第27話「ラスティアの過去―仇敵編②」

 駆け降りるようにして階下に降りたラスティアだったが、正門から続々と出ていく参列者たちの集団を前に慌てて身を隠した。

 本当は儀式が終わるより早くこの場を去るつもりだったが、サイオスと話していたせいで出遅れてしまった。


 ぐずぐずしているとまたサイオスと鉢合わせしてしまう。ラスティアは何食わぬ顔をして列の端にまぎれた。


「――ナフィリア様のあのお姿は、しばらく目に焼き付いて離れないな」

「それだけではないぞ、アーゼムとしても文句のつけようのないほど活躍しておられる。アンブロを出たばかりの身で守護士ラスパーダの称号を得るなど、普通なら考えられんことだ」

 参列者たちは互いの会話に余念がなく、途中一人の少女が加わったことにはまったく気づいていなかった。

 このまま城館に入り、裏口から出ていこう。そう思い、黙って歩き続けた。


「しっかりとご両親の血を受け継いでおられる。あの若さでアステアとして認めれたのにも十分納得がいく」

「ああ、ナフィリア様の代となってもロウェイン家の権勢は揺るがないだろう」

「おい」

 すぐ後ろから目の前の二人をいさめるような声が飛んだ。


「あまりそのような言葉を吐かぬことだ。ロウェイン家にはお二人の血を引く者がもう一人いるのだからな」

「あ、ああ。そうだったな」

 気まずそうな声で顔を見合わせた男たちはしかし、声を落としながらなおも続けた。


「さすがに今回くらいは拝見できると思ったのだが――顔立ちはナフィリア様と良く似ているのだろう?」

 ラスティアが反射的に顔を伏せる。


「このそうそうたる顔ぶれを前に現れるはずがないさ。わざわざロウェインの名をけがしにくるようなものだ。血統意識が強いベルティア家やアガレス家の者たちは特にみ嫌っていると言うし、そのことを理由にランダル様が護国卿パーヴァスとなることも強く反対していたらしい」

「いくらナフィリア様がご活躍されても、もうひとりのせいですべて霞んでしまうか。いっそのこと外に出してしまった方がいいのではないか? いくら『持たざる者ハーノウン』とはいえ、ロウェイン家の直系を貰い受けたい王族や有力者など簡単に見つかるだろう」

 もう一方の男はくくくと小さな笑い声を漏らした。


「もしかしたら、生まれてくる子には器が宿るかもしれんぞ。そうなったら迎え入れた家の者はどれほど歓喜するかわからん。自身の家からロウェイン家に連なるアーゼムを輩出できるやもしれんのだからな――」

 城館の中に足を踏み入れた瞬間を見計らい、列から飛び出す。


 前を歩いていた男たちが一瞬こちらを振り向く気配がしたが、すでにラスティアは廊下の角を曲がり、姿をくらませていた。そのまま足を止めることなく、まっすぐ裏口を目指す。


 使用人たちが小さく頭を下げ、目を合わせないようにしながら通り過ぎていく。いっそのこと完全にいないものとして扱ってくれた方がよほど楽だった。


 ドロドロと渦巻く感情を脱ぎ捨てるように勢いよく裏口を飛び出し、見事なまでに刈り揃えられた庭園を突っ切った。走りながら敷地を取り囲んでいる鉄柵に手をかけると、まるで自分の体重など存在しないかのように軽々と飛び越えていく。


 上空には、突き抜けるような青空が広がり、季節は初夏へと突入していた。核晄炉かくこうろから発生する冷気のせいでいまだ肌寒さが残っていたが、夏の訪れを感じさせてくれる陽気のおかげで、ラスティアの表情もいくぶん緩んだ。


 豪奢な城館が立ち並ぶ区画を過ぎると、まるで宙に浮いているのではないかと錯覚してしまいそうな場所に出た。


 視界を遮るものは、何もない。どこまでも続いていくような青空を、大小さまざまな形をした宙船ファルターが飛び交っている。眼下には、「西方大陸アークフォードの心臓」とも呼ばれる塔の都市ディスタの誇る商業施設がところ狭しと軒を連ね、大勢の人々が往来しているのが見えた。


 ラスティアがこの街の中で最も好きな場所だった。正直、自分自身が生れた場所であり、「アーゼム集いし地」とも呼ばれるエル・シラには、まったく愛着がもてなかった。エル・シラがある陰鬱な雰囲気のするランフェイスという国も同じだ。


 しかしそれは、ロウェイン家の人間として生まれながらアーゼムになれないという境遇が思わせているに過ぎない。自分以外の血族にとっては、郷愁を感じさせる地なのだろう。


 飛び交う喧騒や露天商には目もくれず、ラスティアはひたすら前を向き、行き交う人々の隙間を縫うようにして歩いた。

 やがて大通りをれ、細い道へと入りこんでいく。次第に人々の喧騒も遠ざかり、すれ違う者もほどんどいなくなる。ついには誰の気配もしない、薄汚れた路地裏に出た。


 古びた昇降機の前で足を止めたラスティアは、ためらうことなく中に入り、操縦桿を押し倒した。ガシンというにぶい音とともに床が揺れ、激しい振動と共に下へと降りていく。

 下方から微かな明りが見えはじめたとき、身体の揺れが止まり、再び鈍い音を上げながら扉が開いた。


「遅かったじゃない」


 一人の少女が、仁王立ちになってラスティアを待ち構えていた。


 短く切り取られた髪のせいで、一見すると少年のようにも見える。だが、鈴の鳴るような声とわずかな胸のふくらみが、はっきりとその事実を否定していた。


「ごめんなさいエバ、少し人と話し込んでしまって」

「いいから早く、みんなもう集まってる」


 エバはラスティアの腕引っ張るようにして先を急がせた。


 ラスティアがやってきたのは、まるで一つの街が滅んだあとのような廃墟じみた場所だった。今にも崩れ落ちそうな建造物がいくつも立ち並らんでおり、実際に崩落してしまったあとのような痕跡も多く見られた。


 上層から差し込む光源のようなものは一切なく、はるか上に見える天井に申し訳程度の核光灯が光っているだけだった。


 上層と下層の中間、その狭間に残る見捨てられた旧市街。それがラスティアとエバが属する組織「アレフ」の活動拠点だった


「エバ、体は大丈夫なの」

「体? ああ、もう平気だよ」


 エバはラスティアよりひとまわり以上身体が小さいうえ、ひどく痩せ細っていた。顔や手足は薄汚れ、身に着けているのも貧相なシャツとズボン、それにおそらく他の誰かが着古したぶかぶかのオーバーコートだけだった。

 露出した肌のいたるところに見える古傷と内出血の痕がいつもラスティアの心をかき乱し、見慣れるということを許さない。


「下民監たちも前夜祭と開放祭の日だけは私たちを休ませるからね。自分たちが羽を伸ばしたいだけなんだろうけど」


 開放祭は創造主エルダへの感謝を捧げる年に一度の大祭だ。しかし下層で暮らすエバたちは、この二日間のために普段の何倍もの労力をかけ、核晄炉を稼働させなければならなかった。


 上層にいる住人たちが核晄の恩恵を受け、夜を徹して祭りを楽しみ、商売に勤しむことができるのは、すべてエバたちの昼夜を問わない働きのおかげだった。下民監は、下民と呼ばれ蔑まれているエバたちを力づくで働かせる役割を担う。彼らは少しでも手を抜いたり、休もうとする者を容赦なく痛めつける。エバの身体に残る傷のほとんどは、このことが理由だった。


 しかし、ラスティアが何よりも恐ろしかったのは、下民監の正体が核晄炉管理官という、ディスタ行政区が管轄するれきとした役人だったことだ。


 ラスティアはこの事実をまったく知らなかった。知らないまま、今までのうのうと暮らしてきたのだ。なぜ下民という存在が生まれるに至ったのか、彼らが歴史上どのような扱われ方をしてきたかについては確かに学んではいた。だが、それだけだった。


「いつもならひたすら寝て過ごすんだけど。今年からはそんな生活とけつべつだよ」


 辺りは夜明け前のように薄暗く、足元は瓦礫がれきで埋め尽くされている。それでもエバは迷路のような廃墟を迷うことなく歩いた。


「レクストたちはもう?」

「もちろん!」前を行くエバが興奮したで振り返る。「最後の決起集会だし、もうそろそろ祭りの観衆に紛れ込んでおかないといけない時間だからね」


 エバのあとをついていくと、やがて大勢の気配とともに、誰かが演説するような声が聞こえてきた。

 ラスティアとエバは互いにうなずきあうと、自然と走りだしていた。


「裏から入ろう。入口側からだと遠くなっちゃう」

 エバが建物の裏手を指さす。


 もとはエルダ教の聖堂だったのだろう。崩れかけてはいても、どこか厳かな雰囲気が漂っている祭壇の上に、崩れかけのエルダ像が見えた。その足元に、大勢の若者たちに向かって声を張り上げている一人の青年の後ろ姿が見える。


「――エルダがアヴァサスを葬ったまさにこの日、俺たちアレフも自由と権利、そして未来を勝ち取るだろう!」

 青年が拳を高々と振り上げる。同じように拳を振り上げた若者たちが、「自由! 権利!」と叫び、「レクトス」の名を連呼した。


 灰色の作業着のような格好をした色白の青年レクストは、周囲の若者たちと比べ線が細く、中性的な顔だちをしていた。だが、その声と立ち振る舞いは堂々たるものであり、気後れするような様子など微塵もみられない。少なくともここにいる若者たちにとって彼の言葉は何よりも優先すべきことであるようだった。


 それはラスティアとエバも例外ではなかった。レクストの言葉に耳を傾けた二人は、周囲の熱気に当てられ、一瞬にして胸を熱くさせた。


「狂星ウォルトの怒りを買い、国を滅ぼされた俺たちの先祖は確かに忌まわしに存在だったのかもしれない。しかしそれは、先祖たちの罪だ。俺たちが『下民』と蔑まれ、使役される言われなどどこにもない。上の連中は俺たちをここで働かせたいがためにそう思い込ませているだけだ!」


「今日こそ連中に思い知らせるときだ!」

「アーゼムだってあてにならねえ!」

 若者たちが口々にはやし立てる。レクストは落ち着けと言わんばかりに両手を広げた。


「この世界の守護者にして調停者でもあるアーゼムは、確かにエルダストリーになくてはならない存在だ。だが、その恩恵を受けているのは誰だ? 上の連中だけだ。俺たち下層に暮らす人間たちにその手が差し伸べられることはない!」


 突然エバに手を握られ、思わずラスティアはエバを見た。それでもエバの視線はレクストへと向けられたままだった。

 アーゼムとあなたは関係ない。無言のままそう言ってくれているような気がして、ラスティアは無言のままその手を強く握り返した。


「――だからこそ、俺たち自身の手でつかみとろう! 今夜、プトレマイオス大広場に集まる大観衆の前で、直接俺たちの要望を突きつけよう!」

 レクストは目の前にいる若者一人ひとりに問いかけるようにして言った。「さあ、俺と共に行くやつは?」


「俺は行くぞ!」

「俺もだ!」


 若者たちが次々と名乗り出る。レクストはその全員にうなずいてみせた。

 若者たちの熱狂は留まるところを知らなかった。

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