第42話「真理へと続く道」

 しかしシンとその相手との対峙は、別の敵対者によって妨げられた。


 シンが瞬きをする、ほんのわずかな瞬間。まるで予想もしていなかったローグの姿が視界へと入り込み、吹き飛ぶような勢いのままシンへと迫る。


 その手に握られていた剣が寸分違わずシンの首を狙っていた。


 まったく感知できていなかったシンは驚く間もなく身をのけ反らしながら躱すと、腕だけを伸ばしてローグの胸ぐらを掴み、体を捻る勢いのまま床へと叩きつけた。


「がはっ!」

 エーテルで身を守っていたはずのローグも、暴力的なまでに膨大なシンのエーテルの前にはあまりにも無力だった。

 苦痛に歪む表情でローグはなおも剣を突き上げたが、シンは頬ぎりぎりでそれを躱すと、掌に集約したエーテルをローグの顔面めがけて投げおろした。


 すさまじい衝撃音とともに、ローグの手足がばたりと床へと落ちた。


 それはまさに、一瞬の攻防だった。障壁を破った直後、強襲ともいえるローグの攻撃だったが、強力なエーテルを宿すシンの瞳はどのような動きをも見逃すことがなかった。

 常日頃からエーテルを纏っていよという、テラの教えのおかげだった。シンが考えるよりも早く、目に入った光景に全力で対応した結果が、ローグのこの姿だった。


(これが、意志するっていうことなのか……)

 シンは目の前で倒れているローグと自身の拳を見比べながらも、胸の内から沸き起こる衝動に戸惑いを隠せないでいた。


「それなりに使いこなせるようにはなったか」

 しかしシンのそんな感慨は、低く、しわがれた声にかき消された。


「ローグごときではもう足止めにもならんな」

 薄ら闇の中、寝台の横に立つ幽鬼のような長身の老人を見て、シンは思わず身を引いた。


(いったい、こいつは……)言葉には到底表せなかった。生きているのか死んでいるのかさえはっきりしない。感知されるエーテルが、()。


「おまえがこの場に来れたということは、あやつめしくじりおったな。やはりというべきか、当然というべきか」


「あやつって……マールズのことを言ってるのか?」

 

「むろんだ。それにしても、なんとも絶妙の機に現れるものよ。アルシノのセレマはいまだ健在といったところか。今少し遅ければこの者たちの命はなかったぞ」


「――ラスティア、レリウス!」

 シンは暗がりに倒れ込むふたりの姿に気づくと瞬時に駆け寄り、目前の相手との間に割って入る形で対峙した。


 ラスティアとレリウスは激しく咳込みながら肩を上下させており、会話もできない様子だった。


「ふたりに何をした」

 目の前の相手がラウル王などではないということは説明されなくてもわかった。その眼房、その顔つき。なによりその体内で渦巻く禍々しいまでの光が――エーテルともまた違う力の存在が、シンの心を激しくざわつかせた。


「一気に首をへし折るつもりだったが、新しい躰を手に入れたばかりでな。どこまで微細にエーテルを扱えるか試していたのだ」


 テラから再三指摘されもはや当然のように行っている感知を、このときばかりは解いてしまいたい気持ちに襲われた。


 それくらい、目の前の相手は異質すぎた。


 今まで出会ってきたエーテライザーたちとどう違うのか問われても、説明するのは難しい。ただ、相手の存在を認識しているだけで胸の内が淀み、めまいを引き起こされるかのような、そんな感覚だった。


 なにより相手が纏う濃紫の輝きエーテルに、シンの全身が全力で警鐘を鳴らしていた。


 特に膨大、というわけではない。むしろ量自体は今まで出会ったどのエーテライザーたちより少ないくらいだった。しかし、その輝きは思わず見惚れてしまうほど美麗かつ繊細だった。

 一部の隙もなく全身を包み込み、絶え間なく放出され続けている様は、まるで一種の芸術のようだ。


 見た目はもちろん、その身に宿す得体の知れない光、そしてまごうことなき実力者としてのエーテル。決して常人ではないことは明らかだった。


「おまえは誰だ」

 

「我が、誰か。ある意味、哲学的な問いともいえるな」

 その相手は、シンを真っすぐ見据えながら言った。

「我の名はアヴァサス。この世界の者たちからは闇の創造主とも呼ばれている」


「アヴァサスだって? おまえが?」

 

 アヴァサスという名を耳にするたびに、理由もわからないまま恐怖に近い感情に襲われていた。

 その相手が、今、目の前にいる。


「シンといったな。我はおまえのことをよく知っているぞ、現実世界からの来訪者よ」


「現実世界?」ラスティアとレリウスを庇うようにしながら訊く。「それは、おれがもといた場所のことを言ってるのか?」


「おかしなことをいう、ここへやってきたときのことを考えれば当然だろう。カラクタどもに言わせれば、に他ならん。おまえも目にしてきたはずだ。ここへ至るための唯一の手段、その扉となる書物、『アルグラフィア』をな」


「……そんなものは、知らない」

「なんだと」

 アヴァサスがラウル王の顔の上にいぶかし気な表情を浮かべる。


「おれは、気づいたときにはもうこの世界の空を飛んでいて……ラスティアのもとへ落ちていったんだ。おまえがいま言ったカラクタとか、アルグラフィア? なんてものは知らない」


 アヴァサスが深く落ち込んだ双眸をシンへと向ける。

 まるで頭の中をまさぐられているような気がした。視線を逸らそうにも、はりつけにでもされているかのように身動きがとれない。

 そのときはじめて、シンは自分が激しく震えていることに気がついた。だが、この場から逃げ出したいなどとは微塵も思わなかった。


 マールズと対峙したときのような恐怖はなりを潜め、今は二人を助けることだけを考えていた。

 自らを奮い立たせる不可思議な使命感が、ともすれば全身を覆い尽くしてしまうかのような恐怖心を見事に抑え込んでくれていた。


「なるほど、嘘を言っているわけではないようだ。だとしたら考えられることはひとつ。おまえ自身がを望んだということよな」


(おれが望んだ? 確か、マールズも同じようなことを言っていた)

 シンはマールズとアヴァサスの言葉を反芻し、そこに込められた意味を探ろうとした。

「おまえたちは、おれの何を知ってるんだ」


「……アルグラフィアはなぜ、おまえのような者を選んだ」

 アヴァサスはシンの問いに答えなかった。むしろ、自分自身に問いかけるかのようにして言う。

「かつての者たちのように類まれな意志や想像力を持ち合わせているわけでもない……おまえごとき下等な存在が、我を止められるなどとは到底、思えぬ」


「アルグラフィアが、選んだ? かつての者たちって……それはおれより前にここへ来た人たちのことを言ってるのか? それにおまえを止めるって、いったいどういうことだ」


「己の使命すら覚えておらんとは。アルシノめ、いったい何を考えている」


「おまえも、アルシノを知っているのか」

 マールズもそうだった。いったい彼女がこの世界と何の関係があるのか。


「むろんだ。この世界は我とアルシノ、それにプトレマイオスとによって創り出されたのだからな」


「アルシノが、この世界を創った? おまえとエルダが——光の創造主が、エルダストリーを創りだしたんじゃないのか」

 シンが訊いた限りでは、確かそのような話だったはずだ。プトレマイオスという名もどこかで耳にしたような気がしたが、はっきりと思い出せない。


「カラクタどものいうだ。故にアルシノこそが光の創造主ということになる。忌々しい名ではあるがな。そしてあやつは我をアルグラフィアに――。自らが創り出した理想郷のみならず、現実世界をも脅かす存在としてな。アルシノに敗れた瞬間からエルダストリーは我にとって牢獄そのものとなった。しかしこれからのち、我は完全なる復活を果たすだろう。そして必ずや、元いた現実へと舞い戻るだろう」


 立て続けに訊かされる情報の波に到底理解が追い付かない。

「……おまえはいったい、何の話をしてるんだ」


「おまえは我を阻止すべくアルグラフィアが選び、アルシノによって遣わされた現実世界からの来訪者だ。かつて、我の前に立ちはだかった者たちと同じようにな」

 アヴァサスはシンの全身が総毛立つような笑みを浮かべながら、言った。

「故に、我が宿敵と」


「そんなこと、おれは知らない――誰からも、何も、聞かされてない!」

 激しく首を左右に振り、叫ぶ。


「今の状態のおまえこそがアルグラフィアの意志だというのなら、、か……」


 その瞬間、アヴァサスの瞳が妖しく輝いた。


 シンは反射的に、あらん限りの意志でもって障壁を張った。ラスティアとレリウスに被害が及ばぬよう、エーテルの幕で周囲を包み込む。


「なんとも貧相なエーテライズよ」

 憐れむような声で、アヴァサスが言った。

「ただ怯えるだけの意志で我を阻むことなどできん」


 アヴァサスの全身から、蛇のようなエーテルが伸び、シンの築いた障壁へと突き刺ささる。直後、シンの思考が途切れ、意識を失ったかのような感覚に陥った。

 しかしそれも一瞬のことであり、目の前にいるアヴァサスも、シンのうしろにいる二人の様子も変った様子はなかった。


「さすがに完全には破壊できんか。だが、

 その言葉が、シンの恐怖を一気に掻き立てる。


「おれにいま、何をした……!?」


「いずれわかる――そろそろ、呼吸も整ったころだろう。ラスティア、レリウス」

 アヴァサスの言葉に呼応するかのように、シンの後ろであえぐようにしていた二人が、よろめきながら立ち上がる。


「……ありがとう、シン」

 ラスティアがかすれた声を絞り出す。その視線は一時も外れることなくアヴァサスの双眸を射抜いている。


「また、命を救われたな。もはや感謝の言葉ごときで収まるものではないが……」

 レリウスが苦し気な表情のまま言う。

「それでも、言わせてくれ。ありがとうシン」


 シンもアヴァサスと対峙したたまま二人の言葉を受け止め、うなずいた。


「何を考えているの、アヴァサス。いつまで私たちを放っておくつもりなの。さっきあなたは私たちを殺そうとしていたはずでしょう」


「ずいぶん冷静さを取り戻したとみえる。おまえにとってこやつの存在はよほど大きいということか」


 ラスティアとシンが視線を交わし、頷き合う。

「彼は私のパレスガードよ。シンがいれば……いてくれたら、相手が誰であろうと怯むことはないわ」


「もっともな答えだ。なればこそ、わかるだろう。我の前に立ち塞がるはストレイ……二百年以上の時を経て相まみえた宿敵をじっくり見定めたいと思うのは当然のことよ。稚戯に等しいエーテライズしか扱えないとはいえ、ストレイには唯一絶対の力、セレマがある。我とて万が一ということがないとは言い切れん――外の兵を抑えつけているのはおまえだな」


「そうだ」

 シンが即座に頷く。

「おれが外の人たちにかけたエーテルを解けば、一斉に押し入って来る。そうすればおまえの正体を大勢の人が知ることになるぞ」


「それはどうかな」アヴァサスが薄く笑う。「我の足元を見てみよ」


 シンは身構えたまま視線を下へと向けた。

 倒れている人影に、まったく気が付いていないわけではなかった。しかし圧倒的なまでのアヴァサスの存在感を前にそちらを気にする余裕もなかったのだ。


「……死んでるのか」

 確かに見覚えがあるルーゼンの体はぴくりとも動かず、その胸元からは大量の血液が零れ、周囲へと広がり続けていた。


「ああ。我が国の宰相は、水晶の玉座を狙う王女ラスティアによって無惨にも殺害されてしまったのだ」


 シンが再度ラスティアへと目をやる。彼女の唇はきつく噛みしめられ、その拳は細かく震えていた。

 

「違うシン、宰相は自らの手で――」

「見るがいい」

 レリウスの言葉をアヴァサスが遮り、ラスティアのいる床を指さす。


 王女として下賜されていたはずの剣が、無造作に転がっていた。その刃にはルーゼンのものと思われる血液がべっとりと付着している。


 そしてそれは、ラスティアの掌にも。


「宰相殺害の何よりの証拠となろう。ましてやアインズ国王、ラウル・アインフェルズをも亡き者にしようとしたことは極刑に値する。もうわかったであろう、ストレイ。おまえの王女は宰相を殺し、国王の命さえ狙った大罪人となったのだ」

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