パルプ・フィクション②




 レジーヌ・ギルマンは魔術師だ。


 魔術師の故郷。聖地であるブレイナット公国公王都エイムズベリーから旅を始めたレジーヌは<大崩壊>の頃には国境付近のコリゴールまで足を伸ばしていた。<世界の卵>が顕現し世界を騒がせる頃には国境を超えハップノットに入りを果たし、そこで足止めを喰らったのだ。


 そんな彼女の旅の目的は、エイムズベリー国立マグナス魔術学院からの依頼で、とある聖遺物を探し出すというものであった。マグナス魔術学院といえば<リタージ学派>の総本山と知られ、都市生活の礎となる魔術器具を多く輩出する魔術学院だ。


 だから今回の依頼にレジーヌは、そこはかとなく違和感を感じた。

 その違和感とはマグナス魔術学院が聖遺物を探しているという点だ。魔術師が、魔導に深く関わる聖遺物を扱うことは皆無であると断言できる。それだからこその違和感と云ってよい。だからレジーヌは依頼を請ける際に確認をしたのだ「その聖遺物って魔力の業カニングクラフトに関わるものだったりする?」と。


 しかし、難しい顔をした学長シモン・マグナス六世は「狩人は黙って任務を引き受ければ良い。嫌なら他をあたるまでだ」と冷たく機嫌を悪くしたのだ。おそらく詮索をするなということに合わせ、レジーヌの無礼な態度に腹を立てていたのだとは思う。尤も、そうであっても「黙って云うことをきけ」というのは、いささか穏やかではない。


 それでも依頼された聖遺物に興味を持ったレジーヌは、報奨金にも惹かれ依頼を請け負うこととしたのだ。


 <大崩壊>の騒ぎが一先ず終息を迎えつつある頃。ようやく街道も落ち着き始め、丁度良いところにハップノットからクレイトンへ戻るという傭兵団と出会う。彼らに幾許かの報酬を支払い、おかげで、遅延した行程を取り戻すことができた。そうして<大木様の館>と呼ばれる傭兵団とともにレージヌはクレイトンへ到着したのだった。


 ——その翌日、クレイトン市街 臨時市場。


「これは凄い!」


 随分と多様な色彩を織りなす臨時市場の一つへレジーヌは足を運んだ。青に赤に緑に、はたまたは玉虫色の天蓋も見られる市場でレジーヌは感嘆の声を挙げながら店を回っている。起き抜けで宿を出たレジーヌは市場の片隅に出された屋台で、まずは朝食をとドゥルムと呼ばれる軽食でそれを済ませた。

 細かく刻まれた野菜と炒めた牛肉と鶏肉がパン生地に包まれたそれは、酸味のあるソースで味付けがされている。朝には少々重たいかと思いもしたのだけれども、ドゥルムはこの辺での名物であるから食べない訳にはいかないのだ。昼にはミートパイで有名な「シェブロンズダイナー」へ行くのにだ。

 そこでは隠れた名物。果物をふんだんに使ったパイを食べることにしていたので、今朝のドゥルムは、なんとなく自分の中での食事メニューに帳尻を合わせた気分ではあった。

 「朝にお肉。昼に果物。だから夜は野菜をたくさん食べれば——これで今日の食事は完璧ね」と、今は串焼きから最後の鶏肉を頬張った。そうこうするうちに、先を歩いてた魔導師の後ろに続いて「シェブロンズダイナー」の鎧戸をくぐったのであった。







 ——昼 シェブロンズダイナー キュルビスとハーゼ。


「それでだ、皆々様。まずは有り金を全部テーブルの上に置いてもらおうか」

 

 キュルビスはそう云うと長椅子に立ち上がり、店内を隈なく見渡した。

 先ほどまで騒ついていた店内は水を打ったように静まっている。客の大半はかぶりを垂れテーブルの木目の数を数えている。この二人を目にし、あらぬ考えを起こしてしまうと——それは死を意味しているからだ。

 ハーゼは席の脇へ置かれた随分と大きな革鞄を鷲掴みにすると通路にひらりと躍り出てた。吟味するよう客を見渡し、そして、ゆっくりと歩き出すと通路へ寝転がった剣士を足蹴に「邪魔な男ね」と唾を吐きかける。


「いい、皆々様。もう一度云っておくけれども、アタシ達に少しでも害意を抱けば、この木偶でくと一緒に——寝てもらうことになるからね。くれぐれもお気をつけあそばせ」


 ハーゼは傍にいた通路側へ座った女の髪を鷲掴みにし、云うと乱暴に突き放した。


「さあ、わかったなら大人しく有り金をテーブルに置きな」

「さっさとしろ! ぶっ殺すぞ!」

 キュルビスはテーブルに置かれた短剣を手にすると、勢いよく長椅子から飛び降り、ハーゼとは逆方向に歩き始めた。舐め回すように席の様子を伺うキュルビス。蛇のような顔を紅潮させ足取り軽く通路を練り歩く。その様はまるで舞台の花道を歩く役者のようで、時折、傍の客へ「どうもお客様」とテーブルに置かれた金品を目にし礼をのべる。

 

 そしてくるっと踵を返しまた歩く。


「か、金はないんだ」

 とある席の男は蛇面を前に消え入るようにそう云った。

 するとキュルビスは何故だろう、腹をたてると「お客様。嘘は駄目ですよ。ああ、嘘は駄目だね」と男の耳元で囁き、例の短剣らしきものを男の手に突き立てたのだ。


「ここのお代を踏み倒すつもりか!」と狂った声を挙げたのだ。

「キャぁッ!」

 男の前に座った女がそれに悲鳴をあげようとした。キュルビスは人差し指を女の唇にあてがい、それを制する。

「おっと。お前達フロン人が悲鳴をあげる資格は、ねぇんだよ。いいか、お前達が今できることは、俺たちに殺されるか金を出すか。二つに一つだ」


 キュルビスは突き立てた短剣を捻った——男の苦痛に歪む声が漏れ出す。


「いいかいご婦人。今、こいつは金がねぇと云った。そうだな」

 口を塞がれた女は恐怖に目を白黒させ、かぶりを縦にふった。

「それじゃあ仕方がない。こいついは死んでもらうしかない。でもだ。お前はどうだ? お前がこいつの分の対価を出せるってなら話は別だ云っている意味がわかるか?」


 女はかぶりを横に振った。


「そうか——馬鹿な女は嫌いだぜ。なあ、ハーゼ」

 キュルビスは苦痛に唸りをあげる男の手から素早く短剣を抜き去り、そして——女の首を掻き斬った。

 鮮血が迸り男の顔を濡らす。男は声にならない声で絶叫し立ち上がるとキュルビスへ殺意を剥き出しにしたのだ。それは死を意味していたはずだ。それに気が付く男であったが遅かった。男は力無く突っ伏したのだ。

 喉笛を掻き斬られた女の痙攣は止まらずであったが、甲斐甲斐しくも突っ伏した男の頭に手を伸ばし——そのまま動かなくなった。


「阿呆な紐男ひもおとこも同じくらいに嫌いなんだ、悪いな」

 光景を眼下に、蛇面のキュルビスは相変わらず顔を紅潮させた。その男女の姿に虫唾が走ったのか、どうも様子がおかしい。手元を見れば例の短剣は薄らと赤く輝き不規則に脈を打っている。顎の下から赤い輝きがキュルビスを煽ると、まるで赤い水面が蛇面の上で揺らいでいるように見えたのだ。


 




(げ! あの下衆女こっちにきた)


 レジーヌはハーゼが握りしめた硝子玉に警戒をすると咄嗟に術式をテーブルの裏へ展開をしたのだ。

 それは水中で息をするための単純なものであった。だから術式の規模も小さくあの二人には気がつかなかった。おかげでレジーヌは霧を吸い込んでいなかった。


(それにしても——あの男の短剣、あれ短剣じゃないでしょ。気味が悪いくらいだけれども、あれってやっぱりシモンの爺さんが云っていた「くさび」だよね。あいつら、使い方わかってるのかしら?)


 レジーヌは幾許いくばくかのブレイナット銅貨をテーブルへ置くと静かにうつむいた。

 腰をくねくねと捻りながら歩るくハーゼへ隙をみては目をやった。二人の強盗の素性を探らなければならない。するとどうだろう。レジーヌの直線上、八席向こうのテーブルへ座った魔導師と目を合わせたような気がした。

 その男は店内だというのに目深にフードを被り微動だにしないのだが、フードの奥から覗く眼光は鋭かったように感じた。


(な、ヤッバ。あれ魔導師だよね。なんか変なのと目があっちゃった?)








「ちょっとでも動いてみな! 最後の1人までぶっ殺してやるわよ!」


 先ほどアッシュを罵倒した女が突然叫び、妙な硝子玉を手し振りかざした時だった。

 アッシュの直線上、八席向こうの純白ローブの女性が胸元を青く輝かせた気がしたのだ——あれはきっと魔術の輝きだ。ハーゼが床に叩き付けた玉から勢いよく漏れ出た青や緑の霧のおかげで、きっと強盗二人はそれに気が付いていない。


(あれは魔術の光? あんなに早く展開できるものなんだ)


 アッシュは場違いな感心を胸に、ちらりと直線上の視線を確かめる。

 どこか見覚えのあるその顔に心当たりはあるのだが、彼女はいまアドルフと共に王都にいるはずだ。(それに——あんな不用心なことはしないだろうな。アオイドスさんなら)

 アッシュは懐から金の入った小袋を取り出しテーブルへ置いた。

 キュルビスが「どうもお客様」と一礼し、アッシュの横を通り過ぎる。


 ハーゼは云っていた。

 少しでも殺意や害意を持てば即死すると。

 でもそれは何故だろうか。本当に人の心を見透かしこの怪しい霧は人の心臓を握り潰すのだろうか?

 わからない。それに——あの短剣だ。後生大事に握るあれは赤く脈打ちキュルビスの顔を紅潮させているようにも見える。


「馬鹿な女は嫌いだな——なあ、ハーゼ」

 キュルビスの叫びが響くと向こうのテーブルの女が首から鮮血を吹き出し突っ伏した。

 それに続き激情した連れの男がテーブルに突っ伏した。周囲は血の海に塗れ、それを見ていた数人の客が堪らず嘔吐する。そうするとあの短剣は、それまでよりも赤く脈打つのだが、鼓動は不規則さを増した気がする。

 

 アッシュはフードをさらに目深に被り、遠ざかるハーゼを一瞥すると、どうだろう先ほどの黒髪の女と目があった。


(なんだろう。何か伝えたそう? いや考えすぎか……)






(な、何あの人、両手出して何する気? 私、何か求められてる? ——でもあの魔導師——狩人じゃないもんね。囁きも送れないようだし)


 レジーヌはそう思うと隙を見計らい、小さな術式を展開した。それは魔力を探知する術だ。テーブルの下で、人差し指で素早くそれを描き聞こえるか聞こえないくらいの声でそれの展開を終えた。すると仄かにレジーヌの黒い瞳が青く輝き、それは直さまスッと消えた。


(あの男が持っている短剣、ビンゴね)キュルビスが手にする真紅の短剣が強い青い光を放っているようにレジーヌの目には映った。

 しかし——レジーヌは次に絶句をした。(ちょ! あの魔導師——なんてもの持ってるのよ。あれアーティファクトじゃないの?)

 レジーヌは魔導師の横を通り過ぎるキュルビスの手元に目をやった後、視界の端から強く飛び込んでくる青や緑の光を感じ、驚いた。あの魔導師はローブの下に何かしらかのアーティファクトを忍ばせている。







(ん?)

 テーブルを見つめたアッシュは先ほどの黒髪の女から魔力の波を感じ、かぶりを軽くあげた。彼女の顔を確かめると——両目が薄らと青く輝き、そしてその輝きはスッと消えていった。

(ちょっと待って——なんでこんな時にまた術式を!?)

 アッシュは思わず、かぶりを勢いよくあげ黒髪の女に目をやった。


(何をするつもりですか!?)







「ちょっと待て、そこの黒髪! そうだお前だ!」


 キュルビスが突然叫んだ。そして足早に——レジーヌの席に駆け寄ると、傍に立ったハーゼの肩へ手を回し彼女を見下ろした。


「おい、白いの。今、何をした」

「い、いえ何も」——しまった。キュルビスの短剣もどきが魔力に反応したのかも知れない。レジーヌはうつむき、小さくそう答えた。フと先ほどの魔導師の方へ少しだけ顔を上げてみると、こちらをじっと見つめている。


(ちょっと何こっち見てるのよ。あなたも巻き込まれるわよ)

 レジーヌは小さくだが魔導師に伝われば良いと、かぶりを横に振った。大人しくしていろ。と、そう伝えたかったのだ。


「嘘はよくないな」

「いいか白いの。もう一度訊くぞ?」

「ええ、はい」

 キュルビスはハーゼを押し退け、レジーヌに赤らんだ蛇面を近づけた。


「今、何をした。銀髪の女が云っていたぜ。この短剣は狩人どもが放った魔力に強く反応するってな。それでだ。俺たちもその狩人様ってのを探しているんだ。まあ、誰でもいいんだ。ここの店主も狩人だって聞いていたしな。それでだ。丁度良く、都合良く、運良くだ。お前が反応したって訳だ。ただな、一瞬だったわけだ。これが強く反応したのが。で、どうなんだ? 何をしたんだ? お前は狩人なのか?」


 恐ろしいほどにキュルビスの目は見開かれ、ひん剥かれ、瞳はまさに蛇の瞳だった。


(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。どうしよう。この男ぶっ飛んじゃってるよ)


 レジーヌは黙ってテーブルに視線を落としたままだったが、先ほどの魔導師がどうにも気になり、再び一瞥すると、まだこちらを見ている。魔導師ならばこの合図がわかるかも知れない。レジーヌは、大袈裟に目を何度も規則的に瞬かせた。(術は使うな)その合図だ。


「そうか、黙りか。なら良いぜ。狩人ならなんでも良いんだ。そりゃ死んでいても大丈夫ってことだ。でもな——」

 キュルビスは真紅の短剣をレジーヌに突き出し軽く切っ先を首元にあてると「ただ首を掻き切っただけじゃ、つまらねぇからな」と上擦った声で云った。


 ゆっくりと切っ先を下げるとローブの首元が紙のように斬り裂かれた。切っ先は胸元まで届き、ローブが力なくはだけるとレジーヌの素肌を露にした。


「どうだ? 少しでも——わかってるよな? 抵抗すれば、即あの世行きだ」

 

 蛇面がそう下衆な声を挙げ、レジーヌの首元に顔を寄せていく。

「ちょっとキュルビス、大概にしときなよ」とハーゼが呆れた声を挙げ、変わらず腰を艶かしく振りながら通路を巡り金品を回収して回る。


「ああ、わかってるわかってる」蛇面がやはり下衆な声でそう答えた。


 その時だった。

 キュルビスの背後でパン! と何かを叩く音が響いた。



 

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