#4 囁き声

 弧真坂直樹こまさかなおきという会社の後輩に佐古葉平さこようへいは困った相談をされていた。

「急に囁かれるんですよ、ずっと無視してるんですけど」

休憩時間に、自販機の前で缶コーヒーを啜っていたら「佐古課長~、聞いてくださいよ~……」と弧真坂がいうから「なんや、どうした」と軽い調子で聞き返したのだが、思っていたのと違う突拍子もない事を言われて色々情報が足りなく葉平は首を傾げるしかない。

「誰に?何を?」

とりあえず聞き返すしかなくて缶コーヒーを啜ってからそう返す。

「いやー……それが誰か解らなくて。その時々で言ってる人が違う気がするというか」

「え、知らん誰かに何か囁かれるけどその時々で囁いてくる奴が違うってこと?なんだそれ、どこで?」

「はぁ、家でなんですけど。」

ますます解らん、と葉平は困ってしまった。

家の中でふとした瞬間に囁かれるのだそうだ。何を、と聞くと何を言ってるかは解らないと言う。

だが困っているのは弧真坂も同じであるようで変な事言ってすみません、と眉尻下げた情けない顔をして謝られてしまう。

また葉平も寄せばいいのに「まぁ……何かあれば相談に乗るから」と言ってしまった。弧真坂は少しやつれた風ではあったが葉平のその言葉に安心したように笑って「ありがとうございます!」と言っていた。


 

「また安請け合いしたな」

 その事を八弦清人に話したら胡乱に返されて葉平は首を竦めた。叱られたと思ったのだ。現在何となく八弦清人の家にきて鍋などつついている最中のことである。何となくの日常会話のついでに話したら呆れたような調子で清人に冷たい目で見られてしまう。

「いやぁ、だってさ。よくわかんねえことだったし俺に何かあるわけじゃないからさ」

いいかな、と思っちゃって、と言い訳染みたことを言って口を尖らせていると清人が少しため息を吐きながら言った。

「そうは思わないかもしれない、

清人の言葉に面食らってしまい、向こうはってなんだ、と突っ込む前にメッセージアプリが会話を邪魔するように通知を知らせてくる。スマホの鳴動に、煮卵を頬張ってからすいすいと指でスマホを操作してメッセージを読むと弧真坂からであった。

「行儀が悪いぞ葉平」

「んい、噂をすれば弧真坂からや。えーと……『課長、また何か今言われました』……何の話や」

清人に注意されながらに読んだメッセージが前置きが何もなくて面食らってしまったのだが。

「さっきの話だろ、もう忘れたのか」

更に呆れたような清人の言葉にああ、と頷いて少し葉平は考える。

一瞬解らなくなるレベルでこの件のこの話を見失うのだ。なんて返信しようがないなと思ってしまう。すると意外なことに――というのも清人は他人に興味を余り持たないので――清人が「返事はしない方がいいかもしれないと返せばいい、お前がそれに返信するのであれば」と言った。

珍しいなと思う。しかし申し出は嬉しかったのでそう返信しといた。

直ぐに返信がきた。

「えーと『もう返事してしまいました……「なに?」って』……おおう、返事しとるぜ」

「……何も起きなければいいな」

少し厭な予感がする。清人の言葉に「おう」と頷いた後、弧真坂には「余り深く考えるな」と返信するしかなく、鍋をつついて何もできないなこればかりはと少し暗い気持ちでもそもそと箸を進めた。




その次の日、弧真坂は入院した。

何かに気を取られて車に轢かれたのだそうだ。幸い軽傷で済んだとのことだったが、足にひびが入ったなどで一か月入院、とのことだった。

それよりも、と驚いて固まっている葉平に対して教えてくれた部下の他仲たなかは目を泳がせた。なんだかきょどきょどとしているその風情は余り良い知らせを聞かせてくれるとは思えない。

「車に撥ねられたからなんですかねえ……?なんか言ってることが可笑しかったようで」

昨日の今日でこういった事が起きてしまったことに葉平は酷くショックを受けていたが、「可笑しいって何が」とまたしてもつい聞き返してしまった。

「話しかけられて振り向いたら誰もいなくてまた話しかけられて振り返ってってそれの繰り返しで、囁き声が止まらなくてその場でぐるぐる回ってたら車にはねられたとかって……」

なんだそれは、と困惑してしまった。

葉平は思わず黙ったが他仲は無言をどう思ったのか慌てて付け足すように言った。

「ま、まあ事故ったばっかだと記憶が混乱するって言いますし、ね!」

そうやな、と葉平はどうにか返事をするしかなかった。



その後他仲は見舞いに行ったらしい。意外に元気でしたよという言葉に安堵しつつ、厭なことは何もなくなったのだろうかと考えはしたものの、葉平はというと他社とのイメージの擦り合わせや会議など忙しさに追われて気付けば弧真坂が退院するまでに見舞いに行くことすらもできなかった。

ちょっとしたギプスのようなものを足に巻いた弧真坂は松葉杖を突きながら「佐古課長~!聞いてくださいよ!」と話しかけてくる。

葉平は若干狼狽えた。勿論大丈夫だったか、と話しかけるつもりではいたが弧真坂のその口ぶりからするとあれの後日談を聞かされそうだ、と思ったのだ。

正直聞きたくなかったが「おうよ、退院おめでとうな!大変やったなー!んで、どうした?」と声を返すと、えっちらおっちらこちらに杖をつきながら寄ってきた弧真坂は笑顔で「声、聞こえなくなったんすよ!」と言った。

やっぱりその話だったか、と思いはすれど「ああ、そうなんや。良かったやん」と返事を返す。良かったんだろうか本当に、と思っている自分を見透かしたかと思うほどタイミング良く、弧真坂はこう続ける。

「加害者の方がですね、謝りにこられたというか……少なからず僕も轢かれて痛い思いしたから怒ってたんですけど、お見舞いに色々もらってその中にお守りあったんですよ。加害者がウケる、お前が轢いたんだろ、んですがお守りが効いたのか声が聞こえなくなったんすよ!いやあ感謝感謝!」

大声で嬉しそうに笑う弧真坂の言葉に葉平は少し青ざめていた。

――それ、お守りが効いたんじゃなくてお前の言葉で相手に憑いてったんじゃないのか。

葉平は言えずに「そうかー……よかったな」と曖昧に濁して、仕事しろよと弧真坂を小突いて自分も仕事に戻ったが葉平は色々考える。

それは、弧真坂から離れただけかもしれないし、もしかしたら弧真坂がノイローゼだっただけかもしれないし、など色々考えはしたが厭な気持ちが拭いきれなかった。




 そんな考えも朧に薄れてきた頃のことだ。

とある取引先に向かっている最中だった。歩いて10分ほどの道のりだったので車は使わず――まあバイクという手もあったが何となく歩いて行くことにした。

途中コンビニなどにも寄りたいだとかそういう考えもあったかもしれない。

春先で気候も良かったし、少し冷たいコーヒーでも……そんなことを考えていたように思う。

腕時計を見遣ると約束の時間に間に合うが少し時間が余るな、と考えた。

20分ぐらいも余ったら先方も気を遣うかなあと悩みつつも歩みを進めてしまえば先方に着いてしまう。

ふと、前を見渡した時だった。

葉平は他の人より頭一つ分ぽこんと飛び出るぐらいには背が高いのだが。

前方から歩いてくる人の中に、妙な形をした人影があった。最初は何か大きな飾りのついた帽子をつけているのかと思った。何となくちらちら目を逸らしながらにその人物を視界の端に捉えていたが、あちらも歩いているしこちらも歩いているのだから余程横に避けない限りはすれ違うわけだが。

葉平はその人物が近くなるにつれて、ぐ、と息を飲んだ。

頭部というよりは頭部に小さな足や手がついているようで異様な光景に思わず目を逸らした。

それがぼそぼそぼそぼそと男性の耳元で何かを引っ切り無しに囁いていて、男は目を血走らせながら鼻息荒く前を突き進んでいる。聞かないようにしているのだ、と葉平は直ぐに気付いた。

「――、――?」

だけどは、今まで一方的に話してるだけだったそれは、何かを尋ねるような口調になった。

「……えっ?」

男が……普通のサラリーマンに見えたが、男が聞き返したのだ。葉平は思わずそちらを見てしまった。

先ほどよりも早口で男の耳に向けて何か喋り倒している女性の頭部のようなものを携えたままの男はこちらを振り返っていたが葉平はなるべくさり気ない動作で身体を戻し見なかったことにして取引先に向かった。

冷や汗が止まらない。

厭なものをみたと思うと同時に、葉平はある思いが脳を占めていた。


――弧真坂に憑いていたのは、アレなんじゃないか。今の男が弧真坂を轢いた男なんじゃないか。


そこまで考えて葉平は考えるのをやめて、今日は清人の家に食材を持って行って何か作ってもらおうなどと思考を無理やりに切り替えた。

解らないものを理解した時が危ない、とは誰の言葉だったか。そんな事を思いながら。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る