第26話「ラスティアの過去―仇敵編①」
―― 一年前
「――深淵者アヴァサスと七人の罪深き人々により、世界には差異がもたらされた」
祭壇に立つ司祭の声が、天上高くにまで響き渡っていた。
「ありとあらゆる欲望を植えつけ、争いと混乱をもたらした彼らは、創造主エルダとプトレマイオスの十二従士たちによって葬られた」
「だが、差異は消えることなく残った。エルダは従士たちにこう言われた。『我去りし後、エルダストリーを安寧へと導け』」
『安寧へと導け』
厳粛な表情を浮かべた総勢三百人ほどの参列者たちが胸に片手をあてて復唱する。
彼らの見つめる祭壇の上には、今言葉を発している初老の司祭の他、背の高い壮年の男と歳若い女のうしろ姿があった。
ラスティアの翡翠の瞳は、ひたすらその二人へと向けられていた。
「我ら十二従士の血族、エルダの意志を受け継ぎし『アーゼム』となりて、その使命を果たさん」
司祭は一呼吸置くと、目の前の女へと向きなおった。
「偉大なる十二従士が一人、ロウェインの血を受け継ぎし者、ナフィリアよ。
ナフィリアと呼ばれた女は流れるような動きで司祭の前でひざまずき、
「己の真なる意志にかけて」
張りのある透き通った声が聖堂全体へと響き渡ると、次に司祭は男の方を向き直り、言った。
「ロウェイン家一二八代当主ランダル・ロウェインよ。この者が汝のプロメーノを受け継ぐことを認めるか」
「認めよう」
静かだが、腹の底まで響き渡るような声だった。
「今ここに、継承は成った!」司祭が仰々しく両手を掲げ、言い放つ。「ランダル・ロウェインが長子、ナフィリア・ロウェインをアステアとして認めよう。エルダの導きがあらんことを!」
『エルダの導きがあらんことを!』
参列者全員が一斉に立ち上がり、再び片手を胸にあて、復唱する。
同時に、これまで背を向けていたナフィリアが振り向いた。
それは美の化身だった。
身にまとった蒼い祭服に純金と見まがうばかりの長い髪がかかり、憂いを帯びた深く青い宝石のような瞳は見る者を魅了してやまない。
その光景を、ラスティアは黙って見つめ続けた。
「姉のことが羨ましいか、ラスティア」
驚いて声のする方を振り返ると、見るからに鍛えあげられた
「サイオス――」
サイオスと呼ばれた男は、白と黒の入り混じった髭を軽く
「姿はなくとも必ずどこかで見ていると思ったからな」
「……どうしても、足が向かなくて」
ラスティアは自分が座るはずだった最前列の席を見下ろしながら言った。
「さすがに今回の儀には参列していると思ったが」
ラスティアは小さく首を振った。
「せっかくの日を台無しにしたくないもの。ああいう場に出ると、どうしても、周りの人たちの目が私に向いてしまうから」
「ナフィリアの名も霞んでしまうほど、私は有名すぎるのよ。私がなんと言われているか、あなただって知ってるでしょう」
「器を持たないことは、おまえの存在を否定するものではない。ただ、そのように生まれついたというだけのことだ。何度言ったらわかる」
ラスティアは言葉に詰まるような表情を見せ、視線を逸らした。
「……今日みたいな特別な日には考えずにはいられないわ。二千年以上続くアーゼムの歴史の中で私だけが――唯一私だけが、器を授からなかった、その意味を」
「アーゼムになれないことがそれほどまでにつらいか」
「つらい?」挑むような目でサイオスを見上げる。「もちろん、つらいわ。やれることは、すべてやったもの。それは師であるあなたが一番よく知っているはずでしょう。それでも父上が――ロウェイン家の導師たちが私を認めることはなかった。私がアンブロへ行く日は、永遠にこない」
「それが俺のもとを去った理由か」
「今年で十六になってしまう私には、最後の機会だった……アンブロへ行って学ぶことができない以上、決してアーゼムにはなれない……死に物狂いで弟子入りを懇願しておきながら――あなたに会わせる顔もなかった」
サイオスの深い灰色の瞳が、淡々と事実を口にするラスティアをじっと見つめ続ける。
「せっかく探しに来てくれたのに、ごめんなさいサイオス。これから行くところがあるの」
ラスティアはうつむくようにしながらサイオスの傍らを通り過ぎた。
「このような日に、どこへ行く」
「……アーゼムにはなれないけれど、私は私のやり方で使命を果たしてみせるわ」
「ラスティア」すぐにサイオスの声が飛ぶ「俺にはおまえが逃げているようにしか思えん」
「逃げている? 私が?」
ラスティアが足を止め、振り返る。
「ずっと私を見続けてきたあなたが、それを言うの?」
「俺のもとを去るだけでなく、自ら修錬を重ねることもやめてしまったな。半年前のおまえとはまるで別人ではないか」
「続けることに、何の意味があったの。器をもたない私には、あなたたちのようなエーテルは扱えない――確かに私は
「ならなぜ、ロウェイン家の人間として姉の晴れ舞台となる儀式にも参列しなかった。自身を恥じいる気持ちがないのなら、誰になんと言われようと堂々と姿を見せられたはずだ。おまえは器の有無に囚われ、肝心なことを見落としている。アーゼムになることがすべてではない。おまえは一度でも父と向き合ったことがあるか。最後に姉と話をしたのは、いったいいつのことだ。家族にすら己の意志を伝えられないような臆病者に成り果てるつもりか」
「伝えたから、どうだと言うの? すべてのアーゼムを率いる
「だから、見落としていると言っているのだ。自ら意志することを――」
「その言葉はもうやめて!」
ラスティアはサイオスに背を向け、一気に階段を駆け下りていった。
追ってくる気配も、最後に投げかられる言葉もなかった。
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