human behavior




「颯太くん、下手したら除籍されてしまうから気をつけないと」


 産学リエゾン共同研究センター2階へ設けられた人工知能科学センターに白石颯太の姿はあった。

 講堂を追い出された颯太は警備チェンバーズに学生センターへ案内され——ほとんど連行といってよかったが——そこで履修科目の調整の相談を行い、ようやく解放されここにやってきたのだ。颯太が講堂を後にする際、乃木教授は「あとでね」と小さく囁いていたし、彼にはそうする理由もあった。


 人工知能科学センターのとある小さな一室の自動扉がシューッと音無き音とともに開くと乃木教授は颯爽とやってきたのだ。


「先生、先ほどは失礼しました」

「いいのよ。それよりもどう? 無人なきとの本体の位置情報は逆引きできたかしら?」

 小さなその部屋には無数のコンピュターに、人の背よりも大きな黒い筐体———おそらく様々な目的のサーバーだ———が所狭しと並べられている。

 颯太は部屋の中央へ設置されたコンソールの前、ちょうどホロディスプレイの前でヘッドセットを装着し仕切りに両手を動かし何かを調べている様子だ。


「先生、これを見てください」


 そう云うと颯太は左腕を横に伸ばすと、サッと目の前に動かしホロディスプレイの前へサブウィンドウを表示させた。

無人なきとさんの居所はまだ時間がかかりそうなのですが、さっきの逆流現象のデータ解析ができました。これって、先生が云っていたメリッサが予言した<破砕点>が現れたってことですかね?」


 乃木教授は颯太が表示したサブウィンドウの前に立つと、コンソールに置かれたハンドセットを両手に装着する。そして、サブウィンドウの操作を受け取り、それを更にいくつかのウィンドウに分解した。次には、軽く右手を握った乃木教授の前に青い粒子が沸き立つと、スーっと青い細い線で形作られたキーボードが現れる。

 目にも留まらない指さばきで幾つかの実行プログラムを走らせた乃木教授は分解されたウィンドウを集めたり、更に細分化したり、はたまたはそれを掻き分けるような仕草をすると新たなウィンドウにデータを移した。


「颯太くん、これを見て」


 乃木教授は手元にある小さなウィドウを颯太に滑らせ渡すと、そこには、どこかの都市と思われ鳥瞰図が表示され、幾つもの縦横の線が引かれている。颯太はそれを受け取り画面に表示されたスクロールバーを左右に動かすと、その鳥瞰図は都市の北側が綺麗に丸く黒くなったり元に戻ったりを繰り返した。ウィンドウの傍に表示されたいつかの英字や数値が、その動きに合わせ刻々と変化するのだが、颯太はそれに目を細め「うわ——これじゃまるで」と小さく呟いた。


 すっぽりと目まで覆い隠していたヘッドセットを脱いだ颯太はメインのホロディスプレイに目をやると、そこに表示された英字を眺め「あらら——これ、冗談とか憶測じゃすまないかも知れませんね」と続けた。


「Unmeasurable Antimatter」そこには、そう表示されていた。


「そうね」と乃木教授は云うと、ハンドセットを外し部屋の東側壁面に張り巡らされた一枚硝子の前にゆっくりと歩いていく。その足取りはどうにも重そうな印象で、まるで硝子の向こうにあるものへ嫌悪を抱いているのだろうと伺わせた。がしかし、それでも目を背けてはいけないその何かを乃木教授は定期的に眺めに来ているのだ。


 硝子の向こう側。


 それは教授と颯太が居る一室よりも遥かに広い、真っ白な空間だった。そこにはな青い球体がいくつか揺蕩っている。その中でも比較的に大きく、位置が近しい隣り合った二つは時折、緑色も発色し青と緑をゆっくりと明滅させるのだ。


 右手を硝子にそっと添え中を覗き込む乃木教授は「そうね」ともう一度、溜息混じりに小さく呟いた。

「しかし、よくこのマッピングをこちらが観測しているのを許していますよね? こんなの直ぐに遮断されてもいいものですが」

 颯太も硝子の中を覗き込むと、乃木教授にそう訊ねながら揺蕩う球体をゆっくりと目で追った。


「警告よ」

「え? なんのですか?」

「私達には止められないって警告」

「だから見ていようが、見ていまいが、向こうには関係ないってことですか?」

「そうね。本当歪んでいるわよあの子」


 仄かな青い光が乃木教授の横顔を薄っすらと照らした。

 綺麗な黒髪も白衣も、全身をそれに包まれたその姿は、南国の海もしくは、水族館の水槽越しにでも眺めているようだなと颯太は思いながら暫く目を奪わた。

 流れた空白の時間は部屋中のあちこちで小さく稼働音を立てる機器の「ピ」やら「プ」やら「ポン」といった電子音で満たされた。そして「ポン」と軽やかな音を立てた中央のコンソールに新しいウィンドウが立ち上がった。


「あ! あああ先生、エンコードが終わったみたいです」


 乃木教授に目を奪われていた颯太は、その電子音に過剰な反応をみせ慌てふためくと、それを見た教授は「颯太くん、本当に無言が苦手よね」とクスっと笑って見せた。

 二人は揃って中央コンソールに足を運ぶと、ウィンドウに表示された内容へ目をやり、やはり揃ってヘッドセットを装着するとハンドセットに手を通した。


 そうして二人は手分けしながら、その内容を確認していく。

 数枚の衛星画像を掘り下げ日本のどこかの都市にまで拡大。はたまた何かのバイオグラフィーや数式を眺めたりと忙しなく二人は何枚ものウィンドウを開いたり渡しあったりを暫く繰り返す。


「先生、ところで一つ疑問なのですが先生がこちらに来る前も無人なきとさんって、こんなことを考えていたのですか?」

「こんなことって?」

「ええ、なんというかゲームの中の——おっと、特定できたのかな……。えっと——東京都大田区……これは蒲田ですかね」


 颯太は無言の時間を潰すよう何気なしに訊ねたことは上の空に、目的の情報に辿り着くとそう嬉しそうにそう云った。


「でも———ここから更に絞り込まないといけないわね。全くあの馬鹿、どこに引き篭もっているのかしら」


 二人はサブウィンドウに映された地図へ幾つもプロットされたマーキングを眺め溜息をついた。


 すると、別のコンソールから「ピピピピピ」と何かを知らせる電子音が聞こえると「そろそろ目を覚ます頃ですね」と颯太がヘッドセットを脱ぎながらそう云うと「そうね。申し訳ないのだけれど先に行ってもらえる? 私、もう少し調べてから追いかけるわ」

「わかりました、それでは後ほど」


 颯太はそう云うと椅子に無造作にかけられたバックパックを手に取り、颯爽と自動扉の向こうに姿を消した。

 乃木教授はヘッドセットを額にひっかけその様子を見送ると「確かにゲームの中よね。でも———」と、先ほど颯太が口にしかけた言葉を思い出していた。


(でも——確かにあれは無人なきとが望んだものだったけれども、多分、それはなんでも良かったのよ。普通に生きるということが噛み締められれば、それでね。でも結局、今度は自分で自分の首を締めちゃって——どうしようもない男よね)


 乃木教授はそんなことを思うとヘッドセットで再び目を覆う。

 そして宙に浮いた青い線のキーボードを手元に手繰り寄せ、黙々と何かのプログラムと格闘を始めた。


 外はきっと酷く暑いのでしょうね。

 颯太くん、水分を摂るのを直ぐに忘れるから熱中症にならなければ良いのだけれど。



 

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