第一部

第一章

第1話「持たざる者」

 物語の主人公のように、自分もなりたい。

 今ではない時、ここではないどこか。誰もが心奪われる剣と魔法の世界で英雄のような人生を生きてみたい。


 眠りにつく前のほんのわずかな時間。年甲斐もなく抱くとりとめもない妄想だけが、なんの束縛も制限もなく異世界を自由に生きてゆくための方法だった。


 まるで、おりのない牢獄の中で生きているような毎日だったから。

 閉じ込められているわけではない。けれど、なんの希望もない。そんな日々。


 むかし夢中になって読んだたぐいの本には見向きもしなくなっていた。そんな些細ささいな楽しみを見出す余裕すらなくなっていた。


 高校での時間だけが、自分はまだ大人ではないということを思い出させてくれた。だからこそ余計、みじめな思いばかり募っていった。


 まわりのやつらは家族を養う必要はもちろん、先の生活に不安を覚えることなんてない。金も時間も、自分だけのために使うことができる。そんな生活がうらやましくてしかたなかった。


「おまえらはいいよな」、なんて言葉は吐けなかった。

 少し前の自分も、まったく同じだったから。

 今の生活との落差に、もがいていた。


 ふと窓の外に目を向けると、街灯の明かりに照らされた雪が絶え間なく降り注いでいた。


 雪は嫌いだった。母親が死んだ日のことを思い出すから。


 当時の――あの光景は、今も消えることなく確かな傷跡として刻まれている。

 舞い落ちてくる雪のひとつぶひとつぶに心臓を削りとられていくような気がした。


 それでもしばらくのあいだ外の景色を眺め続けた。この胸の痛みと引き換えに、今の境遇に対するみじめさとやるせなさを、ほんの一時でも忘れることができたから。


 雪は次第にその暴力性を増し、やがて一寸先も見通せないほどの猛吹雪となった。


「シン――をお願いね」


 ふと、あの日耳元でささやかれた母親の言葉が蘇る。

 まるでそれが合図であったかのように、少年シンの記憶は意識とともに闇へと沈んだ。


 ⦅意志することを行え⦆


 誰のものともわからない声が、最後に響いた。




 §§§§§




 いつのまにかシンは、鳥のようになってを見渡していた。


 赤けの空が、どこまでも果てしなく続いていた。地平をふちどる太陽の光が、まさに今、沈んでいこうとしている。


 シンはどこの場所かもわからない雄大な空を、確かに飛んでいた。


 美しいという言葉の意味を、初めて知った気がした。

 今まで感じたことのない爽快感と開放感に満ち溢れていた。


 いつまでも眺めていたい、ずっとこのまま飛び回っていたい。心の底からそう思った。


 そのとき――


 シンの目が、今まで見ていた空とまったく異なる光景を映し出した。

 怒りと悲しみとが入りじまったような表情で叫ぶ、一人の少女の姿を。


 なぜその光景が飛び込んできたのかはわからない。突然、視界が引きずり込まれてしまったような感覚だった。


 少女は、土と血にまみれていた。怪我を負っているのか、突き立てられた剣⦅――剣だって?⦆にすがるようにして片膝をつき、翡翠ひすいのような瞳で前方を睨みつけている。


 彼女の声がシンのもとに届くことはなく、少女からもシンの姿は見えていないようだった。


 あののそばに行かなくてはいけない。そんなわけのわからない、使命感にも似た感情がシンの心を激しくかき乱した。


「――してこんなことを!」


 今度は少女の声まではっきりと耳に届き、シンの意識が激しく震えた。


「知れたこと。おまえに生きていられては困る人間がいるからだ」


 ぞくりとする男の声がして、シンは咄嗟とっさにその声の主を探した。森の中から一人、また一人と、少女の方へ歩み寄って来る男たちの姿が見えた。


 どうして、空を飛んでいるはずの自分にこんなものが映るのか。どうして、相手の声まで聞こえてくるのか。そもそもどうして空なんか飛んでいるのか。まるでわからず、シンの頭は混乱する一方だった。


「私なんかを殺していったい何になるというの」

「自分の価値というものをまるでわかっていないようだな、ラスティア・ロウェイン」


 男たちは全身に甲冑⦅――なんで?⦆を着こんでいた。ラスティアと呼ばれた少女と話している先頭の男にいたっては、一人だけ面頬めんぽおをつけており、どんな顔をしているのかさえわからなかった。


「価値なんてない、私は『持たざる者ハーノウン』よ!」

「知っているさ。それでも、おまえの生まれが特別であることに変わりはない」


「ベイル様、あとはこっちに任せてもらいますよ」

 うしろに控えるようにしていた男が口を挟んだ。


「おまえたちの役目は終わっている」

 ベイルと呼ばれた男が突き放すように言う。


「それはそうなんですがねえ。すぐに殺したんじゃこいつらが納得しない」

 まるで困っていないような笑みを浮かべながら頭をく。その口調にはどこか人を不快にさせるような響きがあった。

 

「ああ、こいつ一人に仲間が何人も殺られてる」

「ただ殺すだけじゃ収まらねえ、そうだろう!?」

「ここから先は俺たちの好きにやらせてもらおうぜ!」

 周囲から同調するような声が次々にあがる。

 

 たったひとりの少女が、十人以上いようかという野党のような男たちに取り囲まれようとしていた。ラスティアの表情が今まで以上に強張っていくのがシンにもわかった。


 ――早く、もっと早く飛べ!


 まるで現実味のない光景の中にあって、シンの焦りは増すばかりだった。

 体感的には相当な速さで空を飛び続けているはずが、彼女のもとへ向かおうとすればするほど遠ざかっていくような気がする。


 いったい、ここはどこなのか。自分の身に何が起きているのか。そもそも、駆けつけてどうしようというのか。そんな当たり前の疑問すら浮かばなかった。


 シンの意識は少女のもとへ駆けつけるという、ただそれのみに集約していた。


「どうせ殺るなら、存分に楽しませてもらいますよ――」


「貴様ら、自分たちが何をしているかわかっているのか!」

 突然、周囲の言葉をかき消すかのような怒声が聞こえてきた。


 その声は、たったいま男たちの手で担ぎ込まれてきた巨大な麻袋の中から響いてきていた。

 男たちは無造作に麻袋を地面へ投げ出すと、そのまま引きづるようにして中身を取り出した。


「レリウス様!」

 ラスティアの悲痛な声が森の中へと響き渡る。


 レリウスと呼ばれた男は必死の形相でラスティアの方へと顔を向けると、両腕を後ろで縛り上げられながらも必死にい寄ろうとした。

 

「申し訳ありません、ラスティアさま……!」

 額から流れ落ちる血のせいで目を開くことさえ難しそうだった。だが、その言葉には確かな力強さがあった。


「ほう、生きたまま捕らえたのか」

 ベイルは軽く感心したような声を出した。


「アルゴード侯、レリウス・フェルバルト。さすが大物だけあって俺たちも手こずりましたよ。ま、この娘ほどじゃありませんでしたがね――ああ、血がたぎってしょうがねえや」

 男が自身の股間をまさぐるようにしながら上ずった声をあげる。


「正直、こんな極上の娘はお目にかかったことがねえ。この機会を逃しちゃ盗賊稼業に命をかけてる甲斐かいがねえってもんだ。そうだろお? おまえら」

 周囲の男たちは野卑やひた歓声をあげ、舐めるような視線をラスティアへと向けていた。


「特に、あの核光かっこう色の瞳……飽きるまで犯りまくったあとは切り抜いて俺の所蔵品に加えてやる」

「なんという――」

 憤怒ふんどの表情で何かを叫ぼうとしたレリウスの言葉が、かたわらに立つ男に腹を蹴り上げられうめき声へと変わる。 


「やめなさい!」

 ラスティアが叫ぶ。


「ねえ、いいでしょうベイル様」

「……好きにしろ。確実に首はとれよ」

 ベイルからは、どこか周囲の男たちを嫌悪するような様子さえ感じられた。


「言われるまでもありませんや」

 男たちは一斉にうなずくと、いやしい笑みを浮かべながらラスティアを取り囲むように歩み寄っていく。


「それ以上近寄らないで」ラスティアが男たちを鋭く睨みつける。「近づけば切る」


 その言葉、その迫力を前に。男たちが思わずと言った様子で歩みを止める。

 一介の少女が身にまとえるような雰囲気ではなかった。


 だが、先頭に立つ男は特に気に留める様子もなく笑った。

「ああ、やってみろ。その代わりアルゴード侯がどうなるか、わかってんだろうな」


 瞬時にラスティアの視線がレリウスへと向く。

 

「アルゴード候の子供たちに親父の切り刻んだ体を送りつけなきゃならんのは、いくら俺たちでも心が痛むなあ……だが、おまえが大人しくしてくれりゃあ、そんなこたあしねえよ。大国アインズの大侯爵様には体を切り刻む以外の使い道もたんまりあることだしな」


 ラスティアの瞳が明らかに揺れた。


「ら、ラスティアさま……耳を、貸してはなりません、こやつらは約束など……!」

 ラスティアのもとへ這い寄ろうとするレリウスの腹に再度男の脚が振り下ろされた。

 のたうち回るレリウスはしかし、それでもラスティアから目を離さなかった。


「さあどうする?」

「……わかったわ」

 血がにじむほどきつく噛み締められたラスティアの口から、か細い声が漏れた。


 男たちの間で歓声があがる。


「やめろ、頼むから止めてくれ!」レリウスが叫ぶ。「わかっているだろう、そのお方は――」

「いやあ、ぞくぞくするねえ! かのアルガード侯の前でアインズ王の姪っ子を犯りまくれるなんてよぉ!」

「やめろぉ!」

 レリウスの悲鳴が響き渡るなか、ラスティアの微かに震える手が剣から離れてゆく。


「聞き分けのいい子だ。そう怖がらなくていい、最初から全員でなんてこたあしねえよ」


 男は粘りつくような言葉をかけながら、少女の体へと覆いかぶさっていった。


「ああ、血で汚れていようが気にするな。俺たちゃ慣れてる」



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第9回カクヨムコンテスト、「ライト文芸部門」応募作品となります。面白い、先が気になると思ってくださった方は星、レビュー、フォロー、応援コメント等、どのような形でも構いません。応援の程、何卒よろしくお願いいたします。


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