第7話「夢の残響」

 いつの間にかシンは、ひとり暗闇に包まれた雪原に立っていた。

 微かに目を凝らすと雪が降っているのがわかる。しかし辺りは夜のとばりの中にあり、少し先も見通せなかった。


(なんだ、ここは)


 あまりにも突然の事態に、呆然と立ち尽くしてしまう。


(バンサーたちは、どうなったんだ――)


⦅ずっと、俺たちを騙してたのか!⦆


 突如響き渡ったその声に慌てて振り返る。

 少し先、ぽつんと立つ街灯のような明りの下に二人の人影が見えた。


⦅いつからあんなことを!⦆

 誰かが倒れている相手にまたがり、両手でえり元をつかみながら激しく首を揺さぶっている。

 まるでスポットライトを浴びているようにも見えるその場所は、シンが立つ雪原とは違い、どこかの部屋の一室のようだった。


 倒されている相手の口元が微かに動き、何かを囁くのが見えた。


⦅――んだよそれ、なんなんだよそれは!⦆


 馬乗りのようになっている誰かはさらに逆上したのか、目前の相手に顔を突きつけるようにした。そして――


 大きく振り上げたこぶしを叩きつけた。

 絶叫ともいえるほどの声で叫びながら、真下にある顔面めがけ、くりかえし両の拳を叩きつける。


⦅俺だけが、俺だけがあ! 何も気づかないで――何も気づかなかったなんて、そんな……⦆


 相手の両脚が痙攣していることも、すでに意識などなくなっていることにも気づかず、ひたすら殴りつける。


 何度も、何度も、何度も。


 あれは、だ。

 ようやく、そんな疑問が湧いた。そのときになり、シンは自分が震えていることに気づいた。


 まるで自分の体ではないような気がした。怯えているわけでも寒いわけでもない。それなのに、全身の震えが止まらない。


 いったい。そのことを確かめようと、灯りの下にいる二人に対し、今まで以上に目を凝らす。


 は、ようやく気が済んだのか、最後に力なく拳を振り下ろしたあと、ふらりと立ち上がった。

 ぶら下げられた両のこぶしは痙攣し、血にまみれ、ぽたぽたと血が滴り落ちていた。その音が、不自然な程はっきりとシンの耳へと届く。


 倒れたままぴくりとも動かなくなくなった誰かと、それを見つめ立ち尽くす誰か。

 シンの手が自然と自分の胸に伸び、わしづかみにした。


 逃げろ(――だめだ)。

 今なら間に合う、早く逃げろ!(――逃げるな。)。


『逃げるな? 馬鹿を言え』

 シンのすぐうしろで、誰かが言った。

 

 心臓が飛び出すのではないかと思うほどの衝撃だった。だが、シンは振り返らない。

 振り返れなかった。


『おまえいったい、自分が今どこにいると思ってる』

 嘲笑ともとれる冷たい声。唾を飲み込む音が、大きく頭へ響く。


 後ろにいるはずの人物が誰か、


『ずいぶん都合のいい力と居場所を手に入れて、さぞご満悦か?』

(違う……俺はあのとき、のところへ行こうとしたんだ。こんなことは――)

『望んでいなかったか? はは、そんなはずないだろう。今のおまえはおまえ自身が望んだことだ』

(ちがう……) 

『何が違う? あの日おまえは、アルシノの店に逃げ込んだ。そして、すべてを忘れてしまったんだ』

(あ……あぁ……)

『良かったじゃないか。。思う存分おまえに託された使命とやらを果たせばいい。そう、まごうことなき絶対者としてな』

(おれはそんな……そんなつもりじゃ……)



『あ、そういやおまえ。いったいどんな顔でに会うつもりだったんだ?』



 §§§§§



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「おいどうしたよシン!」

 

 突如目の前に現れた顔が、シンを現実へと引き戻す。


「助けて――、何も知らなかったんだ!」

「シン! 大丈夫だから落ち着け、な? 大丈夫だ」

 フェイルのたくましい腕と大きな手がシンの肩をつかみ、抱き寄せる。


 全力疾走した直後のような呼吸とドラムを打ち鳴らすような鼓動がシンを襲っていた。

 それでも、フェイルの厚い胸に額を押し当てながらしばらくの間黙っていると、少しずつ体が静まっていくのが分かる。


 最後に肩を大きく上下させ息をついたとき、フェイルがゆっくりシンの体を離した。 

 そこでシンは自分がベッドの上で眠っていたのだと気付いた。


「よう、落ち着いたか」

「……おれ、今なんて言った?」

「なんだって?」

「今、なんか叫ばなかった?」

「覚えてないのかよ」

 うなずくシンを見て、フェイルが眉をひそめる。


「『何も知らなかった』、そう言ってたぜ」

「……知らなかったって、なにを?」


「俺がわかるはずねーだろ」フェイルが鼻を鳴らすように笑う。「大方夢で見てたんだろ、ひどいうなされようだったぜ? 何度か起こそうかとも思ったんだけどよ……どんな夢見りゃそうなるんだよ」

 

「夢……?」

 思い出そうとしても、まったく何の映像も浮かんでこない。だが、水浴びした後のような汗と、いまだ完全に鳴りやまない鼓動とが、フェイルの言葉を証明しているように思えた。


「というかおれ、なんで眠ったりなんかしてたんだろう――そうだ、バンサーたちとはどうなったんだ!?」

「まったく覚えてないのか?」

「あの三人にいきなり襲われて、それで――」

「おまえが返り討ちにした、までは良かったんだけどよ」フェイルが腕を組んでうなる。「グルの枯渇とやらのせいでそのまま気を失っちまったってわけさ」

「え? おれ、あの場で倒れちゃったの?」

「らしいぞ、ものの見事に」


 喉の奥からカエルの鳴き声のような声が漏れた。


「やつら、相当泡食ってたみたいだぜ。なんせ自分たちを圧倒したはずの相手が勝手に力尽きちまったんだからよ。客観的に見りゃラスティア王女のパレスガードを三人がかりで倒しにかかったようにしか見えねえ。そんな窮地に現れたのがテラってわけさ」

「テラが?」

「ああ。あいつ最初から全部見ていたらしいぜ? で、おまえが倒れたときに颯爽と現れ、俺を使ってここまでおまえを運び込んだってわけさ」

「最初から見ていた? でも、バンサーの障壁があって俺からの共鳴は届かなかったはず」

「よくわかんねーけど、たんに無視してただけじゃね?」


 ――あのやろう。


 テラが野郎かどうかは知らないが、ムラムラと怒りが込み上げてくる。


(何が、『気をつけろ』だ。またラスティアのときみたく覗き見してたんだろうが)

(おかげで大ごとにならずに済んだろう)


 当たり前のように共鳴で返してくるテラに、言葉にならない悪態をついた。


こやつフェイルを使って糖分も補充してやったんだ、感謝しろ)

(そりゃどーも)

 できるだけ白々しく聞こえるように言ってやる。


「そんなことよりおまえ、ホントに大丈夫かよ」

 フェイルが曇った表情でシンの顔を覗き込んでくる。


「今テラに聞いたよ、助けてくれてありがとうフェイル」

「いや、そのことじゃなく……おまえ、ホントに覚えてねーの?」

「え、何が?」

「いやそんな感じなら、いいんだけどよ」


 珍しく煮え切らないようなフェイルを見て首をかしげる。


「とりあえず何か口にいれろ」

 突如窓際に降り立ったテラに言われ、ぎょっとした。


「だからいきなり現れんなって」

「急場しのぎの砂糖水なんぞすぐに枯渇するぞ。これは忠告だがな、さっさとグルを補充しておまえの主のもとへ行った方がいい」

 大きな羽を広げて毛づくろいをしながらそんなことを言う。


「ラスティアに何かあったのか!?」

 今になってようやくパレスガードとしての自分の任務を思い出し背筋が凍る。

「ていうかおれ、どれくらいの時間眠ってたんだよ!」


「いや、べつに何があったってわけじゃねえんだけど……」

 フェイルが片手で後頭部を掻きながら言った。

「だけど、そう――他のパレスガードたちにおまえが襲われたってことに違いはないわけで……」


「フェイル?」

「あー……だから――たいそうお怒りであられるわけだよ」

「お怒りって、ラスティアが?」

「そんな青ざめんなって。もちろんシンに対して怒ってるわけじゃない。今回の騒動についてはこれからレリウスの仕切りでいろいろと話し合おうとしてるわけなんだが……ちょっと手がつけらねーみたいな?」


「はっきり言え」テラがいつもの調子で言う。「聞き苦しくて敵わん」


「あー……つまり我らが王女様は今、おまえの身を案じるあまりブチ切れてる真っ最中ってわけだ」

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