第8話「思惑」

 時は、シンが目覚める数刻程前にさかのぼる。


「――今回の件は、あくまであなた方の独断であると」

 抑揚のない、底冷えのする声が室内へと響き渡る。


「すべてはシンがストレイであるとの確証を得るためのものであった。そう言いたいのですね」

 いつもの穏やかさなど欠片もないラスティアの声だった。


 ラスティアの前にひざまずいていたバンサー、ベレッティ、リーンの三人は無言のままこうべを垂れた。


(まさか、これほど激しい感情を表に出されるとは)

 三人のパレスガードと相対するラスティアを見つめながら、レリウスは心の中でうなった。


(――いや、正しくは押し殺している……か)

 十三領侯の筆頭にして今やラスティアの側近中の側近とまで呼ばれているレリウスでさえ、声をかけるのが躊躇ためらわれるほどだった。


「ラスティア王女のお怒り、御もっとも。我ら三人、もとよりいかなる処罰も受け入れる覚悟」

 バンサーがその巨漢をなるべく小さくするようにしながら、しかし決然とラスティアの顔を見据えながら言う。

「ですがそのうえで、シン殿のお力をこのような形で確かめざるを得なかった我らの事情についてご説明差し上げたい」


「むろんだ。可能な限り詳しく聞かせていただこう」

 レリウスはここぞとばかりに口を挟んだ。


 いくら相手に非があるとはいえ、目の前の三人に対する言葉はすなわちその主であるディファト、アナリス、グレンへ向けた言葉となる。今のラスティアに話の全権を委ねてしまえば、いらぬ火種をまき散らしかねないと思ったのだ。とはいえレリウスには、ラスティアの感情以上に気になることがあった。


(いくらシンのことが気になっていたとはいえ、彼らの主に何の断りもなくこのような事態を引き起すだろうか。そもそもローグを含むこの者たちパレスガードこそが、シンをストレイと断定した張本人ではないか)


 レリウスは「シンがストレイであるかどうかなど与り知らぬところである」という自分たちの説明がほんの建前でしかないことを十分理解していた。そんなことを真に受けている者はこの王宮内に一人としていないこともだ。


 だからこそ、わざわざ表立って衝突し事の真相を確かめようとしたなどというバンサーたちの真意がまったく読めなかった。


「とはいえ、まずはシン殿が目覚めるのを待たせていただきたく存じます」

 静かに、だがはっきりとした声でリーンが申し出る。


「なんと、シンがいないと話せないと申すか」

 ラスティアの口が開く前にレリウスが詰め寄る。


「そうではありません」ベレッティがすかさず言う。「ですが、此度こたびのことで最も憤りを感じておられるのはシン殿であるはず。ラスティア王女に対する釈明はもちろんですが、まずはシン殿に直接謝罪する機会を与えていただきたいのです。なにより、それが筋というもの」


「私が怒りのあまりあなた方をシンに会わせないのではないか、と。そう危惧きぐしているのでしょう」

 間髪入れず、ラスティアが言った。


「まさか、そのようなことは決して」

 ベレッティが言い、リーンと共に即座に頭を下げた。


 さほど動揺したような様子もなく、優雅とさえいえる所作であった。しかしはそれは、自身の表情を見せないがための行動のようにレリウスには思えた。その証拠にバンサーたち三人がほんの一瞬視線を交わし合う様をレリウスは見逃さなかった。


 そしてそれは、ラスティアの言葉が決して言いがかりではないことの証だった。十中八九、三人の目的はシンにあり、この後なんらかの依頼や交渉事を持ちかけようとしてくるだろう。そうでなければ『直接謝罪する機会』などというまわりくどい言い方はしないはずだ。


 バンサーたちは、想定外だったであろう今回のなりゆきによりシンとの接触を絶たれてしまうことを避けようとしている。ラスティアはたった一言で彼らの真意を見抜き、くさびを打ち込んだのだ。


 アインズという大国を背負い、西方諸国一帯を相手に渡り合ってきた自分よりも早く相手の思惑を見抜いただけでなく、先に切り込まれてしまった。話の主導権を握ろうとしていたレリウスは内心舌を巻く思いだったが、それとはまた別の感情が胸の内に沸き起こっていた。


(我が国のパレスガード三人を、完全に圧倒してしまっている)


 ほんの数日前王女という地位が与えられたばかりの少女が、領侯たちでさえ表立って意見できないほどの実力者エーテライザーたちをこうも屈服させられるものなのか。


(アインズの大貴族として優れた素養をもつ同世代の少女たちの誰一人としてこの方と同じ真似はできまい……アナリス王女やリザ王女とて例外ではない。むしろ、常にパレスガードの庇護を受けているお二人こそ、己のパレスガード抜きにこの者たちの前に立つことの恐ろしさを身に染みて知っているはずだ)


 目の前の三人がその気になりさえすれば、ラスティアもレリウスも一瞬にして消されてしまうだろう。そのことを思えば、超常的な力を持つバンサーたちと人知れず会談していることへの怖れや恐怖といった感情を抱いてもおかしくはないはずだった。だが、そんなものは露ほども起こらなかった。むろんそれは、新たな主君と定めたラスティアの存在があるからに他ならなかった。彼女のかたわらに立っていると、まるで病に冒される前のラウル王と共にあるような、そんな気さえしていた。


(これが、エルダが十三従士の一人――ロウェインの血を引くということなのか。はたまた偉大なる王の器と類まれなる根源の器、その両方を合わせもつと言われたフィリー様の血がなせる業なのか。


 アインズ王室の血を引くということだけでは決して推し量れないその存在に、レリウスはあらためて畏敬の念を抱いた。


「いいでしょう。シンが意識を取り戻し次第、新たに席を設けることとします。まずは襲撃により臥せてしまった当人への謝罪をというあなた方の言い分にも、確かにうなずけます」

 しばらく考えるような間をとっていたラスティアがうなずきながら言った。


「そんな、襲撃などと――」


「あなた方の申し開きはシンとともに後ほどじっくり聞くことにします」

 ベレッティの言葉をぴしゃりと遮る。

「この場はこれで収めることにします。レリウスもいいですね、此度こたびのことは我々のみの秘密だそうなので、ディファト王子たちにはくれぐれも口を滑らせぬよう」

 

 ラスティアの言葉にレリウスは素早く一礼した。


「もっとも、いくら深夜の、それも障壁内の出来事とはいえ、三人ものパレスガードが一同に会しているような状況の中どれほど秘密が保たれるかは私のあずかり知らぬところではありますが」



§§§§§



「それでこんな夜更けに、というかもう夜明けだが……俺たちを呼び出したというわけか」

 リヒタールが憮然ぶぜんとした表情で言った。


 窓からは明け始めた空の薄い光がぼんやりと差し込んできていた。すでに秋も終わりを迎えようとしているせいか、小姓が入れたばかりの暖炉の熱が部屋全体に行き渡るまでにはもう少し時間がかかりそうだった。


「事が事でなければ皮肉のひとつやふたつでは済まさんつもりで乗り込んできたが……まさかパレスガード三人がかりで強襲とはな。やってくれる」


「それで、シンの方は大丈夫なんだろうな」

 ルノがソファから身を乗り出しながら言う。


「テラからは特に問題ないと聞いているが、さすがに肝を冷やしたぞ」

 レリウスは机の上で両手を組み直した。


 シンが目覚めるまでしばしの時間を得たレリウスは、リヒタールとルノに使いを走らせたのち、王宮内にある専用の執務室に戻ってきていた。


 途中ラスティアとともにシンの様子を見に寄ったが、まだ目覚める気配はないようだった。その場に居座ってもできることはないためテラとフェイルに任せてきたが、ラスティアは最後までそばを離れようとしなかった。

 さすがに今日の公務に差し支えるとのレリウスの説得にラスティアが応じたのは、ほんのつい先ほどのことだ。


 ラスティアも自分も、ほとんど一睡もせぬまま一日を始めることになるだろう。たたでさえ過密な予定であるうえ、シンが目覚めて体に問題がないとなれば、再び秘密裏にバンサーたちとの会談の場を設けなければならない。

 とはいえ、レリウスという人間にとっては苦労とも激務ともいう程のことではなかった。ラウル王の傍らで常に国の中枢を担ってきた彼にとって、このようなことはむしろ日常的ですらあった。


 彼にとって非日常であったのは、やはりその中身だった。


 新たな主君と定めた類まれな王たる器をもつであろう少女と、絶対者ストレイという歴史書の中でしか認知していなかった伝説上の存在であるところの少年。


 さすがに普段は意識することもなくなったとはいえ、こういったときは思い馳せずにはいられなくなる。いったいエルダはいかなる気まぐれで自分のような人間を巻き込んだのか、と。

 

「しかしこれは由々しき問題だよ。聞けばバンサーたちはラスティア様の居室の真ん前で事に及んだというじゃないか。いかなる事情があるにせよ、決して許されるようなことではない」

 普段温厚ルノも厳しい表情を浮かべる。


「もちろんその事情とやらを聞き出そうとはしたんだろうな」

 リヒタールの険しい視線がレリウスへと向いた。


「シンが目覚めてから謝罪とともに話すと」

「そんな戯言ざれごとでおめおめ引き下がったのか」

「ラスティア様が決めたことだ」

「バンサーたちの言葉に納得したと?」ルノが口を挟む。


「というより、一刻もはやくシンのもとへ駆けつけたかったのだろう」

 ベッドに横たわるシンの、そのかたわらに寄り添うようにして身を寄せるラスティアの後ろ姿を見て、レリウスは一瞬のうちに理解した。

「バンサーたちへの怒りはもちろんだが、今はこの者たちを相手にしている場合ではないと。そんな焦燥がラスティア様のあの態度だったように思う」


「まあ、シンという存在とこれまでのいきさつを思えばラスティア様のお気持ちもわからんでもないが」

 リヒタールが一転、人の悪いような笑みを浮かべる。

「そもそもあんな得体のしれん鳥がいくら大丈夫と言ったところで何をどう信じていいかわからんからな」


「あまり不用意な発言をするな。少なくともラスティア様はテラを軽んじてはいない」


「ルノの言う通りだ」レリウスが透かさずうなずく。「かくいう私もその一人だからな。あれは確かに……大層奇妙な存在だが、その言葉には相応の知性を感じる」


「ふん、まあその鳥? のことは置いておくとしてだ。おまえは今回の件をどう納めるつもりだ、レリウス」

「それはもちろん、相手の出方次第だろう」

「相手、というのはバンサーたちパレスガードのことか、それともその上に立つ方々のことか」

「彼らの言い分を信じるのであれば、今回の件にディファト王子たちは関係していないことになる」

「そんなことがありえると?」

「むろん、平時であれば到底信じがたい行動ではある。だが、おまえたちも知ってのとおりパレスガードは主の身辺護衛のみを役割とするのではない。どちらかといえばそれは近衛兵士団の任務だ」


「『パレスガードとは、主の目的遂行や危険が及ぶのを未然に防ぐことを任務とし、必要とあれば主の許しなく単独で行動することすらいとわない』、だったか? 我らの家庭教師殿を思い出すな」

 何者かの口真似をしたリヒタールがくくくと笑う。


「昔を思い出して笑っている場合じゃないだろう」

 ルノが非難がましい目を向ける。


「これは憶測でしかないがな……今回の件はリザ王女とローグに関わることではないかと考えている」

 レリウスの瞳が燃え盛り始めた暖炉の炎を反射し、ちらちらと揺らめいて見えた。

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