第25話「圧倒」
その言葉がシンの口から洩れるのと、ヘルミッドの腹を拳で突き上げるのはほぼ同時だった。
「っがぁ!」
「ヘルミッド様!?」
黒騎士たちの上ずった声が響いた。
彫刻のように固まっているベイルは、その面頬のせいでまったく反応が読み取れない。
シンの体を操ったテラは瞬きするかしないかの間にヘルミッドの懐へ入り込み、大人と子供ほどもある体格差をものともせず、拳ひとつでヘルミッドを沈めてみせたのだった。
⦅覚えておけ、シン。これが
(お、覚えておけって……)
⦅以前言ったとおり、おまえはこの世でただ一人エーテルを宿さない存在であり、その代わりとして周囲のエーテルを引き寄せ、操ることができる。今のは地を蹴る脚と殴りつける拳にエーテルを
(ご、ご覧の通りって……)
胃液混じりの唾液を垂れ流し、四つん這いになったまま立ち上がれないでいるヘルミッドを見る。
いくら自分の意志ではないとはいえ、とんでもなく凶悪な行為であることが容易にわかった。
⦅だから、時と状況が必要だと言ったんだ。
(貫いて――)
「早く立て。
テラがシンの口を再び動かす。
「きざまぁ!」
喘ぎながらも凄まじい速度で振るわれた炎のように輝く剣先はしかし、先ほどのベイル同様、シンの首に届かなかった。
「お、俺のエーテライズすら届かぬだと……!」
⦅この攻撃には気をつけろ。こやつらは自身のエーテルを武器にも纏わせることで常人でははかり知れんほど強力な攻撃を仕掛けてくる。ベイルとかいうやつのエーテライズ程度なら周囲に漂うエーテルで防げるが、目の前のこいつくらいになると
テラの言っている意味が、ようやくわかった。
今シンの体は、絶え間なく引き寄せられてくる波のようなエーテルに包まれ、まばゆいばかりに輝いているからだ。ヘルミッドが発っしている光とは比較にもならない。この
そしてヘルミッドの時は、首を守ろうとするテラの意識がさらに厚くエーテルを集約させ、その攻撃を防いでいた。
シンはテラからの意識介入の中ではっきりと理解した。
激情した表情で睨みつけてくるヘルミッドと、まるで感情のこもらぬ目で見つめ返すテラ《シン》。
⦅今度はお前の番だ⦆
(ぐ、具体的に何をどうすればいいんだよ!?)
⦅
無理やり落ち着きを取り戻すかのように一息入れたヘルミッドが再びシンに向かって剣を振りおろす。テラはシンの表情ひとつ変えないまま頭上に
「――ばかな」
「それはこっちの台詞だ。今
「ほざくな! その余裕、すぐに
逆上したヘルミッドが自身の片手にエーテルを集約しはじめた。
先ほどラスティアを襲った光波とは比較にならないほどの輝きだった。
⦅ちょうどいい、今度はおまえが防いでみろ⦆
シンの身体が軽やかに後方へと飛び上がり、片時も目を離すまいとしていたラスティアとレリウスの間に着地した。
(だから、簡単に言うなって!)
⦅いいのか? 何とかしないとここにいる二人も、うしろにいる子どもたちも全員吹き飛ぶぞ⦆
(おまえ――ふざけんなよ!)
「全員まとめて塔の下まで吹っ飛ばしてくれるわ!」
目を血走らせながらヘルミッドが叫ぶ。
「よせヘルミッド!」ベイルの制止する声が塔一帯に響く。「それでは今回の計画が――」
「知ったことかあ!」
ヘルミッドの手から大量のエーテルが放たれるのが視えた。
頭の中は、真っ白だった。なにも考えられないどころか、押し寄せて来る赤い波動を前に指先ひとつ動かない。
⦅意志することを行え⦆
そのテラの言葉に導かれるように――恐怖にすくんだシンの喉もとから、うめくような声が漏れた。
「防げ」と。
その瞬間。シンの周囲を取り巻くようにしていたエーテルが逆流する滝のように吹き上がり、ヘルミッドが放ったエーテルの波動をはるか上空まで弾き飛ばしてしまった。
しばしの沈黙のあと、片手を伸ばしたまま微動だにしないヘルミッドが、引きつった表情を浮かべながら喘いだ。
しかしそれは、シンもまったく同じだった。
「ありえん……アーゼムでもないおまえが、エーテルの
シンに答えられるはずもなく、驚愕に見開かれているヘルミッドの瞳を同じように見つめ返すことしかできない。
ラスティアも、信じられないものを見たかのような表情でシンを見つめている。
⦅ただ跳ね返してしまえばよかったものを、おまえは臆病だなシン⦆
(……おれ、どうやって?)
⦅そのように意志しただけのことだ。まあ、今のは単に恐怖心からくるものだろうが、結果としては大差ない。お前の意志が言葉となり、そのとおりの現象が起きた⦆
(おれの意志が言葉に?)
⦅ああ。そのとおりエーテルを操ったということだ。まだまだ大雑把すぎるし、要領が悪すぎる。エーテルの扱いをより洗練させ、具体的な現象を思い浮かべられるようにならないと簡単に
「もう、十分だろう」
レリウスがヘルミッドへ向けて言った。
シンとテラの意識もそちらへと向く。
「将軍、ここは一旦引いてはどうだ」
「なんだと――」
「ヘルミッド様、あちらを!」
黒騎士の一人が塔の外側を指差しながら叫んだ。
ザナトスの街中から大勢の騎兵が目の覚めるような蒼い旗を掲げ、
「二千といったところか、まあ、想定通りだ」
ヘルミッドが言った。苦悶に顔を歪めながらもいくぶん冷静さを取り戻したようだった。
張り詰めていた空気がさらなる緊張を孕むかのようにみえたが、塔の下のバルデス軍は特段動き出す様子もなく事の成り行きを見守っている。
「どうするつもりだ、将軍」レリウスが前に進み出る。「我々を捕えることなどいつでもできると考えていたのだろうが、
「確かにな」ヘルミッドがシンを睨みつける。「だが、このような機会をみすみす逃す手はあるまい。やはりこのまま貴侯らを捕らえ、有利な立場で交渉に臨むとしよう」
「私とラスティア様だけならそれも可能だっただろうが、シンがいてはそうはいくまい」
「まさに、恐るべき相手だ。この俺の見境をなくしてしまうほどに……だが、おまえたちを屈服させる方法なら、他にもあるのだ」
まるでその言葉を待ち受けていたかのようにベイルがシンたちの傍らを一瞬で駆け抜けていく。
その目的にいち早く気づいたラスティアが駆け寄るより早く、ベイルは茫然と立ち尽くしていたダフとリリ両方の首にぴたりと剣を押し当てた。
「ラスティア王女、あなたの弱点はもう見抜いている」
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