第12話「馬車の中にて」
「ずいぶん、容赦のない娘でしたね」
王宮へと帰る最中、シェリーが言った。
質素ながら揺れが少なく、重厚な造りの馬車の中はしかし、何とも言えない沈黙が漂っていた。
シンは窓際に寄りかかるようにして座る隣のラスティアに対し、今までにないほどの距離を感じていた。今のシェリーの発言も二人の空気を察して、といったように聞こえた。
「お二人と変わらない年頃のように見えましたが、ラスティア様を前にあれだけの自信と意見を口にできるとは大した胆力です」
「そうね。少しくらいシンに分けてもらってもいいくらい」
(え)
突然口にされ、声も出せないまま隣を見る。ラスティアは相変わらず外を眺めたままだった。
自然と向かいのシェリーと目が合う。シェリーは余計なことを言ってすみませんと言わんばかりに軽く頭を下げ、苦笑した。
「シンは、ああまで言われて悔しいとは思わなかったの」
「悔しいとかは、別に」
「なぜ? 今まで何度も私の窮地を救ってくれたあなたには、誰より反論する資格があるはずなのに」
「……きみを助けることができたのは、おれの力のように見えて、本当のところはそうじゃないから、かな」
そう言うと、ラスティアはようやくシンの方を振り向いた。
「あなたの力ではない?」
間近で接するたびに思わずにはいられない完璧すぎる美貌が、その翡翠の瞳がシンを真っすぐに見つめてくる。
「それは、どういう意味?」
「はじめてここに来たとき――きみとレリウスが襲われていたあの場所へ飛ばされて来たときにはもう、勝手に身についていたもの、というか」
強すぎるラスティアの視線を受け止めきれず、自然とうつむく。
「テラが助けてくれる形でそれなりに使いこなせるようになったかもしれないけど、この力はおれのまったく知らないうちに、いつの間にか与えられていたものでしかないんだ。ラスティアが使う
「そんな――」
「何より」シンはラスティアに先を言わせなかった。「こんな――まがいものみたいな力を誇ってみせるだなんて、そんな恥ずかしい真似とてもじゃないけどできない。少なくとも、俺には無理だよ」
「……ごめんなさい」
隣から聞こえた小さな声にはっとし、顔を上げる。
「シンのことを何もわかっていない人にいいように言われて、腹が立ったの」
今度はラスティアがうつむきがちになりながら言う。
「自分の感情ばかり優先させて、あなたの境遇やそのことに対する思いといったことについてはまるで考えていなかった」
「そこまで言わなくても」
「自分が恥ずかしい。私も、シンのような
「いや、慎みって……」
生まれて初めて言われた誉め言葉には、嬉しさどころか恥ずかしさすら感じなかった。一体誰のことを言っているのかとさえ思った。何と返していいかわからず、助けを求めてシェリーへと視線を送る。
「お二人は、互いを映し出す鏡なんですね」
シェリーが微笑むようにしながら言った。
「かがみ?」
「ええ。まるで異なる相手を見ることによって、自分自身を
ラスティアはシェリーの言った言葉の意味を噛みしめるかのように黙り込んだ。
じっと一点を見つめながら、しばらくのあいだ何事かを考えこんでいたが、やがてゆっくり頷くと、再度シェリーに視線を戻した。
「互いを映し出す鏡……」
つぶやいたラスティアの顔に満面の笑みが広がっていく。そのままいたずらっぽい表情でシンを見ると、もう一度深くうなずいた。
「シェリーにも、鏡となる人はいるの?」ラスティアが訊いた。
「幸いなことに」
「その人とのことを、詳しく聞いても?」
「誰かに語れるようなことでもないのですが、お望みとあれば」
「ぜひ」
「そうですね……」シェリーは言いながら少し考え込むような素振りを見せた。「私の鏡となってくれた相手は、不遜ながら、少しシン様に似ておられます」
「おれに?」
「ええ。自分の能力をひけらかすような真似は決してせず、というか、いつもどこか自信がないような態度で私を苛立たせる――失礼をお許しください。今のお二人の様子を見ていて、少し昔を思い出しました」
「というと、ウィンザー家に近い方なの?」
「フェルバルト家に仕えるスペイス家の人間でした。我がウィンザー家とは互いに競い合うような関係にあります。私は彼と同い年でしたので、同世代の人間として常に意識してきました。といっても、周りは彼のことをまるで無能者のように扱い、ほとんど見放してさえいました。れきとした
「なぜなの?」
「彼が――ルッツ・スペイスという人間が、人と競い合うということをせず、自分自身の優秀さをまったくもって知らしめようとしない人間だったからです。代々ウィンザー家もスペイス家も、レリウス様をはじめとするフェルバルト家を御守りすることを使命としてきました。もちろん、一族の出であれば誰でもいいというわけではありません。器を宿したものの中から最も優秀な人間がその栄誉に
「ルッツさんは、どうしてそんなことを?」
「もちろん相手を馬鹿にして、といったことでは決してありません。私も上手く言えないのですが……もとの性格、としか言いようがないですね」
「なぜあなただけが彼の実力に気づけたのかしら」
「私は極めて優秀でしたので」シェリーはいたずらっぽく笑う。「というのは冗談ですが――昔、彼に命を救われたからです」
「命を?」
「はい。このことに関しては話すと長くなるので省略させていただきますが、それまで皆と同じく下に見ていた、あの情けない、いつも困ったように笑うだけのルッツが垣間見せた実力に、私は自分がどれほど浅はかだったのかを思い知りました。そして、どれだけ
「……ウィンザー家でも指折りの実力者でもあるあなたがそこまで言うなんて。それで今、その方は?」
「私がフェルバルト家に仕えるよりも早く、アーゼムの
「もしや、アンブロへ?」
ラスティアが息を呑むように聞いた。
「はい。一族の誰一人として気づけなかったルッツの素質を見抜いたのは、さすがはアーゼムと言わざるを得ませんでした。ルクスから持ち掛けられた話に、スペイス家はもちろん、ウィンザー家もフェルバルト家もひっくり返る大騒ぎでしたね。一族からアーゼムとなりうる人材を輩出できるなど、エルダストリーにおいてこれ以上の栄誉はありませんから」
「ちょっと聞きたいんだけど」シンが遠慮がちに言う。「その、アンブロっていうのは? さっきグレースって子も言ってたけど」
「アンブロ・エムリス――優れた器と素質をもつ子供たちを集め、アーゼムとなるべく育て上げる、いわばアーゼム養成機関といったところです」
シェリーの説明にラスティアが深くうなずく。
「アーゼムに相応しい器をもつといわれる人間は数千人に一人と言われているわ。アンブロに入門するだけでもとてつもない名誉といわれているのよ」
「たとえアーゼムになれなかったとしても、ルクスたちに仕えることができますし、エル・シラでの居住も許されます。何より、エルダから与えられた使命、その一旦を担うことができます。これは我々一般の民にとってまさに夢のような出来事ですよ」
「あー……だからさっきの子が『断った』って言ったときあんなに驚いてたんだね。でもその、アンブロ・エムリス? というところに入門できたとしてもアーゼムになれるかどうかはわからないんだ?」
「ええ。アンブロに入門できた人たちのなかでも一握りの人間だけがアーゼムとなることができるの」心なしかラスティアの声が落ちる。「それでその、ルッツさんは?」
シェリーから、柔らかな笑みがこぼれた。
「数年前、私のもとへ会いにきたときには
「それは――」ラスティアが険しい表情を浮かべる。「さぞ、心配でしょう」
「それが、まったく。ルッツ・スペイスという人間は、見た目はとてもアーゼムなんかには見えないのですが、傍にいると『この人は大丈夫、この人なら必ず何とかしてくれる』。そんな気持ちにさせてくれる人間なんですよ。ラスティア様がシン様をそう思っているように、私も彼を信じています。一緒にいると腹立たしいことばかりで面と向かっては一度も言ったことはないんですけどね――さあ、私の話はこれでおしまいです。お二人はこれから、他のパレスガードたちの真意を問うという大変重要な役目があるのでしょう。些細なことで空気を悪くしている場合ではありませんよ」
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