第17話「レリウスの一石」

 バンサーたちが話を終えても、シンはもちろん、ラスティアもレリウスも、しばらくは言葉一つ発することができなかった。


「……人を、食べたって」

 ようやくそう口にしてみても、まるで現実味がない。それはこの世界エルダストリーの住人たちであっても同じらしかった。


 ラスティアは美麗びれい眉間みけんを歪ませながらバンサーたちを見つめ続け、レリウスにいたっては大きく首を振りながら大仰おおぎょうに肩を落としてみせた。

「そのような話を、私たちに信じろというのか」


「お三方の反応、至極しごくご最も」バンサーが鬱蒼うっそうと頷いた。「我々とて思わない時はありません。あれは本当に現実のことだったのか、と」


「ですがその時の――とてつもない光景は、今なおこの目に焼き付いて離れません……ふとした瞬間、特に一人になるようなときは、すべてを見通すかのようなあの怪物が笑いながらこちらをうかがっているような……そんな妄執もうしゅうにすら駆られるのです」 

 ベレッティはそっと自身の両腕をさするようにした。


「私とて同じです」

 リーンが伏し目がちのままつぶやいた。

「あの日以来、私たちはローグに近づくことを極力避け、細心の注意を払いながらその動向を監視してきました。しかし急に感知の網を強めてしまえばローグにいらぬ警戒心を抱かせてしまいます。あの怪物の言葉に偽りがなければ、ローグは私たちにつけられていたことを知らないはず。これまでより距離をとりつつも、遠方からは常に視界に収めているような……だからこそ光柱が出現したあの日、私たちはラスティア王女とシン殿が彼らに深く関わっていると確信できたのです」


「それは、ラスティアがリザ王女たちと会っているのを見ていたってこと? その場におれがいたことも?」

 バンサーたち三人から視線を浴びた瞬間、シンは自分が何を口走ってしまったのかを知った。

 しまったという思いでラスティア、レリウスの顔を見るが、二人とも苦笑したような表情のまま小さく首を振るのみだった。

 いくらストレイという存在を秘密にしているとはいえ、ここまで確信を持たれている以上、どう取り繕おうが無駄という感じだった。


「いかにも」バンサーが答えた。「しかしながら、どのような会話がなされていたかということについてはまったく。先ほどリーンが言ったとおり、我々はだいぶ距離をとりながらローグの動向を監視していた。把握できていたのは根源エーテルを発する者たちとその位置関係くらいのものです」


 王宮に忍び込む際に感知した、相当の力量をもつだろう者たちのエーテルの正体がバンサーたちであったことは疑いようがなかった。気づかれていないと思っていたが、ローグに近づいてしまったことで結果的に三人の感知の網に引っかかっていたのだ。

 距離をとられていたうえ、パレスガードの三人が厳重かつ慎重に張り巡らせていた感知の網に気づけるほどのエーテライズを、シンはまだ身に付けられていなかったということだろう。


(テラは……あいつは気づけていたんだろうか?)

⦅いや、さすがに無理だったようだ⦆

 案の定というべきか、間髪入れず応えてくる。


(おまえでも?)

⦅ああ。相手はなんといっても大国アインズのパレスガードだ、相応のエーテライズは身に付けているだろう⦆


「もし今の話がすべて事実だとしたら、リザ王女とローグは間違いなくバルデス側と通じていることになる。そしてその背後には、崇拝者ファロットと呼ばれる者たちの存在があることも。このことについてはマールズという名も含め、私たちには十分心当たりがあります」

 ラスティアは自らの考えを検証するかのような口調で言った。


 驚いて何かを口にしようとしたバンサーたち三人をラスティアが片手を挙げて制す。

 ラスティアが変貌を遂げたローグに襲われそうになったとき、リザが口にした言葉を、シンもはっきりと覚えていた。


(お待ちください、この場で殺あやめてしまえば私共の立場も危うくなってしまいます!)、と。


「わからないのは、マールズと呼ばれていた者の、役割。いえ、立ち位置といえばいいのかしら。話を聞く限り、ファロットには尊師ファトムと呼ばれる上位者がいて、アインズの王族であるリザ王女でさえも彼らに命じられているような、そんな印象さえ受けた。けれど今聞かされた話では、マールズがファトムに従っているような素振りはまるで感じられない……いったい彼はどのような目的や命令系統のもとアインズとバルデスの国境地帯になど潜んでいたのか。なによりわからないのは、あなたたちがローグをつけていたことを当の本人にも言わなかったこと――実際のところどうかはわからないけれど――あなたたちが言うように、あまりにも得たいが知れなすぎる」


 バンサーたち三人は驚き固まったような表情のまま互いに視線を交わし合った。自分たちの口にしたいくつかの名を、ラスティアがすでに知っているとは夢にも思わなかったのだろう。自分たちが話す荒唐無稽こんとうむけいのような話を易々信じてもらえると思ってはいなかったのかもしれない。


「ら、ラスティア?」

「なに、シン」

「その……今言ったことは、確かにそうかもしれないけど。その、人を食べたっていうことについては、どうなんだろう」

 シンにとってはそちらの事の方がよほど気になっていた。


「わからない……人を生きたまま食すことで生命ルナ・エーテルを取り込むなんて。そんな話、今まで聞いたこともないもの。だからこそ、今は置いておきましょう」

「お、置いておく?」

「ええ。いくら考えたってわかるはずがないし、要らぬ恐怖を抱くだけよ。今私たちがしなければならないことは、リザ王女とバルデス側の企みを暴くこと。それにファロット、ファトム、マールズといった者たちを陽の下にさらけ出し、アインズへの脅威を完全に退けてしまうことだわ。そうでしょう、レリウス」

「仰る通りです、ラスティア様」

 レリウスはすぐさま頷いてみせた。


「今回の話は、シンの力を確かめたかったというあなた方の理由に端を発している。つまりあなた方は、マールズという得体の知れない脅威に対抗する手段としてシンを担ぎ出そうとした、そう捉えて構わないわね」

 ラスティアが鋭い視線を向けると、マールズたちは力ない瞳を宙に向けながら、うなだれるように頭を下げた。


「おれが、たいこうしゅだん?」


「……あのとき私たちは、自らの意志で留まっていたわけではないのです。圧倒的強者を前に、ただ、その場を動けなかっただけに過ぎません。必死に王宮へと逃げ戻ってきたとき、全員が、マールズという存在に対する牙を持たぬ……家畜同然の存在となり果てておりました。パルスガードとしての役目を果たすことに変わりはないとはいえ、己の内にあった矜持きょうじともいうべきものが粉々に砕かれてしまった……主や周囲の人々に対しては、なんとかパレスガードとしての外見を取り繕ってきたものの、マールズという存在が、常に我々を委縮させるのです。こうして直接口にするようなときは、特に」


(願わくば、ストレイ。現世人とはあまりにもなる存在であるあなたは、我々の想像を絶するほどの強者であってくれ!)


 バンサーの口にした言葉がまざまざと蘇ってくる。必死過ぎて疑問にも感じなかったが、いま思えば極めて妙な言い回しだった。しかし、マールズという存在に対する圧倒的恐怖心が言わせた言葉だったのだとすれば、ずいぶん納得がいく。


「はっきりと言うがいい。貴校らは、ラスティア王女とそのパレスガードたるシンに対し、今回の件に関する一切の解決を望んでいると、そう言うのだな」


「いかにも。我々には到底手に余る事態」


「ちょっ、ちょっと待てください」

 シンは慌てて口を挟んだ。

「それはもしかして、おれがそのマールズとかいう相手をどうにかするってこと?」


「ストレイであるあなたには十分、その力があるとわかりました」

「人を食べてしまうような相手に無茶言わないでくださいよ!」


「でもシンは一度、ローグもろとも撃退してみせたじゃない」

 ラスティアがニコリと笑顔を見せる。

「よくわからない情報で闇雲に恐れるのは良くないわ」


「いや、良くないわって……」

 あまりにも屈託のない笑顔で言われてしまい、それ以上言葉が出なくなる。


「一度、撃退している? やはりあのときの暴力的なまでのエーテルはマールズが――」


「その辺のことは今後機会があればお二人から話されることもあろう」

 バンサーたちの反応をレリウスが切り捨てる。

「それよりも今は、今後我々がどのように動くか、ということについて話し合いたい。このような話を持ち掛けてきた以上、相応の手土産があるのだろうと考えているのだが、いかがかな。最も、貴校らのあるじを抜きにはなかなか決められぬことも多いとは思うが。以前話されていたとおり、王子たちには何も打ち明けてはいないのだろう? まったく理解できなかった貴校らのこれまでの言動も、なるほど納得がいく。このような話、ラスティア様以外には通じるものではない」


「ラウル王の懐刀であるアルゴード侯を前に策を弄しようとは思いませぬ。とはいえ、今言われたとおり今回のことについては主たちに許しを得るどころか、説明さえできていないこともまた事実。しかし我々はパレスガード、王族から最もその信を得ている者と自負しております。ラスティア王女のために我々ができることのなかで、今最もそちらが欲していること――暫定政権の新たな主権者を決定する領侯会議の開催を主たちに働きかけることはできます」


 一瞬の間のあと、レリウスは鼻を鳴らし、言った。

「本当にできるのか、貴校らに」

 

 その鋭さに、シンはもちろん、ラスティアでさえ一瞬息を呑んだような気がした。


「少々時を要するかと思いますが、おそらく……」

「ではディファト王子らは、をいまだ発表する気はないということだな」


 バンサーは、まるで思い切り頬をぶたれた後のような顔でレリウスを見上げた。


「ラウル王が、崩御……?」

「それは、どういう意味でしょうか」

 ベレッティとリーンは、わけがわからないといった表情でレリウスとバンサーを交互に見やる。

 シンとラスティアもまったく同じ反応をした。


(崩御って、え……?)

⦅なるほどな⦆

 ひとり納得しているようなテラの声が空々しく響いた。


「いまの貴校の反応で確信できた……やはり王は、すでにみまかられていたのだな」

 レリウスのひどく乾いたような声が、沈黙の降りた部屋の中へ染み入るように消えていった。

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