第2話「声」
やめろ、と。シンは最初そう叫んでいたはずだった。だが今となっては自分でも何を叫んでいるのかわからなくなっていた。
文字通り空を飛んできた勢いそのままに、どうやって着地すればいいかわからず、絶叫しすぎて喉が張り裂けそうだった。
突如として降り注いだ叫び声に、その場にいた誰もが驚きの表情を浮かべる。
やがて全員の視界を
――死んだ。
体ごと逆さになった頭の中で思った。
だが――
目の前が暗くなるどころか、体のどこにも痛みらしい感覚が襲ってこない。
「……死んで、ない?」
恐るおそる声に出してみるが、やはり、どこにも異常は感じられない。
乗客の安全なんてまるで考えないアトラクションに乗せられた気分だった。とんでもない目に遭ったが、無事降りてしまえば、それで終わり。
「あ、あの子は?」
今まで目にしていた少女のことを思い出し、逆さになったまま周りを見渡すと、先ほど目にしていた光景の中の全員が唖然とした表情をうかべながらこちらを眺めていた。
「……貴様、何者だ」
ベイルの絞り出すような声が静寂を破る。
「いや、あの」
答えようがなかった。これまで生きてきた十六年の人生の中で一度たりとも聞かれたことのない質問だった。
だいたい、この状況は、いったいなんだ。わけのわからない焦燥感に駆り立てられるように飛んできたものの(本当に飛んできたよな?)、これからどうすれば――
行き場をなくしさまようシンの視線が、自然と少女のの
ラスティアは自分に覆いかぶさっていた男の腕をつかんでなぎ倒すと、すぐそばに突き刺してあった剣を引き抜き、レリウスの
首を
シンはその光景を茫然と立ち尽くしながら、ただ見ていた。
「隙をうかがっていたか。まだそれほどの動きができるとは驚きだ」ベイルが感嘆の声を上げる。「さすがはロウェイン家の、といったところか」
「あなたも、そんな軽口を叩いている状況ではないでしょう」
ラスティアとベイルがシンの姿を視界に入れるようにしながら
「確かにな。今のこの状況をどう考えればいいのか……今落ちてきた
自分のことを言われているのだとわかってはいるが、頭がまるで追い付かず言葉一つ出てこなかった。
「わからない。けど、私たちにとっては幸運の使者だわ」
「幸運なんてものが空から降って来ることはない」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる、こっちはまた二人殺されたんだぞ!」
ラスティアになぎ倒された男が唾を吐き散らかしながら叫んだ。
「こいつがなんだろうが叩き斬っちまえば終わりだろうが!」
腰元の剣を引き抜き、目を血走らせながらシン目がけて突っ込んでくる。
「ま、待ちなさい!」
ラスティアが青ざめた表情で叫んだ。
「え」
凶悪な表情を浮かべながら近づいてくる男を前にしながら、身動き一つできなかった。
凄まじい勢いで振り下ろされる剣先を呆然と見つめる。
バキン。
何かが弾けたような音とともに、相手の剣が真っ二つに折れ、振り下ろされた勢いそのままにくるくると回転しながら地面へと落ちた。
シンの頭に振り下ろされたはずの剣は深々と突き刺さることも、頭を二つにかち割るようなこともしなかった。
その場にいた誰もが、何が起きたのか理解できないようだった。
男はシンと折れた剣先とを何度も見比べるようにしていたが、るみるうちに表情を引きつらせていった。
「貴様まさか!」
かなりの距離があったはずのベイルが一瞬にしてシンの目前へと迫り、先ほどの男とは比較にならない速さで剣を振り下ろしてくる。
ベイルの向こう側に、何事かを必死に叫んでいるラスティアの姿が見えた。
周りのすべての動き、光景を、シンは確かにとらえていた。水の中のようにゆったり流れる動きのなかで、限りなく死に近づいていこうとしている自分を他人事のように眺めていた。
そのとき――
⦅力の扱い方を教えてやる⦆
シンの頭に、誰のものともわからない声が響いた。
まるで導かれるように、シンの思考が一気に明確化する。
(防げ)と。
バリバリッという衝撃音とともに、突如として現れた光の壁とベイルの赤く輝いていた剣とが激しく衝突した。
「やはり
ベイルの面頬からくぐもった声が響く。
⦅さあ創造しろ、己の中にある拒絶を⦆
同時にシンの頭に何者かの声が続く。
⦅意志することを行え⦆
(吹き飛べ)
次の瞬間ベイルの体が突風のごとく吹き飛んだ。そのまま驚愕の表情を浮かべているラスティアの傍らを凄まじい速さで通り過ぎ、反対側の巨木へ体ごと叩きつけられ、地面へと落ちる。
(なんだよ、
まるで何者かに意識を乗っ取られてしまったかのようだった。
「がはっ!」
ベイルの苦しげなうめき声が響き渡った瞬間、まるで呪縛から解き放たれたかのように周囲が騒然としだした。
「な、なんなんだあいつは!」
「エーテライザーだ! 不用意に近づくな!」
「いや、そもそもどこから湧いて出てきやがった!?」
「……ひ、引け!」
ベイルの絞り出すような声が、混乱しながらもシンをとり囲もうとしてた男たちの動きを止める。
「お、おまえ、たちに、どうにかできる相手では、ないわ……!」
「しかしまだロウェインの娘とアルゴート侯が!」
「いいから今は引け!」
ベイルの激しさに男たちがたじろぐような表情を見せた。
「誰か、手を貸せ……」
二人の男がベイルに駆け寄り、両側から肩を回すようにして立ち上がらせる。
(ほんとに、なんなんだよ……)
シンにはただ、目の前の出来事を見つめることしかできなかった。
ベイルは最後にシンと、それにラスティアへと面を向けたが、何の言葉も発することなく残りの襲撃者たちとともに森の奥へと消えていった。
後にはシンとラスティア、レリウスの三人と、風に揺れる木々の葉音だけが残された。
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