第6話「人知れずの攻防」

「立ち合いって、どうしてそんな」シンは息を呑んだ。「だいたいおれはストレイだなんて――」


「確かにあなたは、ご自身がストレイであると一言たりとも言ってはいません。ですが逆に、まったく否定もしていません。先ほど私が話したときなどは、ごく自然に自分のこととして受け止めていたように思います。『おれなんかのことでそこまで考えてくれなくていい』、と」

 リーンに指摘され歪みそうになった表情を慌てて引っ込める。彼女の言うとおり自分は、


 思い返せば、三人は執拗にストレイという存在を言葉に仄めかしていた。バンサ―に至っては「ストレイ・シン」とまで口にしており、こちらの腹を探りにくるどころか初めからシンをストレイと決め込んでいた。


 なぜはっきりと「そんなことは知らない」と言っておかなかったのか。


 バンサー達のこれまでの態度が演技だったとは到底思えない。いや真実に近い反応を示していたからこそ、はじめ抱いていた警戒心もいつの間にか緩んでしまっていた。


(――何を聞かれても知らぬ存じぬで通しておけばいいさ。もっとも、今のシンにそう易々と近づいてくるような者がいるとは思えないが)


 先日レリウスに言われた言葉がまざまざと思い出される。


 しかしさすがのレリウスも、これほど日が浅いうちにバンサーたちが足並みそろえて会いに来るとは予測していなかっただろう。

 三人ものパレスガードたちが目の前に現れた時点ですぐに引き下がるべきだった。あるいは自分ひとりでなど対処せず、ラスティアを呼び戻すべきだった。


(馬鹿かおれは。レリウスたちのような経験も知識も度胸もない、一介の高校生でかない自分が対等に渡り合える相手なはずないじゃないか!)


「我々の先の言動と、ストレイと立ち会いたいという言葉との間に大いなる矛盾を感じているだろうか」

 シンの不安と動揺をよそに、バンサ―が話を引き戻すように身を乗り出してくる。獣を思わせる淡褐色の瞳がシンを捕らえてはなさない。


「当然だろう。私たちとて、それは大いに感じるところだからな」

 隣でベレッティがうなずいてみせた。その視線はバンサ―同様、まっすぐシンへと向けられている。

「見ろ、この手の震えを。今すぐこの場から逃げ去りたいという感情と、己のすべてをぶつけてみたいという衝動とが互いにせめぎ合い、どうにも抑えられないのだ。なにより使と命じているのだ。光柱を――あのようなとてつもないエーテルの波動を全身で感じ、直に目撃した今もそれは変わらない」


「あなたには到底理解できないことでしょう。なにせ私たちは、アーゼムですら及ばないであろう絶対的強者、エーテルの権化のような存在に立ち向かおうというのです。ですが、でしょう。ですがバンサーが今申し上げたとおり、私たちが長年練り上げ、鍛え上げてきたエーテライズのすべてを発揮してみたい。そんな衝動に襲われているのも事実」

 リーンが、熱に浮かされているような言葉と表情でシンへと迫る。


「願わくば、ストレイ。現世人とはあまりにもなる存在であるあなたは、我々の想像を絶するほどの強者であってくれ!」


 妄執に駆られたような三人の姿に思わず身を引いた、次の瞬間。

 バンサ―のエーテルが一気に膨れ上がった。


 エーテルを集約させたシンの瞳が突き出されたバンサーの拳をとらえ、身をよじるようにしてかわす。

 岩石のような拳が頬すれすれをかすめ、熱風のような波動が全身を打つ。制止の声を張り上げる間もなく頭上からベレッティの回し蹴りが肉薄し、シンはテーブルを蹴りつけて後方へ飛びずさった。が、すでにリーンの掌から放たれていたエーテルの光弾は完璧にシンを捉えていた。


(掻き消せ!)

 かわせないと判断したシンの頭が反射的に叫ぶ。

 シンの周囲を覆っていたエーテルが瞬時に反応し、衝突寸前の光弾を霧散させた。


「今のを、しのぐか」

 目を見開きながら、バンサ―は驚嘆の声をあげた。


「やめてください!」

 シンが蒼白な表情で叫ぶ。以前ベイルやヘルミッドとの戦闘を体験していなければバンサ―の最初の拳で終わっていただろう。


「かわすのでもなく、弾き飛ばすのでもない。いったいどうやって私の光弾を……?」

「あのまま後ろにそれていたら大騒ぎになっていた!」

 呆気にとられたようなリーンを見て、たまらず怒りが込み上げてくる。


「光弾のひとつやふたつでバンサ―の築いた障壁は消滅したりしない」ベレッティがシンへと迫る。「外にいる者たちに悟られることもない――存分にやろうではないか!」


 テラの説明と合わせて考えれば、障壁というものがある限りその外側にはまったく影響が及ばないということなのだろう。これほどまでの騒ぎになっても巡回中の兵一人かけつけてこないのがその証明だった。


 再びくりだされたベレッティの蹴りをのけ反るようにしてかわす。


「こんなことに何の意味があるんですか!」

「意味ならある。さあ文字通りの絶対者ストレイよ、その力を我々に見せつけるがいい!」

「勝手なこと言わないでください! まわりがそう呼んでるだけで、おれが何かしたわけじゃない!」


 繰り出されたバンサーの拳を掌で止め、そのまま抑えつける。突進してくるベレッティをかき集めたエーテルで吹き飛ばし、再度リーンから放たれた光弾は思い切り蹴り返した。

 

 自身の放った光弾が跳ね返ってくるとは予想もしていなかったのか、リーンは呆気にとられた表情のまま爆風に呑み込まれていった。


「――なんという」

「光弾を蹴り返すだと」

 

 バンサーとベレッティから喘ぐような声が漏れた。


 だがシンにとっては思いついたことを必死に、それも見よう見まねで繰り出しているに過ぎない。だが、この世界に満ちる根源エーテルと呼ばれる存在が、シンの思い描いたとおりの光景を実現させ、超人のごとく振る舞いを可能にしてくれる。


 つい先日ローグをひれ伏させたときのように、エーテルまかせにバンサーの拳を押し返していく。

 バンサーは腹の底から絞りだすような声を発しながら抵抗しようとしたが、何の抵抗にもならなかった。

 見た目的には非常なまでにバンサーをひざまずかせているシンだったが、先ほどからめまいに襲われ、四肢が微かに震え出していた。


「動くな!」

 自らに襲った異変を打ち消すようにシンが叫ぶ。なおも立ち上がろうしていたリーンとベレッティへ向けた言葉だった。


「おれの力が知りたかったのなら、もう十分でしょう!」

 強気な言葉とは裏腹に、内心はそれどころではなかった。


グルが枯渇しかけているのか……!)


 十中八九そうに違いない症状に、冷や汗さえ滲んでくる。いや、もしかしたらこの汗すらグルの枯渇がもたらしたものかもしれない。

 ラスティアと別れる前から激しい空腹に襲われていたことを思い出す。突然の事態を前にすっかり忘れてしまっていた。


(――お前の唯一といっていいほどの弱点だ)

(――エーテライザーにとって空腹は禁物よ)


 テラとラスティアに言われた言葉が反芻する。


「だから、もうやめてください」

 歯を食いしばりながら口にした言葉だった。目の前のバンサーの顔が二重にぼやけていく。そのことに気取られぬよう、シンは必死の形相で相手の顔を睨みつけた。


「手も足も出ん……笑うしかない」バンサーの口からくぐもった笑い声が漏れる。「べレッティ、リーン、もういいだろう!」


 よろよろと立ち上がりかけていた二人が、ゆっくりとうなずくのが見える。


 シンが険しい表情のまま拳を放すと、バンサーは跪いた姿勢のまま言った。

 「我々の負けだ、ストレイ・シン。数々の無礼、心よりお詫び申し上げる」

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