ルエガー大農園②



 

 僕はこれまでの人生の中で、女性が男性へ馬乗りになるなんて光景は見たことがなかった。いや、見たことはあるのだけれども。そう、見たことはあるのだけれど。第三者的に実際のところを見る事がなかったと云えばいいのか。


 情熱的——とでも云えば良いのだろうか。

 いやどうだろう。


 目の前で繰り広げられるのは、痴話喧嘩の成れの果て、ないしは、互いの性癖が合致し織りなす何か。それは若輩者の僕にとっては、とても、いや、結構、いや、物凄く刺激的だった。


 何れにせよだ。


 大広間でトルステンさんと話をしていた僕は、突然響いた喧騒に驚き、アッシュ・グラント——らしき男を寝かせていた部屋に飛び込むと、この光景を目の当たりにした。

 先生だったら、こんな状況も簡単にあしらうのだろうが、先ほども云った通りで僕の人生経験の浅さ、薄さではこれをどう捌いて良いかわからない。


 だから、ついつい——


「エステルさん! 合意の上でのことでしたら、何も云いませんが、そうでないなら——そうでないなら、えっと、えっと」


 ——だからつい言葉に詰まってしまった。





 左手で男の口を塞ぎ、右手で黒く煤けた火掻き棒を首に突き立て、あまつさえ男に馬乗りとなる、この様子。どんな理由があろうとも誤解されないわけがない。エステルは懸命に言い訳をしてみせるのだが、後悔や文句、果てには羞恥心といったものが心の底からとめどなく沸き上がっては行き場所を失い、遂にそれらは肩を寄せ合うと、として口を突こうとする。

 さて、それが口を突いて出てしまえば、何か自分が悪いことをしているように思えてしまうので、何か弁明をしなければいけないのだが——


「あーその。何か誤解をされているようですが、これは違うのです!」

「あ、いや、いいんです。いや、良くないのですが、棒で叩きながらというのはちょっと……あ、いや、その、合意の上でなら——」

「な! ちょ、ちょっと待ってくださいね——確かあなたは……」


 目の前で黒鋼の短剣を構えた、もはや言動がちぐはぐなアドルフを刺激しないようエステルは身体を動かした。まさかとは思ったのだが、それが逆効果。緩慢とした動きが下着姿当然のエステルの四肢を艶かしく見せたようだった。アドルフは「あああああああああああ……」と、消え入るような声から始まり次第に大きく「あ」を連続させ、顔を紅潮させると最後には、様子のおかしいアッシュであろう男を見て「エ、エステルさん、アッシュさんが苦しがってますよ!」と叱咤する。


「んーんーんー!」と、アッシュであろう男が苦しそうに声を漏らした。


 アドルフもエステルも、互いに異なる理由で赤面した顔を、一斉にその苦しみ踠く男に向け、そして、また互いに顔を合わせて頷き合う。


 エステルは「すぐに退きますので、その短剣を降ろして頂けますか? それと、アッシュが——持っている狩猟短剣を預かって頂けますか?」と条件を出した。

 アドルフはそれに何度も素早く、かぶりを振って答えた。





 <大崩壊>を生き延びた数少ない生存者であり、その中心で全てを経験した二人。エステルは泣き叫ぶ中、アオイドスの顔を見るや否や安堵したのか気を失い、英雄アッシュ・グラントは一糸まとわずの姿で発見され救出された。二人は今日この日までの数日間の昏睡を経て、かくして目を覚ましたのであった。


 エステルはシーツに包まり、その男性が覚醒した際の様子をアドルフへ詳細に伝え、謂れのない誤解を解くと「着替えたいので私の服を持ってきてください」と二人を外に追い出したのだ。


「あー、エステルさん。エステルさんのお部屋は、とな——」

「わかってます! わかっていますが早く持ってきてください」

 アドルフは理不尽な返答に「な」と小さく漏らすが「仕方ないですね」と、隣で呆然としたアッシュらしき男に声をかけ大広間に向かった。その後、トルステンの妻リリーがエステルに服を届けると、身支度をすませ大広間に合流をした。



 クレイトンの南西に広がるルエガー大農園の主、トルステン・ルエガーの館は広大な農園のど真ん中に建てられたちょっとした城館のようだった。正面玄関を入るとホールのど真ん中に鎮座する大の大人が十人手を繋いでやっと囲えるほどの大黒柱がすぐに目に入り、それに驚かされる。これが故にトルステンの館は「大木様の館」と住み込みの農夫や街の人々から呼ばれるのだ。


 この大木はアークレイリ王国本土から北海を挟んで西に位置する属州ロドリアの港町アズドバーンから運ばれた珍しいもので、ロドリアで独自の発展を遂げた森羅信仰の教徒ドルイド達が御神木として長年守り続けてきたものなのだそうだ。


 当時、フォーセット王国が北に睨みを利かせるため、アークレイリには秘密裏にロドリアと和平を結ぼうとしたのだが、これを察知したアークレイリはロドリアを侵略、属州とした。その際に焼き出されてしまった各地の寺院から救い出された御神木の数々は本土に移送され、共にやってきたドルイド達の手によってひっそりと、今でもその役割を引き続き担っている。

 だから、こうやって本来の役割を終え姿を変えていることは、ごく稀であり、周囲の人々も「大木様の館」と物珍しく呼ぶのだ。





 館の東に張り出た大広間は、玄関ホールの大木様の裏の扉を開けた先にあった。朝日をふんだんに取り入れる大きな六枚の縦長のガラス窓からは、ささやかな森を眺めることができる。

 マテバガシやアオダモといった広葉樹が所狭しと生え揃っているのだが、この頃になるとアオダモは葉を落とし、いくばくか寂しい景観となってしまう。アオダモの葉は落葉すると、その下で菌を育ててしまうため毎年この季節になると、庭師がせっせと落ち葉を掻き集め焼却をしている。


「あの大柱にそんな背景があったなんて知りませんでしたよ」


 大広間の中央に並べられた質実剛健な物造りを匂わせた大テーブルに着いたアドルフは暖かい紅茶を口にしながら、向かいに座る随分と体格の良い金髪の男へそう云った。彼が大農園の主、トルステンだ。


「そうですよね、アドルフはこっち方面での任務が少ないから、そういった話を聞く機会が少ないでしょう」

「ええ、もっぱらアムルダルム方面ですからね。マニトバのケニーさんのところにお世話になることが多いです」

「確かに。ケニーは元気ですか?」

「ええ、もう引退する時期だとは聞いているのですがね。ピンピンしています」

「そうですか、それはよかった!」

「良いのか悪いのか」アドルフはそう云うと困った顔をしながら、「トルステンさん、すみませんでした」と唐突にだが静かにそう云うと、かぶりを垂れた。


「どうしたのですか、アドルフ急に。顔を上げてください」

「いえ、コービーさんを助けることができませんでした」

「そのことですか。いいのですよアドルフ。私たちは多かれ少なかれ命を賭して暗がりを這いずり回り、そして消えてゆく運命です。コービーは足を洗ったとはいえ、それでも制約が後を付いて回る立場でした。結果、アイネが助かったのです。我々にとっては上々の結果でしたよ」


「ですが」

「こうなることは覚悟していました。アドルフが気に病む必要はありません。むしろ、アイネを連れ帰ってくれたことに感謝をしています。彼女は聖霊ロア様の祝福を受けた子です。コービーとコービーの妻ネリの願いを私が引き継げます。大丈夫です。私達の絆はあなたとアオイドスの手によって護られました」

「トルステンさん」

 強くカップを握りしめるアドルフの両手をトルステンは優しく包み込み、もう一度「大丈夫」と真っ直ぐにアドルフの目を見据え、そして小さく微笑んだ。


 陰っていた空から雲が足早に遠のいたのか、再び朝日が燦々と降り注ぐと大広間へ二人の影を落とした。すると、大扉の向こうからバタバタバタと忙しない駆ける足音が響き、バタン! と勢いよく大扉が開かれた。


「嫌だよ! 寒くないからこのままでいいよ!」

 駆け込んできたのは、膝下まで丈のある白いスモックを着た少女だった。腰まである金髪はボサボサで、要は起き抜けといった様子だ。


「アイネ待ちなさい! そんな格好でいたら風邪を引くでしょ!」

 小さな逃亡者を追いかけるのは、金髪の健康的な褐色の肌の女性だった。こちらは勿論のこと服をしっかりと着ている。


「嫌だよ! リリーさん大袈裟だよ!」

「云うことを聞き——あら! ここに居たのねアドルフ!」


 アイネはトルステンの座る椅子の裏に逃げ込み、リリーは「もう!」と声を漏らしながら、どこか乱れているところが無いかと、自分の身体を見回した。


「そうそう、エステルさんには服を届けておいたわ」

 別段、自分の姿におかしなところが無いのを確かめたリリーは小さく咳払いをして、アドルフにそう云いながら、少しづつ少しづつ、そちらを見ることはなく——アイネの方へとジリジリと距離を詰める。


「ありがとうございます、リリーさん」

「いいのよ。でも、エステルさんが着ていたものって随分と昔ながらの造りをしていたけれども、そういう趣味なのかしら?」

 ジリジリとアイネとの距離を詰めるリリー。まだアイネはそれに気がついていない。トルステンと昨日教えてもらった木彫りのおもちゃの話に夢中なのだ。


「と、云いますと?」

「あの造りのローブや外套は、きっと<勃興戦争>の頃に流行していたもののはずよ。ちょっと私も専門家じゃないから確証は無いのだけれどね」

「なるほど——でも、それはそうなのかも知れませんが、きっとエステルさんの趣味って訳ではないと思います」

「そう? それなら良いのだけれど。もし、必要そうだったら云ってね。痛めないように洗濯はしてあるから」

 リリー曰く、もう着るに耐えかねる様相だったから、自分の服をエステルに渡してあるそうだ。エステルもそれを了承はしていたが、念の為アドルフに伝えてくれたのだ。

 想像の域を脱しないが恐らくエステルはガライエ砦を脱出する際に、のっぴきならない状況で吸血鬼なのか解放戦線の戦士なのかの骸から衣服を剥ぎ取り、着替えたのだろう。その中の幾つかが、きっと<勃興戦争>の頃の、つまり吸血鬼のものが混じっていたのだと推測された。


 アドルフはそれを想像し苦虫を潰したような顔をした。

 ——あまりにも凄惨な光景だなと心で呟いた。


「捕まえたー!」

「あのー」


 リリーが勢いよくアイネを捕縛する掛け声と同時に大扉にやってきたエステルの声が重なった。


「きゃああああ!」と、あらぬ悲鳴をあげ逃げ出すアイネを追いかけるリリーはエステルの前で、はたと足を止めると「思った通り! 髪の色にあっているわ。丈もピッタリ! エステルさん。少しの間私の服で我慢してね、明日か明後日には仕立て屋さんが来てくれるから」と、口早に伝えた。


「あ、ありがとうございますリリーさん、でも——」


 エステルはリリーから借り受けたシンプルな白地と臙脂色えんじいろのワンピースに身を包み、なんだかソワソワと胸の辺りを気にしながら「ちょっと胸のあたりが——」と云いかけるのだが、リリーは「待ちなさい、アイネ!」と叫びながら大広間を駆け出して行ってしまった——遠くから「きゃはははは」と逃亡者の勝鬨がこだました。


「すみません、騒がしくて——お洋服、妻のもので申し訳ないのですが数日お待ちください」


 トルステンが椅子から腰をあげてエステルを迎え入れた。

 アドルフの横の椅子をひき、座るように薦めると大テーブルに置かれたポットの熱を確かめ、何かを呟いた——冷めてしまった白湯を温めたのだ。

 手慣れた様子でカップを用意し、そのまま茶器に葉を落とすとポットから湯を注ぎ「温まりますよ」とエステルにそれを差し出した。

 椅子についたエステルは「ありがとうございます」とまだ、ぎこちなく小さく答えると、差し出された紅茶を口にした。


「美味しいです。温まります」とエステルは笑みを零した。


 その後、エステルはトルステンに洋服のことや部屋を貸し与えてくれたことに感謝を述べ、アドルフに先程の無礼について謝罪をした。アドルフは「気にしないでください」となぜか顔を赤らめながら答えると「変な勘違いして、すみません」とエステルから視線を外しながら、やっぱり恥ずかしそうにそう伝えた。


 きっと、エステルの艶かしい姿が脳裏に焼き付いているのだろう。





「あの……」

 そんなやり取りの中、エステルはきょろきょろと大広間を眺めていたのだが、何口目かの紅茶を口にしながら、先程から疑問に思っていたことを恐る恐る口にした。


「アッシュ、アッシュ・グラントはどこに?」



 

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