- 冬 - 3月 卒業式 < 尊し >
3年の始業式が始まる前日も
僕はヒカリと遅くまで遊んでいた。
名残惜しくて自宅とは反対の電車に乗り
ヒカリの家まで一緒に歩いた。
「また明日」と、ヒカリの手を掴んでから
長い帰り道を進んだ。
明日から3年生。
相変わらず落ちこぼれな生活がまた始まる。
あと1年経った頃には
新しいサイクルが始まってしまう。
文化祭の時に
ヒカリが言った言葉を思い出して
急に夜道が心細くなる。
「ずっと一緒にいたいって言うか
ずっとこのままがいいな。」
僕はそれを打ち消すかのように
ひとりごとを言った。
傘を学校に忘れたくらいで
ぐちぐち言ってくる母親も
やる気がない担任も
退屈な授業も
全部永遠でいい気がした。
いつかヒカリと
2人で遠くまで旅行に行く約束をした。
それは本当に楽しみだけど
親や学校が与える窮屈も
ヒカリが毎日塗り替えてくれるから
今以上の日々なんてどこにもないと思えた。
このまま続くか先に進むか
選べるなら僕は、前者に頷く気がした。
時間なんて概念は虚像で
全部決まっている全ての事象を
映像を流すみたいに
人間が観測している。
もしも本当にそうなら僕はずっと
ヒカリと初めて話した日から
さっき一緒にいた時間までを
繰り返し観測する。
そんなことを考えながら歩いていた。
交通量の多い四車線の横断歩道の青を渡る。
頭の高さくらいのヘッドライトに
ありえない角度から照らされる。
その方向に首を動かした次の瞬間
大型トラックはもう
僕の視界を貫通していた。
在校生の花道が完成し
門出のチャイムが鳴る。
3年N組では納得のいく別れ方が
見つかることはなかった。
「じゃぁ、元気でな。解散。」
一瞬だけ落ち着いた隙に放たれた
担任の最後の言葉があまりにも渇いていて
また1歩大人に近付かなければいけない節目が
今日だと悟る。
最後は、全員が前を向いていた。
クラスメイトとの最後の時間も束の間
校内アナウンスに従って
みんなは順番に教室を巣立っていった。
誰もいなくなった教室に大谷がやって来て
素早く僕の机の後ろでしゃがみ込む。
そして、僕の机の中に第二ボタンを隠す。
部活がなくなっても
彼女ができなかった友達に向かって
僕は微笑む。
模試を重ねるごとに
五角形の面積を広げた大谷の躍進は
受験生みんなを励ました。
大学合格おめでとう。
最後とは思えないくらい機敏に動く彼は
またすぐに立ち上がった。
そして、花道へと駆け出した。
どんな困難にも立ち直れる財産と共に。
校庭で鳴り響くブラスバンドの音に
夏の思い出が蘇る。
みんなの喧騒に惹かれて校庭に出ようと
教室から1歩踏み出した瞬間
透明な僕は、彼女とすれ違った。
僕は教室の入口付近に立ったまま
彼女を見守ることにした。
僕の机の前に立ち
一輪の花を見つめる彼女に
どうにか渡せないかと
第二ボタンをちぎった。
彼女に近づこうとしたその時
彼女は目まいを起こしたかのように
崩れ落ちた。
そして全身を震わせながら
声を上げて泣いた。
この校舎での生活が続く限り
そこに机がある限り
僕はまだ生きていた。
彼女にとって今日は
人生で1番悲しい出来事を
受け入れなければいけない最後の日だった。
明日から彼女はもうこの校舎に来ない。
机の淵におでこを当てて泣き叫ぶ彼女。
机の上で重なるその両手を
僕はもう握ることができなかった。
しばらくして彼女の母親が迎えに来て
彼女を抱きしめる。
1年間堪えた彼女の涙は収まるはずもなく
2人はゆっくりと教室を後にした。
彼女は最後の最後まで
涙で前を向けなかった。
第二ボタンを床に叩きつけ
そこら中の机を蹴り飛ばし、投げつけた。
彼女にこんな思いをさせてしまったことが
悔しくて申し訳なくて自分を恨んだ。
高校生活の思い出という箱の中に
僕を閉じ込めたまま
どうかずっと
彼女も彼女のまま
生き続けてほしいと願った。
心臓に一番近いボタンホールに
一輪の花を差し込んでみると
なんとなく卒業生らしい姿になった。
そして僕はゆっくりと旧校舎に向かった。
「生徒立ち入り禁止」と張り紙がされた
薄暗い部屋に入る。
そこには煙草を持った手で
涙と鼻水を拭いながら
まだ泣き止むことのできない
担任の先生がいた。
もう片方の手は太ももの上で
硬い拳を作っていた。
回転寿司で
家族と過ごしていた時の先生を思い出す。
学問を教えるだけじゃない過酷な職業を
まだ小さい娘さんのためにも
全うしなければならないお父さんの姿。
先生として、1人の父親として
つらい経験を人一倍強く
乗り越えなければならないこの人に
苦しい思いをさせてしまったことを
僕は償いたい。
そして
最後まで特等席を用意してくれたことに
感謝を伝えたかった。
何度目かのチャイムを見送った後
先生はようやく立ち上がり
桜が映える曇り空の校庭へと歩き出した。
その尊い背中に向かって僕は
手を膝につけて限界まで頭を下げた。
第二ボタンに生けた花が視界を埋め尽くす。
先生の気配を見送った後
僕はゆっくりと空を仰いだ。
鼻腔にはしばらく
植物のリアルな匂いが残っていた。
END
remember this.
ラストは「仰げば尊し」を
オマージュしました。
恩師の姿には顔を上げることができないまま
甘いよりもどちらかと言えばにがいような
植物の生々しい生命の香りを仰ぐ。
この描写から
命の尊さが伝わっていれば幸いです。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
良い作品だったら是非
感想を聞かせてください。
クチコミも宜しくお願い致します。
もっといい作品が出来たらまた公開します。
『 a student 』 青山 未来 @mirai_aoyama
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