第18話「アインズの権力者①」

「――アルゴード侯ほどの御方であれば、もしかすると勘づくやもしれませぬ」

 椅子に腰かけた壮年の男が言った。


 その背筋には微塵のゆるみもなく、両手は膝の上で丁寧に重ねられていた。形よく整えられた髭や白髪交じりの髪も綺麗に撫でつけられている。顔に深く刻まれた皺の一つひとつには、これまで歩んできた年月の険しさが見てとれるようだった。


 アインズ国宰相、ルーゼン・リフィトミ。今やディファト王子に次ぐ権力者とまで噂されているが、どこかの師弟かのように腰掛けているその佇まいからはおごり高ぶっているような様子は一切見られなかった。


「父の死をひた隠しにするなどと、最初宰相から聞いたときは正直気が触れたかと思ったが案外だましおおせるものだ」

 窓の傍に立つ男、王宮の外へと目を向けていたアインズの第一王子ディファトは薄く笑った。


 見事なまでに刈りそろえられた中庭から遥かな王都までをも一望できる、まさに王のみに許された絶景を前にしても、その瞳にはなんの感動も映し出されていなかった。


 まばゆいばかりに磨き上げられた巨大な一室に二人はいた。遥か頭上にある天井には広大かつ緻密ちみつなレリーフが刻み込まれており、きらびやかなシャンデリアがいくつも吊り下げられている。


 ディファトの言葉を受け、ルーゼンは視線のみで部屋の周囲を見渡した。

「この者たちがいる限り会話が漏れることはないかと思いますが……バンサー殿はいずこへいかれたのでしょう」


 部屋の四隅にはそれぞれ赤い外套ローブを羽織った四人の男女が彫像のように立っていた。

 いずれも王族付きの器保持者エーテライザーであり、彼らの手によってこの部屋は何重もの障壁が張りめぐらされていた。常人はもちろん、高序列のエーテライザーでさえ感知不可能といえるほどの厳重さだった。


「知らんな。昔から何を考えているかよくわからなんやつだ。最近はなにやら一人で動いているようだが……大方、俺のためになるようなことがあるのだろう。やつにそれ以外の目的などないからな——そんなことより父上の件は大丈夫なんだろうな」


「もとより面会も叶わぬほどの容体、その死を隠すのも宮廷医師団さえ抑えてしまえばそう難しいことではありませんでした。とはいえ彼らも万物の祖プトレマイオスつかえる身、服従させるまでにはずいぶん王子のお手をわずらわせてしまいました」


「やつらの家族を数人、もてあそんでやってだけだ」ルーゼンに背を向けたまま言う。

「たいした暇つぶしにもならなかったがな。いくらプトレマイオスを信奉していようと一度手を汚してしまえば引き下がることなどできんだろう――そんなことより、次はどう動く。レリウスたちがもし父の死に気づいたとしたら黙ってはいまい」

 

「知らぬ存じぬで押し通せばよいかと。王子の仰るとおり、医師団の連中も自分たちの首を絞めるようなことは決して漏らさないでしょう。いくら見え透いていようと関係者が何も口にせぬ以上、なんら証拠はございません。もちろん、今までどおり何も知られぬままでいることが一番よいのですが」


「やつらが力づくで父の寝所に押し入ってきたらどうする」


「不忠義者として捕らえてしまえばいいだけのことです。療養中の王を武力でもっておびやかそうというのですから。とはいえアルゴード侯がそのような行動に出るとは考えられませんが」


「さすがのレリウスも憤慨するであろうな。リヒタールあたりが鼻息荒くする顔も容易に想像できるぞ」

 ディファトが鼻と口をゆがめるようにして笑う。

「やつら、これまで何度も父上の寝所へやってきていてたというからな。あの忠臣面には心底虫唾むしずが走るわ」


「単に王を思っての行動というだけではありますまい。王が崩御されれば、もはや一刻の猶予ゆうよもなしと次期国王を決める動きが加速するでしょう。アルゴード候をはじめとする反ディファト王子派の者たちはその時期を見定めたいと考えているのです。しかしながら、とはいえ王がご存命のうちは表立って騒ぎ立てることはできません。下手をすれば王冠を欲するがための行動と見なされますからな。せいぜい今、皆がそうしているように、誰を支持するかをそれとなく示したり議論を交わしたりするくらいのことしかできませぬ。それとても王子が領侯会議を招集せぬ以上、公の場でというわけにはいかず、あくまで内々にという。しかしながら、議会を招集しないという消極的とも見える王子のこの行為も、の立場を尊重するものであり、いらぬ争いや混乱を避け、誰が次期国王に相応しいかを慎重に見極めているからです。非難されるいわれはまったくありません」


「当然だ。俺は父上の残した偉大な功績に思いを馳せつつ、我が国の行く末を常に熟考しているのだからな」

 ディファトが嘲笑を含んだ声で言う。

「次期国王が正式に決まるまでは長兄である俺と宰相が暫定ざんてい政権の責を負わなければならんのだ。領侯たちとて好き勝手なことはさせん……やつらは権力を持ちすぎたのだ。俺が王となったあかつきには父上の御代から続く制度を一新してくれる。これまで俺達をないがしろにしてきた奴らにはそのむくいを存分に受けてもらおうか」


「御意」

 ルーゼンはそうとのみ発言し、目を伏せるようにして頭を下げた。


「王の座を狙う不届き者どもを遠ざけるためにも父には今しばらく生きたままでいてもらうとしよう――遺体の保存については問題ないのであろうな」


 ルーゼンが即座にうなずく。

「必要な処置を施しております故、少なくともあとひと月は問題ないとのこと。とはいえ国王選定の儀ヴァーレイまではさすがにもちませぬ。たとえご遺体のことを抜きにしても、そこまで騙し通すのは無理があるでしょう。現状どおりディファト王子優性のまま次期国王を決めずヴァーレイまで押し切ってしまうのが最もよろしいのですが、反対派はあの手この手で議会を招集せよと迫ってくるでしょう。当初の計画どおり、こちらの最も都合の良い時期に領侯会議を開き、ディファト王子を次期国王とする決をとられるのがよろしいかと」


「それはいつ頃になる。大方目ぼしい貴族どもや王都オルタナの有力者たちへはもう手を回してきたのだろう?」

 ディファトは振り向きながら鋭い視線をルーゼンへと向ける。


「はい。ほとんどの者たちは税や取り締まりの権限を譲渡するとの言に相好を崩しディファト王子を支持すると宣言しております。残った者たちもギルドを国の管理下に置いたことで頷かずにはおられなかったようです」


「ふん。ずいぶん大きな顔をするようになったギルドの存在が、皮肉にも俺を助ける結果になったわけか」


「その戦力はもちろん、多くの民から支持を得て今や一国を相手に立ち回れるほどの一大勢力となっておりますから。それなりの権力を持つ者たちにとっては、こちらが予想していた以上の脅威となっていたようです。今回我が国は革新的ともいえる介入をギルドに対して行ったわけですが、このような動きは今後他国でも活発化していくはず。表立ってギルドからの反発がなかったのは、周辺諸国への影響を考慮したからに他なりません」


「アインズギルドほど巨大な組織が国と真っ向から対立すれば、西方諸国におけるすべてのギルドが対決姿勢を示す事態にまで発展しかねんからな」


「ギルド本部も我が国の誰が国王となるか読めない以上、無暗に逆らわず静観するのが妥当と判断したのでしょう。その動きについてはひとまずこちらの目論見通りではありましたが、今回の政策に対する民からの反発は相当のものがあります」


「何でもギルドに頼りきっていたつけが回ってきただけのことだ。しばらくは自分たちの力で何とかしてみるのもいいだろうよ」

 ディファトはしかめっ面のまま鼻で笑った。


「街中の依頼についてはどうとでもせよと言えますが、人里離れた場所に住む者たちや行商を生業とする商会にとって変異種による襲撃は死活問題です。ギルドに制限をかけた以上、何らかの対応は必要かと。王子の今後のためにも民から要らぬ反感を買うのは得策ではありませぬ」


「ああ、その辺のことはまかせる」

 ディファトは面倒事を引きはがすように片手を振った。

「結局、領侯会議を招集する時期はどうする」


「上手くいけば今の月中には招集できるやもしれません。これよりのちはディファト王子に味方する貴族や有力者たちの存在を大いにちらつかせながら必要な領侯たちを取り込んでいく予定です。ご存じのとおり現在ディファト王子を支持しているのはレスターム侯、ノルマン侯、リーデン侯、アルマーク侯、ブレスト侯の五名。この五名に加え、次期国王の芽がほとんどないアナリス王女派のバローア侯、グレン王子派のベイリーズ侯、あとはリザ王女派でありながら極めて中立に近い立場のブルーム侯、以上三名の支持を得られれば、いよいよディファト王子が水晶の玉座につく道が開けます。国王崩御の報は、その直前にでも」


「ブルームは必要なのか」


「念のため、といったところでしょうか。現在ディファト王子を支持しているように見えるブレスト侯ですが、そのお人柄や政治信条から考えるに現政権を安定させるためにこちら側についているといったところでしょう。アルゴード侯あたりが動けばラスティア王女派につくことも十分考えられます。ブレスト侯が離反したときのためにも、ブルーム候を懐柔しておくことは必要かと」


「くそ忌々いまいましい」ディファトが吐き捨てるように言う。「レリウスめが従妹ラスティアなど連れてさえ来なければとっくに玉座についていただろうに」


「申し訳ありませぬ。まさか、ラウル王とアルゴード侯がこれほど強引かつどさくさ紛れの手で新王女を誕生させてしまうとまではさすがに読めませんでした。相手がロウェイン家の、それも護国卿パーヴァス、ランダル・ロウェインでなければ断固として拒否することもできたかもしれませんが……ましてや今ラスティア王女にはの存在がついています。ザナトスでのバルデス軍撃退の功績を引っげて王宮の門をくぐらせてしまった以上、下手に手は出せません」


妄執国家バルデスめ、野盗のような言いがかりでよくもまあやってくれたものだ」


「逆に言えば、それだけ王子の集められている核光兵器メキナを怖れているといえます」


「当然だ。イストラやディスタの繁栄を目のあたりにしておれば、権力者として手を出さぬは愚者のすることよ。いつまでもエルダの教えなどに縛られていては国家繁栄はおろか、自国防衛もままならん。そもそも今のアーゼムがいい例ではないか。東の蛮族どもを同時に相手しているとはいえ、イストラに手を焼いているのはメキナの存在があるからに他ならん。これからは間違いなくメキナ——核光学の時代がやってくるのだ!」

 ディファトは声に力を込め、胸の前で強く片手を握りしめた。

「まあ、エルダを信仰してやまない頭の固い連中にはさっぱり理解できぬことだろうがな。父もレリウスたちも、まったく聞き耳をもたないどころか人を変人扱いしよって――」


「ましてやバルデスは我が国とは比較にならぬほど厳格なエルダ教国家です。独自の教えに従っているとはいえ、自然崇拝をうたっている以上、メキナに手を出すことはもちろん、その使用など到底認められるものではないでしょうな」


「だからこそ俺を断罪し、戦の大義名分とするとことであわよくば侵略してしまおうと考えたのだろうよ。どうせならラスティア一人くらい踏み潰してから帰ればいいものを……ストレイだかなんだか知らんが、雪が降ったの振らないのとわけのわからない理由で引き下がりよって――少々見てくれが変わっているだけのへんちくりんな子供ではないか。いったい皆いつの時代の話をしている。今や核光の時代が幕を開けようとしているというのに、馬鹿々しいにも程があるぞ。まあ、周りがかの者を伝説上の存在として勝手に畏怖いふしてくれるなら、考えようによっては我が国の利益になってくれるやもしれんがな」

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