君と物語（イセカイ）を自由に生きてゆくための冴えたやり方【第一部完結】

第３話「力の残骸」

「……も、もし」

　ラスティアのか細い、探るような声がシンへと向けられた。先ほどの襲撃者たちに向けられたものとは思えない、別人のような少女の声だった。

　シンは慌てて何か言おうとしたが、いま目の前で起きていることへの理解がまるで追いつかず、陸に上げられた魚のように口をぱくぱくさせるくらいのことしかできなかった。

「どのような存在かは存じませんが、感謝を――」

　突然、ラスティアの膝が折れた。地面に突き立てていた剣にすがりつき、強く目を閉じながら激しく肩を上下させる。

「ラスティア様！」地面に転がされたままのレリウスがラスティアの顔を見上げながら叫ぶ。「すまぬが少年、私の腕の縄を切ってくれ！」

　レリウスの強い言葉が落雷のようにシンの体を貫いた。弾かれたようにレリウスの倒れている場所まで走ると、すぐそばに膝をつき、両手がうっ血してしまうほどきつく結ばれた縄の隙間に自分の指をねじり込ませようとする。だが、爪が割れそうな勢いで力を込めても一向に緩む気配がない。

　シンの額に汗が滲（にじ）む。明らかに異常を来しているラスティアと、彼女に声をかけ続けるレリウスの様子がさらにシンを焦らせた。

｟――せっかく手にした力が泣くぞ｠

　再び響いたその声に一瞬手が止まりかける。

（くそ、何なんだよこ（・）れ（・）は！）

　思わず心の中で悪態をつく。一向にほどけない縄がさらにシンを苛立たせていた。

｟その非力な力でどうにかできるとは思わんが｠

（おまえいったい――）

｟根源（エーテル）を扱え｠

（なんだって？）

｟周囲のエーテルを指先に集約しろと言っている｠

（わけがわからない）

｟……面倒なやつだ｠

　そう言われた、次の瞬間。今まで緩む気配すら見せなかった太い縄が、シン自身の手によっていとも簡単に引きちぎられた。

「あ、ありがたい！」

　両腕が自由になったレリウスは短いうめき声をあげながら立ち上がると、すぐさまラスティアのもとへ駆け寄り、その身体を支えた。

（……どうして）

　シンは目の前に落ちた縄を、信じられない思いで見つめていた。

「さあ肩を――お辛いでしょうが早くこの場を去らなくては」

　レリウスの言葉にラスティアが小さくうなずく。しかし、ラスティアの肩を担ごうとうしたレリウスも体をよろけさせ、あわや二人同時に倒れてしまいそうになっていた。

　これから、どうすればいい。そんな思いと目の前の二人の様子とが、シンを突き動かした。

「手を貸します」

　そう言って二人のもとへ駆ける。

　レリウスはこびりついた血のせいで一方しか開くなった目を見開くようにしてシンを見つめたが、すぐに頭を下げた。

「かたじけない」

　どこを見ても鬱蒼（うっそう）と生い茂る木々しか見えず、先ほど空を飛んでいたとき（本当に、飛んでたよな……？）まで目にしていたはずの夕陽は跡形もなく消え失せてしまっていた。

　そこは、完全なる夜の帳（とばり）に覆われた深い森の中だった。

　たった今目にしたことを思い出す。シンの通り過ぎた地面には、いまだ血を垂れ流しながら横たわる二つの身体があった。どうしてもそちらへと目がいってしまいそうになるのを無理やりのように引き剥がす。

　まるでわけのわからない状況のまま、こんな場所に一人取り残されたら。想像したたけでおぼつかなくなってしまいそうな足をなんとか踏ん張りながらレリウスの反対側に回り込み、だらりと落ちているラスティアの腕を自分の肩へとまわす。

　この手が、一瞬にして二人の人間を……？　一瞬そう怯みかけたシンだったが――

（あ、あれ？）

　ラスティアの身体からまるで重さが感じられず、焦る。

　自分と同じくらい身長があるうえ、満足に歩くこともできない人ひとりを支えるにはそれなりの力が必要なはずだった。そのはずが、このまま片手で持ち上げられそうな気さえした。

｟おまえの身体にエーテルが集まっているだけのことだ、驚くに値しない｠

　さらに声は続く。傍（かたわ）らのラスティアとレリウスはまったく反応する様子がない。自分だけにしか聞こえない、何者かの声。

（とにかく今はこの子を――）

　強く言い聞かせるようにして身をかがめる。「……あの、おれ一人でも大丈夫そうです」

「え」

「あっ」

　驚く二人をよそに、ラスティアの身体を軽々と背負いあげてみせる。普段はこのようなことをする性格も人格も持ち合わせいなかったが、シンがそうせざるを得ないほど目の前の二人は衰弱しきっているように見えた。

「あ、ありがとうございます。助かります」

　肩越しからラスティアの吐息のような声が届く。

「本当に、なんとお礼を言ったらよいか――」

　レリウスは固く口を結び、再び深々と頭を下げた。

　何と返していいかわからず、曖昧にうなずくことで二人に応えた。

「あの、どこへ行けば」

「私についてきてください。一旦、襲撃を受けた場所まで戻ります。まずは森を抜けるための手筈（てはず）を整えなくては」

　襲撃。その言葉をどう受け止めればいいかもわからないまま、シンはレリウスに続いて歩き出した。

　風に揺れる木々の喧騒がシンの胸をひどくざわつかせた。まるで夢の中の光景のように現実味がなかった。そんななか少女の苦しげな息遣いと背中越しに伝わる確かなぬくもりが、シンの歩みを確かなものにしてくれた。

　叫び出したいほどの疑問が、山ほどあった。だが、そのうちの一つとして答えを見つけることができず、くりかえし頭の中を回り続けた。

　何よりこの声は、いったい何だ。

（おまえは、誰なんだ）

｟すぐに会えるさ｠

「声」が当然のように答えた。