第19話「アインズの権力者②」

「といいますと?」

 ルーゼンが片方の眉を挙げるようにして尋ねる。


「まあ、その話はまたの機会にしよう――アルゴード、バルドー、シャンペールの三名はまず間違いなくラスティアにつくとして、数で言えばリザに並んだことになる。宰相はバローアとベイリーズがこちらにつくと読んでいるようだが、ラスティア側にくみする可能性もあるのではないか? 遅れて勝ち馬に乗るより追従する馬を自分たちの力で勝たせたほうが後々手にする権力もより確かなものにできるからな。その程度の餌、レリウスならいくらでも用意するだろう」


「恐れながら、仰るとおりかと。さらにいえば、ブレスト侯とブルーノ侯もアルゴード候が若い時分より何かと目をかけていました。もしお二人がアルゴード侯の説得に応じるようなことがあれば、バローア侯、ベリーズ候を含む四者がラスティア王女につく可能性すらあります」


「困ったぞ、そんなことでは俺が王になる目がなくなってしまうではないか」

 ディファトはくくくと笑いながら宰相ルーゼンの上座に腰かけた。歪んだ口元から笑い声が洩れる一方、その目はまるで笑ってはいなかった。光沢を放つテーブルの上で両手を組み、ルーゼンの顔を下から覗き込む。

「なら、次の代と首をすげかえてしまうのはどうだ? ブレスト老の『民のための苦言』とやらにも心底嫌気がさしていたところだしな」


「ご辛抱くだされ。今が最も肝要な時期であれば」

 ルーゼンはディファトを見つめたまま頭を下げた。その瞳はひどく淀み、何の感情すらうかがえず、今まで自分が述べたことについてどのような感慨も抱いていないように見えた。


 表情が乏しいどころか、どこか人間離れしたその容貌にもディファトは慣れているのか、まったく気にする様子がない。笑みを浮かべたまま続ける。

「いいだろう。下手に手を汚してレリウスあたりに付け込む隙を与えてやる必要もない。宰相の考えた通り領侯たちに話をつけてくるがいい。俺が直接出向く必要があるときは言え――」


「実は、すでに手を打ってあります」

「なに?」

「そろそろ、お越しになる頃かと」


 ルーゼンが口にした、まさにそのとき。扉をノックする音が広い居室に響いた。


「アナリス王女、グレン王子がお見えになります」

 扉の外から聞こえた声に一瞬目を丸くさせたディファトだったが、ルーゼンの顔を眺め、すぐににやりと笑った。


「なるほど。領侯とではなく我が妹弟たちと直接話をつけてしまおうというわけか――今回の件はすべておまえに一任していたが、そうならそうと事前に一言あってもよかったのではないか?」


「ご兄弟同士、私ごときでは推し量れない感情もあるかと思い、誠に勝手ながら独断で進めさせていただきました」


「推し量れない感情ときたか」ディファトは声を上げて笑った。「なるほど、確かに前もって言われていたら一蹴していたかもしれんな。許す」


「恐れ入ります」


「アナリス王女、グレン王子、お着きになりました」

「―—入れ」

 ディファトが命じると、数人の衛兵を引き連れたアナリスとグレンが室内に入ってきた。


 即座に立ち上がったルーゼンはうやうやしく臣下の礼でもって出迎え、ディファトは座ったまま口の端だけを釣り上げ実の妹弟を見つめていた。


「ずいぶんとご無沙汰しておりました、お兄様」

 白い花柄のドレスを身にまとったアナリスが軽く膝を折り、頭を下げる。しかしその顔には親しさの欠片も垣間見えず、ディファト同様、口元だけで笑みを浮かべながら、ほとんど睨むような視線を向けていた。


「おっ、お久しぶりです兄上」

 一方のグレンは深々と頭を下げたものの、ディファトやルーゼンとは一向に視線を合わそうとはせず、ひっきりなしに爪を掻いていた。


のなか、ずいぶんと目まぐるしい日々が続いている。お前たちと会うこともままならなかった、許せ」


「もちろん存じ上げておりますわ、お兄様」

 アナリスが軽く首をかしげるようにして答え、それに倣いグレンも慌てて首を振った。


「次期国王もいまだ定まらぬまま、バルデスの脅威をはじめ、なにかと多くの問題が持ち上がっている。俺たち兄弟も互いに協力し合いながら我が国を担っていかなければならん。そうでなければ長兄として父上に申し訳が立たんからな。二人とも何かと思うところもあるだろうが、ここはひとまず腹を割って話し合おうではないか。宰相もそのつもりで二人をここへ呼んだのであろう?」


「御意」

 

「まあ、とても嬉しいお言葉ですわ」空々しくしか聞こえないアナリスの台詞だった。「座っても?」


「むろんだ——おまえたちは下がれ」

 護衛を退室させると、ディファトはアナリスグレンを自分のすぐそばの椅子へと招いた。

「ベレッティとリーンはどうした」


「さあ、なにやら重要な用があるとか」

 席に着くやいなやアナリスが言う。グレンはうつむきがちなまま、上目づかいでディファトの方を見やった。

「僕も、よくは存じ上げておりません」


「アナリスはともかく、おまえがリーンと離れて行動するとは珍しいなグレン」

 ディファトは鼻白んだ様子で言った。


「そういうお兄様こそ、バンサーの姿が見えないじゃなありませんか」

「ふん、三人そろって悪だくみでもしているのかな」

 ディファトが冗談めかしたように言うが、誰ひとりとして笑う者はいなかった。


「そんなことより、どのようなお話しを聞かせていただけるのかしら」


「では、宰相から話してもらおうか」

 ディファトがさも当然といった様子でルーゼンを見やる。


「失礼ながら、今はもうこのような状況ですので単刀直入に言わせていただきます」

 ルーゼンはまったく動じることなく口火を切った。

「アナリス王女、グレン王子、お二方におかれましては、これから後、ディファト王子を次期国王として正式にお認めになり、盛り立てていただきたいのです」


 ルーゼンを横目で眺めていたディファトは、「ほう」といった表情を見せた。


「あら、単刀直入にも程がある言い方ね。こう言っては失礼かもしれなけれど、お兄様におかれましてはずいぶん旗色が悪いということなのでしょうか」


「決してそういうわけではございません。ディファト王子はより多くの領侯や貴族、市井しせいの有力者たちから支持されていることはアナリス王女もよくご存知のはず」

 ルーゼンをはじめとするディファト派は、まさに、このことに全力を傾けていたといえる。足元を見られることなく、ディファト派についた方が断然得策だと突き付けるためには、他の王子王女の誰よりも支持されている、多くの後ろ盾がいるという事実が必要だった。そしてその情報についても、わざわざディファト側から触れ回るようなことはせず、周りが独自に把握していくに任せ、より信憑性を高めた。相応の時を必要としたが、ラウル王の死を偽り、領侯会議の招集をできる限り引き延ばしたことにより、十分な時間を確保することができたのだった。


「なら、わざわざ私とグレンを頼るような真似などなさらなくてもよろしいでしょうに」


「ディファト王子は、お二人の行く末についても大層心配されておられるのです」

 そんなことは頭の片隅にもないといった様子のディファトだったが、もちろんルーゼンの言葉を否定するようなことはしなかった。むしろ、神妙にうなずいてさえ見せた。


「私たちの行く末とは?」

 どこか突き放すようなアナリスの質問だった。グレンはなんとも口にできず、目を瞬かせるようにしながらルーゼンとディファトを見つめている。


「リザ王女はともかく、もしラスティア王女が王となられた場合、お二方は相当陰ひなたへと追いやられてしまうのではないでしょうか」


「まあ、宰相ともあろう者がずいぶんな言い方をなさるわね」

 アナリスは相変わらず笑みを絶やさなかったが、ディファトと良く似た鋭い目つをさらに険しくさせながらルーベンを睨みつけた。


「ご無礼をお許しください。ですがこれは私から見たラスティア王女の気質やご人格、信念、あるいはその政治信条といったことに端を発しており、的を射た推察かと」


「詳しく聞かせてもらいましょうか」


「恐れ入ります。私はラスティア王女というお方を、相当の実利主義者であると捉えています。これまでの慣例など目もくれないといった先のパレスガードに対する宣言や闘技大会の開催、あるいはギルドと密接な関係を築こうとするかのような最近の行動はその表れといえます。なにより、王宮に何の相談もなくストレイその人をパレスガードとして迎え入れてしまうなどと、到底許されることではありません。のちほど説明いたしますが、このことは諸外国とのいらぬ軋轢あつれきを生む結果にもなっております。ラスティア王女は、ザナトスから連れ帰った得体のしれない者を臣下に加えるなど、ご自分が有能な人材と判断すれば身分を問わず引き立てしまうようなお方……逆にそうでない者には相応の扱いでもって応えようとする、ともいえます——間違ってもアナリス王女やグレン王子を無能などと言っているのではございません。もしそのように受け止められたのであれば、このルーゼン、いかなる処罰も甘んじて受ける覚悟であります」


「余計な御託ごたくはいいから続けなさい」

 その言葉とは裏腹に、アナリスの顔にはわずかばかりの笑みさえなくなっていた。アナリスの様子がさぞおかしかったのか、ディファトは自身の口元を手で覆い隠すようにした。


「恐れながら。私が危惧きぐしておりますのは、実利主義といってもそれはラスティア王女にとっての、ということです。つまりラスティア王女は、一国を預かる身としては極めて危険な理想主義者でもあるということです。アインズの王族としてお生まれになったお二方であれば、私の言わんとすることが十分ご理解いただけるはず」

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