第3話「冴えたやり方」
ふわふわと地に足が付かず、どこか夢見心地のままアルゴード城へと足を踏み入れたシンは、フェイルと共にそれぞれ来客用の部屋へと案内された。
すでにラスティアは大勢の侍女たちに取り囲まれながらどこかへ行ってしまっており、気づいたときにはダフの姿もなかった。
レリウスも「またのちほど会おう!」と言い残し、イレーヌと家の者たちに連れ去られる形でどこかへ行ってしまった。
そんなわけでシンは、分不相応としか思えないほど広く格調高い部屋の中にぽつんと取り残されたみたいになっていた。
もちろん、存外な扱いを受けたわけではない。それどころか、うしろからついてきた小姓たちに着替えを手伝うとまで言われて慌てて辞退したところだった。
それでも、宴席の前に長旅の埃を落としてはと湯浴みを勧められときは一も二もなくうなずいた。ザナトスを発ってすでに三日が過ぎ、あちこちについた汚れや汗の匂いが気になっていた。道中立ち寄った街では十分立派な宿場で休むことはできていたが、湯につかれるような場所はなかったのだ。
丁寧に案内された部屋で人の目を気にしながら服を脱ぎ、周囲を
「何をそんなビクついてるんだか」
浴室の壁に背中を預けながら湯につかっている男が呆れたような声で言った。
「あ、フェイル――」
自分の声が思った以上に大きく響き、慌てて口を閉ざす。
「気にしなくても俺たち以外誰もいねえよ」
「いや、お城の中になんて入ったことなくて……フェイルは、こういこと初めてじゃないの?」
「いんや。けどまあ、助けてくれた礼にもてなしてくれるってんだ、堂々としてりゃいいのさ。特におまえは俺なんかよりずっとその資格があると思うぜ」
なんとも答えられないまま、フェイルから少し離れた位置から浴槽に入り、ゆっくり体を浸からせていく。
いまエルダストリーの季節は秋に該当するらしかったが、温暖な気候で知られるアインズでは特に寒いと感じたことはい。それでも熱い湯に身をゆだね体の芯まで温められていくと、自然と深いうめき声が漏れた。
「しっかし、あの糞生意気な
誰のことを言っているか、シンにさえ簡単にわかった。
「そういえばダフ、どこにいったんだろう」
「あいつは働き手として拾われた口だからな、俺たちとは違うのさ」
「俺とそう変わらない歳なのに……」
「何言ってる。数日前まで外周のネズミでしかなかった奴がラスティア王女付きの小姓だぜ? いま頃泣きながら感謝でもしてんだろ」
「それは――そうかもしれないけど」
ザナトスに滞在してる間もこれまでの道中も、こうしてフェイルと向き合って話すような機会はなかった。
ファイルの場合はダフや騎士団の面々とは少し違っており、シンを怯えて避けるというよりどう接していいかわからないから遠巻きに眺めているといった印象を受けた。それでも、身も心もくつろいだ今のような状況にあっては自然と会話ができてしまう。しかしそれも、フェイルの体に目が行くまでのことだった。
まるで全身を切り刻んだかのような傷跡と見事までに隆起した肉体に目がくぎ付けになってしまう。
「こんな体は珍しいか」
「あ、ごめん」慌てて謝る。
「別に気にしてはいねえよ。ただ、おまえの体つきを見るとよ……ずいぶん平和なところで暮らしてたみてえだな」
「それは――うん」
フェイルのような傷をもつ人間からすれば、当然の感想だと思った。外周で暮らしていたダフからすれば、シンの思い悩んでいた境遇など鼻で笑われるようなことでしかなかっただろう。シンにはふたりの歩んできた日々を想像することすらできない。
この数日の間に見聞きしたことと比べるたびに、自分の日常がどれほど恵まれていたかと痛感する。
「……フェイルは、どうしてラスティアたちについて来たの? おれみたいく一人で放り出されたら生きていけないとか、どこにも行く宛がないってわけでもなさそうだし。レリウスと一緒に塔へ駆けつけたときも、『あれ、なんでこの人がいるんんだろう?』って思った」
「アルゴード侯――レリウスから聞いてないのか」
「特には」
「ま、自分の運を信じたってやつよ」
「運?」
「ああ」フェイルが両手で湯をすくい、顔を
「直感で、逃げなかったの? あんな危険なときに?」
「今までそうやって生きてきたからな。むしろルードについてとんずらする方がよほどやばい気がしたぜ?」
「そういえば、そのルードって人はどうなったの?」
「さあな。運が好けりゃ生き延びてるだろうが、あの状況じゃ望み薄だな」
言いながら後ろの壁に頭を預け天井を見上げるようにする。そんなことに興味はないと言わんばかりだった。
「あの人、仲間とか、そういう関係の人だったんじゃないの」
「仲間?」
一瞬何を言われたかわからないような表情を見せるが、すぐに鼻で笑われる。
「あいつはただ俺の下につけられたごろつきでしかねえよ。俺みたいに要領のいい人間はどこへ行っても重宝されるからな、自然と手下をもつことも多くなるのさ。ま、だいたいはルードみたいに使えないやつばかりだけどよ」
「じゃあ、その人がリリにしていたことも知らなかったの」
「いんや、知っていたさ」
当たり前のように言われ、言葉が続かない。
「何かと口出ししてきてたギルドの連中が黙りだした途端、ルードみたいな下っ端はもちろん顔役どもも相当好き放題やらかしてたからな。そんなときに
「そう……」
ただうなずくのみのシンを見て、フェイルがいぶかし気な表情を浮かべる。
「それだけか」
「え?」
「なんとなく、面倒なことを言われそうな気がしたからよ」
「面倒なこと?」
「おまえみたいな人間がどうしておれたちについてきたんだ、とか。一緒にいて欲しくない、とか?」
「そんなこと思わないよ――おれ、自分の立場や生活を犠牲にしてまで誰かを助けられるような、そんな立派な人間じゃないから」
その後二人の間に流れた沈黙を、突然、フェイルの盛大な笑い声が掻き消した。
「なんだよ、おまえもこっち側の人間かよ!」
突然湯から立ち上がり、笑いながらこちらへ近づいてくる。シンが驚いて身を固くするなか、フェイルはバシャバシャと音を立てながらシンの肩をバシバシと叩いた。
「空から飛んで来たとか聞かされてたあげく、あんなとんでもない光景までみせられちまってこりゃやべーなんて思っちまってたけどよ、いやー安心したぜ。これからよろしくな
「あ、相棒?」
「さっき聞かれたことの答えだがな。俺は、ラスティア王女って存在に懸けたんだ。いつかひと旗上げてやろうっていろんな場所を旅してまわってきた俺が、ようやく巡り合った運、それが彼女さ。一国の王女と重鎮に目をかけられる機会なんてこの先二度とないかもしれねえ。しかも――これは俺の才覚だけどよ――大いに恩を売ることもできた。自分には相当の能力があるって確信していながら、存分に活かせる場がなかった。どうにも芽が出なかった。でも彼女――ラスティアと共にいれば、俺という人間になにができるか、自分が何者なのかってことを証明できると思ったね。おまえもそうなんじゃねえのか?」
シンは慌てて首を横に振った。
「俺は違うよ。それこそさっき言っただろ、一人でなんか生きてけないし、行く宛もないって。レリウスたちに連れてきてもらえなかったら今頃ひとり森の中で野垂れ死んでたと思う」
「……おまえ、本気で言ってんのか」
「本気もなにも、そのとおりだから」
「まあいいや、その辺のことは後でじっくり聞かせてもらうとしてだ。いいかシン、あの娘は――ラスティアには、きっと何かある。これは俺のめちゃくちゃ信頼できる感だがな。彼女に仕えることで俺
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