後編.最期の始まりの話


木田に言われた通りの住宅街に来て、タクシーから降りるとお金を払う際に「もう待ってなくて大丈夫かい、この辺りはあんまりタクシーいないよ」と柔和な表情の運転手に尋ねられて優しい人だなと葉平は思いつつ「大丈夫っす、ありがとう」と答えて扉が閉まった後のタクシーを見送る。

さて、と辺りを見回した。

普通の閑静な住宅街である。辺鄙、というほどでもなく人の往来もそれなりにある。幼稚園か保育園か――葉平に見分けがつくわけもないのだが小さな子供たちが母親などに連れられてすれ違ったりなどする。

――もしかして俺たち浮いてないか。

自然とそのことが脳裏に葉平は浮かんで少し焦った。住宅街に見知らぬ成人男性二人がうろついていれば良く思う人がいまいと考えて葉平は清人に「はよ行こ」と急かすように歩き出した。



思ったよりも呆気なくそれらしき道を発見することが出来た。誘われたよう、と考えるのは自分に詩的な部分があるからなのか、と葉平はぼんやり現実逃避をした。実際のところは小学生たちが「呪いの道みちゃった!えんがちょ!」ときゃあきゃあ指差して言い合ってるのを見てこの道であると解ったのだが。

さて道はというと、なんの変哲もない道である。普通の路地というか、家と家の間にある通路と言った態で多分この辺の人でこの辺りの家に用がある人しか使わないであろう狭い道であった。

そんな呪いの道と言われるほどに恐ろしく暗いとか変な感じがするとかもない。まあ薄暗いと言えば薄暗いが、それも家同士の間にある道だから日が差し切らないからであろうという気はする。

人と行き交うのがぎりぎりの幅で、葉平ほど大きな身体をしていると立ち止まって壁に沿って立たないと横行の邪魔になるかもしれないなどと考え始めていた。

そんなことはどうでもいいのかさっさと清人は先に進んでいってしまう。慌てて葉平も後を追う。着流し姿の清人の髪が緩く流れる風に靡くのを後ろから見ながらに声を掛けた。

「なぁ清人、大丈夫かな俺たちこの道通って……」

その言葉を聞いてあからさまに清人がため息を吐いたが歩みを止めない。

「……しょうもないことでまた悩んでいるのであろ?小学生や中学生女児が通って『変なおじさんがいるー』なんて叫ばれたらどうしよ、とか」

「なんでわかるん……いやほんとそれよ、どうすんのそうなったら」

ちら、と清人が此方を振り返り見た。直ぐに前方の道、昼過ぎ夕暮れ前とはいっても仄暗い場所へと視線を戻してゆらりと歩いて行ってしまう。呆れられたな、と葉平は思った。

「――……警察呼ばれたとて何もしていないし勿論何もしない。何もやましいこともない、そう順を追ってきちんと説明すれば良い。何も恐れることはない。城嶋のおっさんにでもなすりつけてやればいいだろ」

清人が話しているというのに清人が通り過ぎた道と道の間の少しのくぼみの中に、何か赤い物がちらりと見えた気がして、葉平は立ち止まった。草葉の陰に何か隠れている。

人がいないかきょろきょろと見渡して前を行く清人以外人の影がないことを確認すると、直ぐにしゃがみ込んで草根を搔き分ける。人が通れば自分の図体だと邪魔になるから、などと考えていたがそこに落ちていた物を見てそんな考えが何処かに吹っ飛んでいってしまった。

箱、だった。

何だか綺麗な紙が貼ってある……嗚呼、千代紙とかいうあの和紙が貼られている箱だ、と思った。千代紙の柄はよくわからない。少し汚れて掠れてしまっているが柄のようにも見えるし文字のようにも見える。赤や金の細工が綺麗に見える。形はというと細長く、丁度ペンや鉛筆などが入っていそうな大きさだった。

丁度良いところに中を覗く蓋がついている。面白い形の筆箱だな、と手に取りしげしげと眺めていたら自分の背後に誰かがすっと立った。其の侭後ろからぬうと覗き込まれた。するりと冷えた白い手が左肩に置かれて指先が視界の端に映った。

「ああ、ごめんごめん、何か多分筆箱落ちててさ。なんやろなぁ、おもろい形しとるわ」

俺らの時はこんなおもろい筆箱とかなかったんやけどな、と言いつつ笑って手の中の箱を見せようと左側を見た。

遠い、5メートルほど離れたところで清人が「なんだ、葉平。呼んだか?」と少し声を張っている。こちらを振り返る清人は訝し気にしているのが遠めに解る。

葉平は途端に動けなくなった。

――後ろにいるのは、誰だ。

ぞわりと背筋が泡立った。妙に荒い息、掠れた呼吸をして背後で何かがぶつぶつと云っている。耳を傾けてはいけないと本能で悟るが耳を塞ぐ動作すらしたくない。

……ギは…マ…だ……――

何かを呟いた後、それは嗤ったような気がした。急に自分の呼吸音が鮮明になって弾かれたように後ろを振り返る。

そこには何も、……誰も居なかった。

「葉平、どうした。……葉平?」

近づいてくる清人の声に、季節にそぐわないほどの汗をかきながらどうしてだか直ぐに箱を見せる気にならず咄嗟にジャケットのポケットに仕舞い込んだ。

「よく……わからないわ。帰ろうぜ清人。」

その言葉だけで察してくれたのか、清人が一瞬眉を顰めた後直ぐに元来た道を戻って行く。葉平の隣を通り過ぎて行く際に声を掛けていく。ぽんと肩を叩く清人の手は暖かった。

「……後で聞かせろ。」

「うん……」

葉平はなんだか拾った筆箱が気になって仕方なかった。

――かさり。

箱の中で枯葉が擦れるような音がした。


その日葉平は家に帰ると、よく解らないがふと気が向いてトイレに行って吐いた。

げえげえと全ての胃の中の物を全て吐いてしまって、胃液も出なくなった頃に漸く気が済んだ。

その日は家の玄関の扉を猫だろうか、カリカリと爪で引っ掻く音が酷く耳障りで寝れなかった。



***



「佐古、さん?少し痩せたか……?」

目の前で城嶋が酷く不安そうに自分を見ている。今の自分は良くない病気にでもかかってしまったのかというぐらいに不健康に見えるだろうと葉平は考える。何せ昨日一昨日とよく眠れていない。その上食欲もなく何も食べていない。

現在清人と一緒に城嶋に前の喫茶店で待ち合わせをして”呪いの道”について報告に来ていた。清人はちらりちらり、と何度もこちらを伺い見てくる。

結局あの後具合が悪いと言ってさっさと家に帰ってしまい清人に何も話さないままだった。どうせ城嶋に報告するんであればその時でいいだろうと言う、何となく投げやりな気持ちもあった。

その時点で何か可笑しいことに気が付くべきだったのに、気が付けない葉平は少し可笑しくなっているのだろう。

「ああ、何だか……良くない、ことになっているんじゃないか?なあ八弦……」

城嶋は既に二人、というよりも佐古を巻き込んだことを後悔しはじめていた。八弦はこういう事に慣れている空気があったが、佐古という男はそうではないと見ていた。

おそらく彼は別に霊能者でもなんでもない。幽霊を視ているかも疑わしいとまでは思わないが、視ても所謂霊能者の輩のようにどっしり構えるということは出来る人間じゃないのではないかと考えていた。

――恐らく、何か佐古葉平に起きている。

重苦しく清人が口を開く。

「……それがこやつ、何も話さんのだ。様子が可笑しいが今日は来た。今まで何度となく家に行ったのに会わなかったのが何故か今日はな、ここまで来たんだこいつは」

城嶋がそれを聞いて何とも言えない表情になる。人を避けていたのに自分に会いにここまでこの状態で一人できたのか?

大人だから当たり前だろうと思われるかもしれないが、現状の佐古という男の様相は酷い有様だった。数日前会った時の好青年全とした様子は完全になりを潜めて、年齢よりももっと老けて見えるほどに不精髭を蓄え、頬はこけて髪もセットを忘れたのかぼさりと何だか艶がない。数日前は仕事が出来る男という感想だったが今の様子を最初に見たなら住所不定身元不明の怪しい人物と言えるほどだった。

葉平は「いやぁ、あの道はよくねえかも。」とだけ言って黙った。

それを引き受けたように清人は首を傾げて言葉を続ける。

「そんなに……変だったか?小生は何も視なかったが。」

「清人はそもそも視ないだろて……。俺はなんか視た。」

葉平がうんざりしたように続けるとその態度にも清人は違和感を感じて黙って葉平を見る。葉平は本来清人に対して甘いところがある。だからというわけではないが、清人に対してこういった鬱陶しいとでもいうような態度を取るのは可笑しいと感じた。

「それは……やばい、感じか?理由つけて通行止めにでもした方がいいか?」

城嶋が葉平の言葉を受けて慌てて口を挟んだ。少しがたりと椅子を鳴らしたので周りの客が一瞬なんだと視線を寄越した気がして城嶋は直ぐに声を潜めた。

「大丈夫なのか……」

その大丈夫か、という問いには佐古が大丈夫なのかという問いとその道に行くとこんな風になるのかという意味である。しかし直ぐにその言葉に対して清人が静かに場を制した。

「いや……そうじゃないな。こいつに問題がある。葉平、お前あそこで何をしたんだ。視たんじゃないだろう、お前は何かしたんだ」

断定的にした、と決めつける清人に何かしたってなんだ、と朧に葉平は考える。頭に霞みがかかったように思考が纏まらない。あの女と左肩が重い以外に意識が向かない。

ふと、葉平は箱が気になった。

箱は今日も持ってきている。あの日拾ってから欠かさず持って離さなかった。猫は酷く嫌がりクローゼットの中に隠れて出てこなかったが気にせずずっと持ち歩いた。

ポケットに手をそれとなく入れて触ると、また中で何かがかさり、と音を立てた。

「……帰ろう、清人」

「……城嶋さん、すまない、後日にまた日を改めるが小生から言えるのは”あの道に問題はもうない”。」

城嶋はふらふらと去っていく頬がこけた様子のおかしい佐古葉平と、その後を追いかけていく八弦清人の後ろ姿を視ながら巻き込むんじゃなかった、とまた後悔した。



***



清人の家に着いて、葉平はやっと一息吐いた。

「……葉平、何をした……?」

清人からお茶を出されながらそう問いかけられ葉平はやっと、宝物を見せるようにジャケットの中から箱を取り出した。

「あそこでな、箱、拾ってん。筆箱なんかなぁ……えらい綺麗でさ」

清人はその箱を見るなり顔を顰めて「逃げられないんだな、この匣からは」と言った。

清人が葉平の手の中にあるその箱を触るなり、葉平はほうと息を吐いた。身体が軽くなる感覚がある。途端に箱への興味が一切無くなってしまった。

「あれ、なんやろ。気分良くなったわ。」

「……お前一応後で也鳴のところに行って来い。」

なんで、と思ったが確かにここ数日の自分は様子が可笑しかった。「しゃーなしやで、行っといたるわ」と言って葉平は立ち上がる。数日感じてなかった空腹すらも感じていて、行きがけに何か食って行こうと思った。

清人は箱を見たままじっと黙って瞑想に入ってしまった。こうなるともうてこでも動かないので諦めてほっとくことにする。

「じゃあ行ってくるな」と声を掛けてさっさと長い道中を普通の気持ちで也鳴の元へと向かった。也鳴の元に行った際に也鳴から「何をすればそんなモノを連れて歩けるんだ?!良く生きてたな?!障るとは言ったがここまでになることあるか?!」と矢鱈に叱られたし、木田には後から也鳴から話を聞いたと言って「迂闊に教えるんじゃなかったっす、ほんとすんませんした……」としょんぼりと謝られたりなどした。


それからしばらくして清人と旅行に行くことになるが、同時期ぐらいから葉平は怪異に付き纏われやすくなった。

またそれは別な話だが。





最期の始まりの話――終。

次の話へ続。

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