第43話「打倒せし者」

「――そんなこと、みんなが信じると思ってるのか」

 シンが言葉を詰まらせる。


「現におまえの王女は我らの兵を武力でもって排除し、ここまでの道を制圧してきたではないか」


「私たちがここへきたのは……あくまで陛下の死を明らかにするために」

 レリウスが苦渋の表情を滲ませながら首を左右に振る。

「実際、陛下のお命はもう――」


「ならば、今おまえたちと話しているのは、いったい誰だ?」

「それは――ああ、陛下、私はどうすれば……」


「レリウスしっかりして」

 衰弱しきった様子のレリウスにラスティアの鋭い声が飛ぶ。

「目の前の相手はもう、あなたの知る賢王ラウルなんかではないわ。宰相に憑りついていた何者かが、今度はラウル王の身体を乗っ取ったのよ」


「身体を、乗っ取っただって……?」

 シンの視線がラスティアとアヴァサスとの間を行き交う。


「それこそ、そのような戯言をいったい誰が信じるというのだ。切れ者で知られるアルゴード侯ですら、たった今己の目にしていることを受け止めきれていないというのに」


 レリウスはやるせない様子で肩を落とし、両手で自身の額を抑えつけた。

「私は、私は……」


「まだ、アーゼムがいる」

 ラスティアははっきりと言い切った。

「彼らなら、ラウル王の変わり様に必ず気づく。その内に宿る得体の知れない存在と、これほどまでに邪悪なエーテルを、彼らが見逃すはずがない」


「そうだ、アーゼムが戻ってきさえすれば」

 レリウスの顔に明らかな光明が差した。

「我が国に光柱が出現したとの報はエル・シラにも届いているはず。いや、あれほどの光景であれば実際に目撃した者もいるだろう。いかに北と東の侵攻が激しさを増しているとはいえ、直ちに巡察士ロードを派遣してもおかしくはない」


「おまえの言うとおりだ、レリウス。先日エル・シラより、数日中にはロードを寄越すという触れがあった」

 驚きに目を見開くラスティアとレリウスアを横目にヴァサスが続ける。

「おまえたちに余計な介入をさせぬよう、ルーゼンが情報統制していたのだ。もちろん、すでに手も打っている。秘密裏にリザをザナトスへ向かわせ、派遣されたロードと落ち合う手筈になっている。我らにとって都合の良い情報を流し、おまえたちを国王殺しの反逆者に仕立て上げるために」


「リザ王女が……」

 レリウスががくりと膝をつく。

「ローグと、それにリザ王女まで……ふたりの姿が見えなくなっていたのは、こういうことだったのか……」


 これほどまでに狼狽し、焦燥しているレリウスを見るのは初めてだった。いつものレリウスを知っているだけに、その姿がシンの胸を打つ。


「いくらリザ王女の言葉とはいえ、一方の言い分のみで判断を下すようなアーゼムなどいない。エルダストリーの守護者にして調停者の名は今も健在よ。あまり甘く見ない方がいいわ」

 ラスティアが強い口調で言い返す。しかし、その顔に動揺の色は隠せなかった。


「おまえの方こそ、我を甘くみないことだ。いかなアーゼムとはいえ、我にとってはいちカラクタに過ぎん。病床のラウル王を装いやつらを欺くことなど造作もない。アーゼムとて、まさか死人に闇の創造主が憑りついているなどとは考えもしないだろう。ましてやこちら側には、おまえが宰相を殺したというれきとした証拠もある。間違いなくおまえたちは囚われの身となるだろう」


 そのとき、建物の外に大勢の気配を感知し、シンは咄嗟に後ろを振り返った。


「陛下、ご無事ですか!?」

「ルーゼン宰相はご一緒ですか!?」

 

 ディファト派の兵たちが次々と現れ、こちらを伺う様子が見える。シンは咄嗟に障壁を張り巡らせた。


「この場を目撃されたら確実に断罪されると、おまえも気づいているのだろう。今の行動がその証拠よ」

 再び外部と切り離された状態になったが、アヴァサスはまるで気にした様子もなかった。


「そんなことはさせない!」

 まともな反論もできず、叫ぶことしかできなかった。

  

「もうじきディファト自身が兵を率いてここへやってくる。我の感知したところでは、おまえたちの率いていた兵はほぼ全滅し、わずかに生き残った者たちもすでに引き上げてしまっている。アナリスとグレンのパレスガードも善戦はしているようだが、二人だけでバンサーはじめディファト側の兵を留め続けることはできんだろう。たとえおまえが向かってくる兵すべてを退けることができたとしても、ラスティアとレリウスの疑いは晴れるどころかより一層皆の疑念を深める結果となろう」


「いまおれたちが見聞きしていることすべてを話せば、わかってくれるはずだ!」


「ぜひ繰り返し語ってもらいたいものだ」

 アヴァサスがくくくと笑う。

「『ラウル王の命はすでになく、その躰には闇の創造主アヴァサスが憑りき、操っているのだ』、とな」


「話が混沌無形すぎて、むしろ誰も信じてくれなくなるということ」ラスティアが厳しい表情のまま言う。「こうまで私たちに説明したのは、まさにそのためね」


「そんな」シンは言葉を失った。


「これもすべて、宰相の描いた絵の通りということなの」


「いくつか不測の事態はあったがな。その最もたるものがおまえだストレイ。あやつが失敗していなければおまえと相対することもなかった」


「あやつ――マールズのことか」

 シンが訊いた。


「そうだ、変異種の大群もすべて我があやつに命じてやらせたことだ。おまえをこの者たちから引き離すために」


「なんだと」レリウスが息を呑む。「我々からシンを引き離すために、変異種の大群を王都へけしかけたと? いったいどうやって――いやそもそも、それほど正確にシンの行動を読めるはずが」


「ストレイに限った話ではない。おまえたちがとる行動も、すべて読み切っていたからこそ、今があるのだ。ディファトをけしかけ、反感を招く政権を敷き、あえて疑惑を抱かせるようラウル王の死を隠蔽した。おまえほどの男であれば、必ずここに辿り着くと思うておったぞ。おまえたちがいつから我らの掌の上で転がされていたかわかるか、レリウス」


「おそらく、ザナトスでの一件あたりからでしょう」

 呆然と立ち尽くすレリウスに変わり、ラスティアが答える。

「もし今回のことがすべて仕組まれていたというのなら、レイブンで私を殺そうとするはずがない」


「違うな。ラウル王とレリウスがおまえを王女として迎えいれようと決めたとき、すでに事態は動き出していたのだ」


 レリウスは喘ぐような声を漏らした。

「そんな前から、仕組まれていたというのか……」


「本来であれば、おまえの役割を担うのはリザのはずだった。無能者に仕立て上げたディファトに反旗を覆し、レリウスらを率いてここへとやってくる、というな」


「今後あなたがこの国を牛耳る際に邪魔になる者たちを一気に排除してしまうために、でしょう」


「そのとおりだ。この躰が病に倒れた後の政権の流れを見れば、誰が手駒にしやすく、扱いやすかなど手に取るようにわかった。逆に、我がこの躰を手に入れた際、真っ先に疑いの目を受け、刃を向けるのは誰なのかも、な」

 アヴァサスはレリウスに対し薄く笑ってみせた。


「私を真っ先に殺そうとしたのはなぜなの」


「此度の計画に、おまえはまったく考慮されていなかったからだ。つまり、単に邪魔な存在でしかなかったということだ。都合の良いことに、我以外にもおまえという存在を心良く思っていない者もいた。故におまえの暗殺をそやつに任せたというわけだ」


「私を、快く思っていない者? それは誰なの」


「そこまで教えてやる理由はない」


「けど、その人間は失敗した。シンが私たちのもとに現れたときから、シンはあなたの言う『不足の事態、その最もたるもの』になったというわけね」


「まさにな。バルデス軍の侵攻も、むろん我が仕組んだことた。リザに大きな手柄を立てさせ、レリウスたちの支持をとりつけるための、まさに巨大な餌だったわけだ。おまえの暗殺に失敗した者やおまえを利用しようとした者が新たに策を弄そうとしたせいで面倒なことになってしまったがな」


「ずいぶん危うい橋を渡ろうとしたものね。バルデスにこの国を奪われていたらいったいどうするつもりだったの」


「決してそのようなことにはならん。我の手はバルデスにも伸びている」


「ローグ同様、あなたが操る崇拝者ファロットたちの勢力は、アインズだけでなく周辺諸国にまで及んでいるということね……一年前私はディスタの旧市街でローグと彼の率いる仮面の集団に襲われ、仲間たちを全員殺された。ローグは間違いなく言っていったわ、自分たちはファロットであると。そして、リザ王女とともに尊師ファトムという存在に忠誠を誓っていた……おそらくはそういうことなのでしょう」


 暗い双眸を細めるようにしながらラスティアの言葉を聞いていたアヴァサスは、しばしの沈黙のあと、言った。

「ずいぶんと運命に翻弄されてきたようだな、フィリーの娘よ」


「アヴァサス、あなたがいつから宰相に取り憑きこの国に入り込んでいたかはわからない。けど、こうして邪な姿を見せた以上、私はここであなたを討つ。たとえこの身が罪に問われようと――王殺しの汚名を着せられようと、闇の創造主を名乗るあなたを捨て置けはしない。アインズ、いえ、エルダストリーに生きるとし生けるすべての者たちのためにも!」


「母のことは言わぬのか。健気なことよ」

 そう、アヴァサスが口にした瞬間。ラスティアの顔から一切の表情が消え去るのを見て、シンはぞくりとした。


(――母のことって)


「私情を挟むべきではないと思い、黙っていた」

 ラスティアが言った。

「けど、そう。あなたの言うことが真実であるなら、私の母は――私のせいであなたに破れ、殺されたということになる」


「なんだって。ラスティアのお母さんが、こいつに……?」


「それも、幼い頃の私を人質にとる形でね。母は――偉大な英雄であったフィリー・アインフェルズは、私のせいで死んだの」


 かける言葉が見つからなかった。

 いつもきらめていて見える翡翠の瞳の、その輝きが、まるでアヴァサスの双眸に吸い込まれてしまったかのように淀んでいた。


 ラスティアがアヴァサスとの距離を詰め、シンの隣へと並ぶ。


「けれど私たちの目の前にいる相手が、本当にアヴァサスなどという存在かどうかはわからない。今、私たちに話していることのうち、いったいどこまでが真実なのかも。それでもこの目で目撃した以上、あなたという存在がラウル王に憑りつき、その躰を操ることのできる恐るべき存在なのは確かだわ。先ほどこの体にかけられたエーテライズも、常人のそれではないこともわかってる。そんなあなたでさえも、ストレイを相手に戦うのは得策ではないと思っている。だからこそすぐに力で抑えつけることもせず、ディファト王子や他の領侯たちがやってくるまでの時間を稼ぎ、実際にこの光景を目撃させることで私たちの罪を確かなものに——この国の法と秩序の力によって私たちを無力化するつもりなんだわ。こうして長々と私たちの話に付き合っているのが、何よりの証拠よ」

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