第2話「フェルバルトの出迎え」

 陽が暮れ、周囲の自然が闇に染まりはじめたとき。

 広葉樹の生い茂る森の向こう側に、確かな灯りがちらちらと見え隠れするようになっていた。

 

 鳥や虫たちの声に導かれるようにして森を抜けると、世にも美しい石造りの城影が森の湖畔にくっきりと浮かびあがり、その至るところで煌々と灯された明りが湖に反射して水上に散りばめられた宝石のように輝いて見えた。


「童話の世界みたいだ……」


 窓から身を乗り出すように顔を出してアルゴード城の全容を眺めていたシンは、もといた世界では決して目にできなかった光景に心奪われていた。


「気に入ってもらえたかな、シン」後ろからレリウスの誇らしげな声が響く。「アインズは豊かな水と大地に恵まれた国でね。歴史的にも、あのように水辺に建造された城館がことのほか多いんだ。実用さと壮麗さを兼ね備えた、まさに我が国の誇る文化といっていい。アインズ王の座すリヴァラ水上宮なんかは巨大な湖と河川の上に建造されたようなものだ――王宮と比べるのはさすがに恐れ多いとはいえ、我が城もなかなかのものでしょう、ラスティア様」


 今度は隣に座るラスティアへも綻んだ顔を向ける。


「ええ、素晴らしいわ……本当に」

 決してお世辞ではないラスティアの言葉に、レリウスはさらに相好そうごうを崩した。

 

 しかしそれも致し方のないことのように思えた。これだけの光景を見せられてしまっては、ましてやそれが自分の治める領地、城館となれば、変に謙遜されてしまうことのほうがおかしかった。


「本当におれ、あんなところに行っていいの?」

 ダフは誰に尋ねていいかもわからない様子で視線をあちらこちらへ泳がせた。


「おれの方こそ、場違いな気がしてきたよ」

 ダフの言葉を耳にした途端、目の前の景色が急に現実味が帯びてくる。レリウスは大いにもてなし、歓迎すると言ってはばからないが、今までさんざん世話になっていることを含め、そこまでしてもらってよいのかという感情がむくむくと湧き起こってきた。


 確かにラスティアやレリウスの窮地を救ったことに違いはないのかもしれないが、はっきり言って成り行きに身を任せた結果そうなったに過ぎない。


 何の変哲もない一介の高校生でしかなかった自分が、何がどうなったら今のような状況になるのか。何度そのことを考えてみても、ほんのひと欠片かけらの答えすら出てこなかった。


「いやはや、どんな歓待が待ち受けているか楽しみだな、これは」

 ランタンの明りに照らされたフェイルの顔が暗がりの中にぼんやりと浮かんでいる。まるで締まりのない、にんまりとした表情がはっきりと見てとれた。


「二人とも、少しはフェイルを見習ったらどうだ」

 レリウスが呆れた様子で並走するフェイルに目をやる。だが、その瞳は明らかに面白がっていた。


 フェイルという人間は物事の推移をただただ楽しんでいるようにしか見えなかった。そんなフェイルの性格を、正直シンはうらやましいと思っていた。


 湖畔を左に回り込むようにしながらアルゴード城を目指していた一行は、いよいよ跳ね橋の前に到着し、先頭を行く騎士の掛け声により一斉に止まった。


 隊を率いるトール連隊長が進み出て、城主レリウス・フェルバルトと王女ラスティアの到着を告げる。

 だが、わざわざそんなことをする必要があったのかとシンが思ってしまうほど、すでに跳ね橋の両脇には淡い緑色の明りを掲げた大勢の人間たちが一向を待ち構えていた。


「レリウス様、お帰りを首を長くしてお待ちしておりました!」

「お帰りなさいませお館様!」

「無事の到着を心からお祈りしておりました!」


 レリウスが待ちきれないといった様子で馬車を降り、片手を上げ、何度も頷きながら歓声に応える。


「お帰りなさいませ」

 跳ね橋の中央、その先頭に立ちレリウス出迎えた麗人れいじんが言った。


 質素だが濃緑の美しいドレスと厚手のケープを身につけている。彼女がりんとしたたたずまいで頭を下げると、後ろに控えていた者たちは一斉に静まり、一糸乱れぬ様子でそれにならった。


「イレーヌ、皆、変わりはなかったか」

 レリウスが深くうなずきながら言うと、イレーヌと呼ばれた女は柔らかな微笑を浮かべて小さく首を振った。


「いえ、ご報告したい件が山ほどあります。それに、あなた様の到着を今か今かと待ち望んでいる方も大勢いらっしゃいます。今日到着との報は受けておりましたが、ご面会を求める方々にはせめて明日にしてもらえるよう取り計らっておきました」

「あいわかった、面倒をかけたな。おまえたちも――」

 そう言ってイレーヌの後ろに控えていた年若い者たちへ声をかけようとする。


「あなた、まずは」

 だが、イレーヌの軽くたしなめるような表情を受け、レリウスは慌ててシンたちの方を振り返った。


「私としたことが、順序を誤った。こちらがこの度アインズ王室へ迎え入れられることとなるラスティア王女だ。ラスティア様、妻のイレーヌと子供たち、そして我がアルゴードに仕える者たちです」

 レリウスの紹介を受けたラスティアが前に進み出ると、イレーヌはじめ全員が一斉に地面に膝をつき、頭を下げた。


「どうか皆さま、顔をお上げください。ラスティア・ロウェインと申します。この度は遠路はるばるアルゴード侯に迎えに来ていただき、このような歓迎まで……感謝の言葉もありません」


 ラスティアという少女をはじめて目にする者は、誰もが同じような表情を見せる。それはアルゴードの者たちも例外ではなかった。


 明々と照らされたラスティアの、そのあまりの美しさに――たぐいまれな翡翠ひすいのような瞳に、人々は石像になったかのように魅入っていった。

 

「私ごときのために、多くのご心労をおかけしましたことを。そして……アルゴード候に、同行してくださった方々を……亡くしてしまったことを、どうかお許しください」

 そう言って深々と頭を下げた。


 先頭のイレーヌをはじめ、その場の全員がまるで弾かれたように驚いた表情を見せる。そしてすぐに困惑した表情をレリウスへと向ける。


 

 ラスティアはこれまでの道中、シンはもちろん、レリウスに対して何も口にしなかった。レリウスが事あるごとに言っていたアルゴード城での歓待を楽しみとまで言っていた。しかしベイルたちによって無惨にも奪われた命のことは決して消えることのない罪として彼女の中に刻まれていたのだ。償うべき相手が現れたときには躊躇ちゅうちょなく謝罪すると決めていたのだろう。


 シンはラスティアの背中を眺めながら、彼女がこれまで頑なに見せなかった心情を思った。レリウスから何度「あなたのせいではない」と言われようと、ベイルたちから襲撃された理由が自分にある以上、素知らぬ顔などできなかったのだろう。


 自分のせいで、人が死んだ。そのことを身内に伝え、許しを請う。いったいそれがどれほどの心痛を伴うものか。シンには想像することすら難しく、少し考えてみただけで胸の底が締めつけるような気がした。


「特に、私の侍女として同行してくれたリーファのことは本当に――申し訳ありません」

 襲撃現場に戻った際、ラスティアがエルダ像の前で抱きしめていた少女のことを思い出す。

 

 ラスティアと出会ってからひと月も経たない間に、シンの目の前で彼女はすでに二度、自分と同じ年頃の少女を腕にかき抱き、その死を見届けている。


 シンはどうしようもなく、胸を掻き毟りたくなった。


「お止めくださいラスティア様――」

 言葉を失っていたイレーヌが慌てて立ち上がり、手を差し伸べる。


「まずは、まずはどうか私どもの城へ。ラスティア様も大変恐ろしい目に遭ったと聞き及んでおります。恐れながら同じ女として身が引き裂かれる思いがいたします。ですからどうか、まずはそのお体をいたわり、ごゆっくりお休みいただきたく存じます」

 ラスティアの背にそっと手を添え、優しく寄り添うようにしながら言う。そしてレリウスに対し、「いったい何をしていたのだ」と言わんばかりの表情を向ける。


 バルデスの大軍勢が待ち受けるなか躊躇ちゅうちょなく塔の中へ飛び込んでいったレリウスが、妻の視線を受け身をのけ反らせる。イレーヌという奥方の恐ろしさを垣間見るには十分なやりとりだった。


 レリウスがわざとらしい空咳をして場をにごす。

「ラスティア様はまだ王女として振る舞うことに慣れていない。そのことも含め、明日から頼んだぞ」


 そう言ってはいるものの、今となってはあまり威厳も保てていなかった。

 不謹慎にもそんなことを考えてると、突然シンの方を向かれびくりとする。


「そして、彼がシンだ。今回の道中、窮地きゅうちおちいった私たちを何度も救ってくれた稀代きだいのエーテライザーであり、無理をして同行してもらった。皆、くれぐれも粗相そそうのないようにしてくれ」


 イレーヌがシンへと向き直り、流れるような所作で頭を下げた。

 ラスティアのとき同様、イレーヌに倣いアルゴードの者たち全員がシンに対し深々と一礼する。


「先の触れで存じ上げておりました。この度はラスティア王女、そしてアルゴード侯の命を救っていただき……言葉もありません。心より、感謝申し上げます。心ばかりではありますが、歓迎の宴をご用意しております。また、ここアルゴードに滞在する間は決して不自由な思いさせないとお約束いたします。何かあれば遠慮なくお申し付けください――ベルガーナ騎士団の方々も、大変なお役目ご苦労でした。ねぎらいの席を設けております、このまま城内へお進みください。皆さま本当にお疲れでしょう、さあ、どうぞ中へ!」

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