#3 墓荒らし
飼っていた猫が切なくも老衰で虹の橋を渡ったので桜の木の下に亡骸を埋めた。
というのは大分昔の話だ。今いる猫は若くまだ健在。
桜の季節がまたやってきたので佐古葉平は何となくその時のことを思い出していた。
なんだか天気が悪く気持ちが下降気味で、「嗚呼、雨によって桜も散ってしまう」と思っていた夜、雲は晴れた。
眠れぬ夜に月見酒などすることもあまりないのに少しだけ酔えるという謳い文句のアルコール度数の低いお酒を少し冷える中、窓際で月明りの中で飲みつつ桜を何となく見遣った。
淡い月明りの元桜は見事に咲き誇っていたがやや葉桜になりつつあり、その――愛猫を埋めた桜の木の下で何かが青白く蠢いている。
なんだ……、と思わず目を凝らした。
――それは一心不乱に、愛猫の墓を掘り返していた。
奇妙な気分になり、思わず直ぐに葉平は目を逸らす。愛猫の墓を掘り起こされているというのに怒りよりも恐怖が勝った。どきどきと鼓動が早い。
なんだろう、なんだったんだろう。葉平は窓の外を見ないように立ち上がりなんだったのか、正体について思いを巡らせつつ飲んでいた酒を流しに捨てて、すっかり醒めた酔いもそのままに寝ることに決めた。
暖かくなったとはいえまだ夜は肌寒い季節だ。布団に向かおうとすると猫が二匹何も言わず布団へと先回りしていた。布団の上で早く寝ろと言わんばかりの猫たちに何となくほっとした気持ちになって猫を布団の中に招き入れながらに布団に自分も潜り込んで目を閉じた。酔っているから何か見たような気になっただけだ、と葉平は猫と一緒に眠りに落ちる。
次の日、何とも二日酔いの気怠い身体を起こし、ああ昨日酒を飲んだのだったな、と思い出して伸びをした。
葉平は酒に酷く弱い。猫が寒いのか非難するように鳴き声を上げたが葉平は「ごめんね」と小さく謝っただけで充電していたスマホを手に取りだらだらと洗面所へと向かう。
本日だって仕事だ。昨夜酒など飲むんではなかったと思いつつ洗面所で歯ブラシで歯を磨き始める。
片手でスマホを操作して昨日あったことを親友の八弦清人に言おうかと思った。途中まで文章を打ち込み、何となく送信できずにそのままメッセージアプリを閉じた。
――仕事に行く前にあの桜の木の下を見てみよう。
そう思うが早いか猫の餌と自分の飯を用意してさっさと朝食やら身支度を済ませていく。猫はむにゃむにゃ言いながら起きてきて餌を食べている。スーツに毛がつかないように気を付けながら……そんなことをしても結局「佐古さん、猫の毛またついてますよ」と会社の誰かには笑われるわけだが、気を付けないのも違うだろと思いつつそっと二匹の頭を撫でて「行ってくるな、すぐ帰ってくるから」と小さないつもの嘘を言って出掛けた。ときたま合鍵を持っている姉がきて猫の様子を有難いことに見てくれる。
そんなことをぼんやり考え、少し遠回りをして亡き愛猫が永眠している墓を見てから駅へと向かうことにした。
結果から言えば墓は、掘り返されたままではなかった。
掘り返されっぱなしというわけではない、ただ、掘った痕があって埋め直してあったのだ。葉平はそこを再度掘り返して自分の大事な猫の亡骸が埋まっているか確認する時間がなかった。
酷く厭な気分になった。昨日のあれが人間であったとして、愛猫の亡骸に何の用があったというのだと得たいが知れなくて気分が悪い。
何にせよ最低な奴のやることだ、と葉平は思った。満員電車に揺られながら流石に憤りがやまず、やはりというか親友の清人に連絡を取ることにした。自分は背が高いので吊革どころか上の棚が掴める。その状態で鞄を置いてスマホを胸ポケットから取り出して怒りのままメッセージを打つ。
『おはよ。なんか昨日変な奴にうちの子の墓荒らされて最悪な気分やわ。埋め直してあったけど中確認できなくてちゃんと亡骸埋まってるか心配すぎる』
そう打つとしばらくして既読がついた。
『お前はその変な奴とやらをちゃんと見たのか?通報すればよかっただろ』
それはそうだな、と思ったが猫の墓を掘り返していたといって通報して警察ってきてくれるんだろうかと思い、そのまま送信した。
『変質者であれば来てくれるだろうよ、人であったならな』
その言葉で昨日の青白い姿で一心不乱に墓を掘り返していた何かを思い出して葉平は返信の手が止まった。それを察したかのように清人から追撃が来る。
『本当に、人だったのか、それ』
葉平は返信が出来なかった。
葉平は一日胡乱に過ごした。今週中に提出しないといけない挿絵のイラストのカラーラフにリテイクも何度も喰らっては心が折れかける。それもこれも昨日のあれが何だったかわからないからだ。
何度思い返しても人の形をしていたかどうか判別がつかない。ちゃんと見なかったからだ。
休憩時間になり缶コーヒーを買いに自動販売機に向かう際に胸元のスマホを取り出し再度清人に連絡を取ろうとした。スマホ決済を済ませて缶コーヒーを買って拾い上げてからスマホを確認すると、清人から新着のメッセージが着ていた。
珍しいな。そう思いつつメッセージアプリを開いて内容を確認する。メッセージが着ていたのは朝のメッセージの直ぐ後の時刻。追撃のまた追撃とは清人にしては本当に珍しいなと思いつつも嫌な予感がするのでさっさと中身を読む。
『葉平、もうそれについては調べるな。これ以上深追いするなら也鳴を呼べ』
ええ、とちょっと葉平は眉を顰める。元来葉平は余り人を頼ることが上手い方ではない。だが神矢也鳴という神主でもある人を頼って呼んだ方がいい事態ということは即ち。
『幽霊ってこと?』
これまた珍しく直ぐに既読がつく。そして直ぐに返信が来た。
『わからないからだ。也鳴を頼れないなら深追いはするな。あと』
――それをもう視るな。
その言葉に変な汗が出た。それまで通知が忙しなく鳴っていたのにぴたりと清人から何の返信もこなくなった。
夕刻になり、退社した後電車に揺られ、昨日から今日一日のことを思い返す。
良くないことが起きようとしていないか?なんだかあの箱を拾ってからこっち、とても何だか厭な体験を矢鱈にしている気がする。
その時ふと視線を感じて頭一個飛び出ている自分はくると首を動かして辺りを見回した。
誰もこちらなど見ていなかった。気のせいか、と思って対抗線路を走る電車を眺めた。
その瞬間ぎくりとした。カタンカタン、と行き交っていく電車の中で誰かがこっちを指さしていたように思ったのだ。一瞬のことだったから気のせいだったかもしれない、と思ったが窓を見ていると矢張り指を差されていると何故か感じる。
その内気が付いた、背後で誰かが窓越しに指を差しているのだ。
動悸が酷くなって慌てて視線を彷徨わせた。後ろを見る気にも窓を再度見つめ直すことも出来なくなって直ぐに壁面の広告へと目をやる。
何で自分に向けて指を差していた?何で、誰が、何のために。
自宅付近の駅について後ろを振り向くことはせずに大回りして「すみません、ごめんなさい、降ります」と人垣をわざわざ越えてはた迷惑なことをしながら降りてちょっと小走りで駅改札を通り抜ける。もう、ここまで来ればいいだろ、とコンビニへ向かおうとした。
煙草を吸っていると思った会社員がスマホを見ながらに自分に向けて指を差していたのが視界の端に映った。
葉平は踵を返して自宅へと走る。
やばい、すごい良くない気がする。也鳴の元へ向かえば良かった。
そして自宅へとついて鍵をかけて、はぁ、と息を吐いた。走ったせいもあるし嫌なことが起こり続けているため動悸が激しい。ちょっと汗もかいたしとネクタイを緩めて鞄を置く。そんな中、猫たちがにゃんにゃんと鳴いて出迎えてくれてほっとする。屈みこんで猫の頭を撫でて安堵の息を吐いた。
「ああ、よしよし、餌用意するからな、ちょっと待ってな」
その瞬間「ぴん、ぽーん」とチャイムが鳴った。
誰だろうか、清人か姉でも来ただろうかと立ち上がって覗き穴から外を覗いた。
誰も外には立っていなかった。
いや、夕暮れの逆光になっているが覗き穴の視界から外側のぎりぎりの見える辺りに誰かが立っているような気がした。良く見えなくて必死に目をぎょろつかせる。
するとその影がすっと手を挙げて、「あ、人かな」と思った瞬間こちらを指差した。
葉平は弾かれたようにドアから身体を離した。
猫二匹を小脇に抱えて即座に家の中に走り込む。転がりこむようにリビングでへたり込むと葉平はスマホを取り出して清人に連絡をする。
『也鳴、呼んでくれる?今度なんでも奢るゆうて』
直ぐに既読がついて肩を竦めた猫のスタンプの後に、清人から『だから言っただろ。ちゃんと呼んでおく。タクシー代も出せよ』と来て『はい……』と返信した後がっくりと肩を落とした。
その後也鳴が来てまた説教を喰らった後にお祓いをしてもらい一旦はまた平和な日常が戻ることとなる。
終
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