悪の形で敗れ、捕えられたとしたら、待ち受けているのは二度と浮かび上がることのない水の底……投獄、拷問、そして処刑だ。私はもちろん、ラスティア様とてそれは避けられん。ディファト王子も自分たちを排斥しようとする相手に容赦はしないだろう」


「いつの世もどんな国も、次期国王を決めようって時は血なまぐさい歴史を繰り返してますよ。珍しくもなんともありません――それで、そのこととラウル王の密書を俺に預けることが、どう関係しているんですかね」


「これまで私は、常に最悪を想定して動いてきた」

 レリウスが後ろで手を組みながら言った。

「そうでなければラウル王の側近はもちろん、海千山千の西方諸国の強者たちを相手にすることなどできなかっただろう。つまりこの小箱は、その最悪の事態に備えるためのものだ」


「なおさら俺なんかに手渡していいものじゃありませんね」


「だからこそおまえなのだ、フェイル。王宮で働く者は、どのような場所だろうと、その末端に至るまで顔と素性が割れている。逆に言えば素性の確かな者以外は王宮にあがることができないということだが」


「当然ですね。それくらいやらないと他国の間者が入り込み放題だ」


「とはいえ素性が割れているから安全かといえば、むろんそうではない。いかなる手を使ってでも自分の手駒とし、相手の情報を得ようとする者など珍しくもない。つまり、誰がどこに出入りし、いなくなったかなど、見ている者にとっては容易にわかるということだ。その点おまえはもとより王宮の人間ではないうえ、ラスティア様をお迎えする騒ぎのなかこうして紛れ込み、ほとんど人前に姿をさらしていない。私たちが窮地に陥った際、ここを抜け出してもらうにはまさにうってつけの相手ということだ」


「さすがに疑われませんかね」


「長年フェルバルト家に仕えているわけでもないおまえのような者が、私に託されたラウル王の密書を持ってエル・シラへ向かうなどと考える者はいない。アルゴードの領地を賭けてもいい」

 レリウスが子供のような笑みを浮かべる。

「まさに、おまえのための任務だと思わないか?」


「ちょいと酔狂が過ぎると思いますよ。俺が裏切るとは思わないんですか?」


「それはわからん。おまえはどこか読めないところがあるからな」

 レリウスが面白そうに続ける。

「だが、私はこれでも大勢を率いる大国アインズの領侯であり、自分で言うのもなんだが、百戦錬磨の外交官でもある。それなりに人を見る目は持っているつもりだ。もしおまえに裏切られるのだとしたら、自分の見る目のなさを呪いこそすれ、おまえを恨んだりはせんよ」


「喜ぶところなのかもしれませんが、ちょいとばかし達観しすぎて逆に怖くなりますよ――ここに何が書かれてあるかは、訊かない方がいいんでしょうね」


「訊いてもいいが、答えようがないぞ。知らないからな」


「なんですって?」


「何が書いてあるかは、私も知らないと言ったのだ。陛下は『余の助けが必要となる事態に陥ったとき、この密書をパーヴァスへ届けよ』、それだけを言われて私に手渡されたのだ」


「内容について訊いてみようとは思わなかったんですか」


「まったくもって思わなかった。陛下が何も言わないからには、必ず何かしらの意味がある。私が仕えてきたのは賢王ラウルその人だからな」


「中を見てみたりは――していないんでしょうね、きっと」

 フェイルが自分の言葉を否定しながら笑う。


「この小箱はディスタで製造されたものでな、無理に開けようとすると中のものが一瞬にして燃え尽きてしまうのだそうだ」


「明らかに核光学で造られた代物じゃないですか。いいんですか、ディファト王子のことを責められませんよ」

 フェイルは呆れた様子を隠さなかった。


「私たちは兵器として利用することも核光を掘り起こすこともしていないからな、大目に見てもらうとしよう」


「核光学を禁止しているアーゼムの中枢に、それを届けるんですか? 俺が?」


「アーゼムが禁止しているのは核光兵器メキナであって核光学そのものではない」


「同じようなことだと思うんですがね。しかも、無理に開けるなって……パーヴァスに渡したとして、どうやって中の密書を取り出してもらえばいいんです?」


「そのための鍵はすでにパーヴァスへ渡してある。ラスティア様をエル・シラへお迎えにあがったとき、ラウル王のお言葉とともにな」


「抜かりはないってことですか……いいでしょう、引き受けますよ」

 フェイルは特に考え込む様子もなく頷いた。

「そもそもこれは、『最悪の事態』に備えてのことでしょう? あなたのことだ、ラスティア王女を水晶の玉座へつかせる算段はもうついているはずだ」


「水晶の玉座、か……」

 レリウスは一瞬、感慨深げな表情を見せた。

「我が国の玉座がなぜ常にそう呼ばれるようになったか、おまえは知っているか?」


「さあ。大いなる水の都と呼ばれるくらいですからね、それとなにか関係があるんじゃないですか」

 さして重要な話題でもないと思ったのか、フェイルは軽い口調で答えた。


「アインズという国は、もとはエルダがこの地をいたく気に入り、治められていたことに由来すると言われている。こんなことを言えばエルダ教を信奉する国々が黙っていないゆえ、正当な伝承として公表してはいないがな。知ってのとおりエルダは――アヴァサスと対峙する前までは――純粋にして無垢なる女神。その象徴としての痕跡が、エルダの座していた水晶に込められて残ったのだという。まさに、ラスティア様が座すにふさわしい場所だ。やれることはやった、あとは決して機を逃さないことだけだ」


「ずいぶんと、王女のことを買ってるんですね。ずっと訊こうと思ってたんですが、あなたがそこまで惚れ込んだ理由はなんなんです?」


「上げればきりがないが……もっとも思いを強くしたのは、ちょうどシンが私たちの前に現れる前、ベイルとその配下の者たちによって襲われたときだろう」


「そんな危険な状況で、ですか」


「私にもう少し余裕が出来たら……そう、ラスティア様が水晶の玉座につかれたあとにでも、ゆっくり話してやろう。絶望とも思われたあの強襲のなか、私がこの目で見た、ラスティア様のお姿のことをな。そのことを思えば、サイオスと交わした約束も納得がいくというものだ。『ラスティアを決して死なせるな』、というな」


「決して、死なせるな……? そりゃもちろんそのとおりでしょう」


「ラスティア様が王位継承者争いに敗れ、その身に危険が迫るようなことがあれば、どのようなことがあっても逃げ延びさせろ。サイオスが私に誓わせたことだ」


「まあ、可愛い弟子であるのなら、そのような言葉もうなずけますが」

 フェイルはどこか腑に落ちないといった様子のまま言った。


「『約束の子』と、サイオスはラスティア様のことをそう言っていた」


「なんですかそりゃ」フェイルがいよいよもって首を傾げた。


「古の時代、エルダがアヴァサスを討ち滅ぼしてこの地を後にする際、後の世を憂いた従士ロウェインがエルダに願ったのだそうだ。


「それが、ラスティア様だって言うんですか? 身内であるはずのアーゼムから持たざる者ハーノウンなんて貶められていた方ですよ?」


「二千年以上にもおよぶアーゼムの長い歴史の中で、器を授からないまま生れてきたお子はラスティア様ただひとり。サイオスはそのことに深い意味を見出しているようだった。サイオスはこうも言っていた。『もしラスティアがアインズの王となるなら、強い光となって人々を導くだろう。もし何者かに敗れその道が閉ざされたとしたら、、大いなる試練となってより彼女を強くする機会となろう』、と。特に言う必要もない故、黙っていたがな」


「いまだ、時至らずとは……サイオス・ライオはラスティア王女に何を求めているんですかね。私にはずいぶん奇怪な話のように聞こえますが」


「おそらくサイオスは、アインズ一国の趨勢や平和といったことのみを考えているのではない。より大局的なことを――エルダストリーに生きとし生けるすべての者たちにとっての行く末を照らし出す存在として、ラスティア様を見ているのだろう。だからこそ私は、もしこの先、考えうる最悪の事態が起きたときは、なんとしてもラスティア様を逃がすつもりだ。此度の次期国王争いにおけるすべての責を私が引き受けてでも、そうする。いや、そうしなければならん。アーゼムの導師ルクス、サイオス・ライオと交わした約束は、少なくとも私にとって絶対だ。もしそのようなときが来るとしたら、ラスティア様を守る役目は、シンに託すことになるだろう」


「実際問題、そんなことありえますかねえ。それこそラスティア王女にはシンが、ストレイついてます。いったい誰が手を出せるっていうんです?」


「確かにシンの力は凄まじいものがある」

 レリウスは断言するように言った。

「だが、決して万能ではない」


「言いますね、聞かせてもらいましょうか」

 フェイルが挑発的とも思える口調で尋ねる。


「私もまささかストレイ相手にこのような言葉を吐くとは思ってもみなかったが――ザナトスでバルデス軍を退けたときや、つい先日バンサーたちと戦ったときもそうだった。シンにはグルの枯渇という決定的な弱点がある。私がもしシンとやり合うとするなら、王宮の一角のような局地戦に持ち込んだうえで持てる限りの兵力を注ぎこみ、グルの枯渇を狙う。意識を失わせてしまえばあとはこちらのものだ、常に空腹状態のまま閉じ込めてしまえば、いくらストレイとはいえなす術がなくなる」


「……今さらですが、恐ろしいことを考える人だ」


「シンの弱点については介抱したおまえが一番良く知るところだろう。それにまあ、このようなことを考えるのは、相手がどう攻めて来るかを予測するには最も効率がよいからだ。それこそ、最悪の事態に備えるためにな」


「そしてこの小箱が、あなたの切り札となるというわけですね。そんなことにならないよう、エルダあたりに心から願っていますよ」


「私もおまえがこの密書をパーヴァスのもとへ持ち込むような事態にならないよう、せいぜい尽力するとしよう」


 そう言ってレリウスはフェイルにラウル王の小箱を手渡したのだった。

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