魔導師アッシュ・グラント②




 <大崩壊>から救出されたエステルとアッシュの身柄を軍で預かることを提案したジーウだったが、アオイドスはエステルの出自を説明し、その懸念を伝えるとルエガー大農園でかくまうことを提案。ジーウはそれを承諾した。そして、二人を大農園近隣まで送り届けたアオイドスは「アッシュの状態を調査する」という理由で、一行を離れ単独行動を取っていた。

 それから数日、ほどなくフリンフロンへ戻ったアオイドスは、王都フロンに戻ったジーウを訪ね数日を過ごした。そしてルエガー大農園へ踵を返した。





「あら、リリー・ルエガー。秋の収穫祭は、もうとっくに終わったのではないの?」

 そろそろ昼時を過ぎようとした頃、アオイドスは<大木様の館>に到着をした。

 門をくぐり正面玄関へ馬を進めたアオイドスが目にしたのは、馬車回しにわらわらと集まる農夫や給仕達、そして館の主トルステンの妻、リリーの姿だった。


 声をかけられたリリーは、顔をしかめ「何しに来たの?」と冷たくあしらった。しかし昼日中でもそうだと分かる緑の閃光が激しくほとばしるのを見ると「不本意だけれども、手を貸してもらえるかしら?」と顔を苦くした。リリーはアオイドスのことを友人だとは思っているが最近の吟遊詩人の行動に不信感をつのらせていたのだから、顔をしかめるのは無理もない。

 そうこうするうちに、館の裏側にあたる客間の方からはゴゴゴゴゴと隠しようもない異変の様子が響き渡った。いよいよ農夫達が「この世の終わりだ」だとか「悪魔がやってきた」と不安の言葉を口々にし始めた。

「大丈夫よ安心して。みんなはもう少し館から離れていて」とリリーはその場を収めながらアオイドスの傍に立った。


「あなた達の危機に手を貸すのは、やぶさかでないわ。でも、これはどうしたの? 随分と大量の魔力が流れ出ているようだけれども」

「ええ、今エステルが見に行ってくれているのだけれど、恐らくアッシュが——」

「そう。ねえリリー」

「何よ?」

「これを収拾したら、何をしてくれる?」

「何をこんな時に。狩人ってのは火事場泥棒かなんかなの?」

「あら、そんな言葉どこで覚えたの? 随分と勤勉家なのね」

「そういうのはいいから。それで、力を貸してくれるの? くれないの?」

「ええ、親友の頼みですもの。しっかりと貸すわよ。ええ、勿論貸すわよ」

「嫌味な人ね」

「あはは、お褒めいただき光栄ねリリー」


 アオイドスは、したり顔で云うと純白の外套を翻し、ひらりと下馬をした。

 そして「リリー、一緒に来て頂戴」と一瞥すると右手をかざし指を鳴らす。

 青い粒子がひらひらと右手に集まると、ふしくれた杖を手にし颯爽と正面玄関を開け放った。


「リリー。知っての通り魔力は一度出てしまえば大気に還るわ。でもね還れる量は、概ね決まっているの。今はその許容量を超えて空間が揺らいでいる状態。これ以上放置してしまうと——」


 神妙な面持ちで後ろを歩くリリーは黙ってそれにかぶりを振った。


「破裂して、あたり一帯が虚無に呑まれてしまう。そうなってしまったら聖霊達が黙ってはいない。だから、あれを封じ込めるわよ」

「わかったわ。それで私は何をすれば?」

「そうね、この館で一番強いお酒を用意しておいて」

「だから——」

「これは冗談ではなくてよ。それをそのまま使わないけれど、恐らくエステルは魔力にあてられてぐったりしているはず。その気付けに必要なの」

「な、なるほどね。わかったわ」


 リリーは怪訝な顔をしながらも、玄関ホールの大木を右に曲がり小走りで厨房へと向かった。アオイドスもその後を追いかけるように小走りで客間へと急いだ。






「わ、私ではこれを抑えられない——」


 エステルは愕然とし、思わずその場に座り込んでしまった。アッシュの放出する魔力にあてられると、次第に意識が朦朧とし始めたからだ。<魔力酔い>や<魔酔い>と呼ばれる症状だ。人それぞれに魔力の揺らぎは存在し、一つとして同じ波長のものは存在しない。

 魔力が魔力を増幅をすることはないが、打ち消したり抑え込むといった干渉は往々にしてある。打ち消され、そして揺さぶられると人は気力を消耗してしまい、そして酒に悪酔いをしてしまったような感覚に陥ってしまうのだ。

 今まさにエステルの前で渦巻く暴力的な魔力は、膨大な量と密度で彼女の気力を削り取り、そして頭の中を揺さぶった。


 渦の轟音の隙間からアッシュの呻き声が朦朧とした頭へ届く。

 直視すれば吐き気をもよおしてしまいそうな緑の渦の向こうに薄っすらとアッシュがうずくまる姿が見え隠れした。


「アッシュ……」


 もうどうにもならない。

 そう思ったエステルはなんとかアッシュをこちらに引き寄せようと——届くはずもない、右腕を渦の中に伸ばそうとした。


「エステル、だめよ」そう云ってエステルの腕を優しく止めたのはアオイドスだった。

 瞳孔が定まらない瞳で見上げると、ダフロイトで自分を<ネイティブ>と呼んだあの吟遊詩人が腕に手をかけたのだ。


「あ、あなたは——」

「ええ、私よ。いつぞやの借りを返しに来たわ」

「借り?」

「ええ、借りよ。私もね私なりに目的があるのだけれど、それでも、あなたに酷い云い方をしてしまったわ。あなたは、それを咎めないでいてくれた」

「いえ、あれは……それよりも」

「ええ、わかっているわ」

「今のあなたが、これに触れたら腕ごと持っていかれちゃう。私でも駄目かもね」

「では、どうすれば」

「ええ、アッシュにやってもらうことがあるわ」


 朦朧としたエステルは堪らずアオイドスに寄りかかってしまったが、後からやってきたリリーが「アオイドス、任せて」と彼女の身体を預かった。

 アオイドスは一言二言呟くとリリーが手にした酒瓶を触れ「それを呑ませてあげて」とリリーに伝えた。


「さて——思った以上ね。限度ってものを知らないのかしら」

 吟遊詩人はそうぼやきくと杖で床を突ついた。

 するとどうだろう。床に小さな円形の幾何学模様が浮かび上がると、さらにアオイドスは小さく言葉を紡ぎそれを転写をする。浮き上がるようにアオイドスが紡いだ言葉の一文字一文字が円を描きながら現れ、それは床にスッと貼り付いた。


 そしてアオイドスはもう一度杖で床を小突く。


「アッシュ聞こえる?」

「は、はい——あなたは……」

「私はアオイドス。あのね、今からあなたにやってもらいたいことがあるの」

「い、今はそれどころじゃ……」

「ええ、知っているわ。でもやらなければ駄目」

「この光が……」

「ええ、それはあなたが考え無しに吐き出した魔力の残滓。あなたがどうにかしなければならない、あなたが超えなければいけない壁よ。いい、よく聞いて。今からあなたの脚元へ術式を転写するわ」

「か、壁? て、転写?」

「そうよ。壁のことは忘れて、後で説明するわ。転写の意味はわかるわね?」

「は、はい……ああグゥゥ!」


 アッシュの呻き声が先ほどよりも強く響く。


「男の子でしょ、頑張りなさい。脚元に術式が輝いたら今から云う言葉を小さくでも構わないから口にしなさい。いい? その時あなたが必死に抑えている魔力の弁が、一時的に開いてしまうけれども、それに負けないで。言葉を云い終われば術式自体は完成する。手でも、足でもなんでも良いから<音>を立てて意識を切り替えて頂戴」

「そんな急に云われても……」

「行くわよ!」


 問答無用だった。

 恐らく時間が差し迫っていたのだと思われる。

 アオイドスが床を小突くと緑の渦の向こうで青い輝きが仄かに見え隠れした。それを確認した吟遊詩人は一言一言を丁寧にアッシュへ届け、それを復唱させる形で術式の完成を促した。

 時折、アッシュの呻き声が響いたが極めて短い言葉の羅列を云い終えると、どうだろう緑の渦の向こうでは青い輝きが増し、術式が完成したようだった。


「アッシュ、なんでも良いわ。音を!」

 声が響くとアッシュは朦朧としながらも無意識に片手で木の床を叩いていた。





 ——ガタンガタンバタン!


 渦に巻き上げられ宙へ浮いた家具や黒鋼の装備が音を立て床に散乱する。魔力の渦はすっかり部屋から消え去り、残されたのはバラバラになった家具や引き裂かれたカーテン、硝子が粉々に砕けた窓枠といった残骸だった。部屋のど真ん中では緑と青に刀身が薄っすらと輝く短剣を握りしめたアッシュが、ポツンと座り込んでいた。


「えええええ……あ、あれは?」リリーがエステルを抱きかかえ部屋の中を覗き込むと目を丸くした。

「そうね、聖霊の産物。アーティファクトというやつね」

 アオイドスは放心状態のアッシュへ「頑張ったわね」と声をかけるとアッシュの手に握られた狩猟短剣を手にした。


「え? どういうこと?」とリリー。

「後で鑑定に出さなければハッキリとしたことは分からないのだけれども、アッシュが顕現しようとした術をこの短剣に封じ込めたってことになるわね。あの馬鹿みたいに大量の魔力と一緒に」

「魔術でですか?」

 リリーに身体を預けたエステルが弱々しくアオイドスへ訊ねた。

「そうね。魔力は揺らいで身体の内から外に出るでしょ? そして、一回外に出たものを制御するのは魔術の領分。本来、魔力は身体に戻すことは出来ないのだけれども、こうやって魔術でその事象を改変してあげれば、他の何かに定着することが出来る。でもね、これは——」

「でもそれは——学院の秘術では」エステルは目を丸くしアオイドスの言葉を遮った。


「あらエステル、博識ね。秘術というよりも禁忌目録に名を連ねる術ね。これを応用しているのは、そう、それ。魔力の奔流。破壊するだけの目的で開発された術式。これの根源を知る魔術師は数少ないわね。ダフロイトでネリウスがぶっ放したのもそれ。だから<光の学徒>のお歴々は大騒ぎらしいわよ。学院に名を連ねていない誰かが、あんなものをぶっ放して都市を半壊させたのだから」


「あ、あのアオイドスさん、ありがとうございました」

 ようやく放心状態から脱したアッシュはアオイドスにかぶりを下げ、辛うじて原型を止めた木製の椅子に腰を降ろした。

「いいのよアッシュ・グラント。でも次からは魔導でも魔術でも試すなら誰かと一緒にやって頂戴。剣技についてもそう。今のあなたは不安定な状態なのだから。いいわね。一人ではダメよ」


 アオイドスはアッシュを一瞥すると、一度目を瞑り再びアッシュを見据えた。

 どこか寂しそうなその所作にリリーとエステルも気が付くと、二人は顔を見合わせたが何も口にはしなかった。

 アッシュはその忠告に「わかりました」と短く答えると、リリーに差し出された酒瓶を受け取り一口あおった。それに何が注がれているのか知らないアッシュは勢いよく喉に流し込んだものだから、気付けの酒の強さに咳き込み「ああああ、これなんですか?」涙を流す羽目となった。


 一同はあまりにも酷い咳き込みに笑い出し、リリーは「ごめんなさいね、気付の酒だと云えばよかったね」と腹を抱え大笑いする。


「さて、これで最悪の事態は回避できた訳だけれども、アッシュはしばらく魔導の訓練をしなければいけないわね。しょっちゅうこんなことになると、短剣が何本あっても足りないわ」


 アオイドスは、一度もアッシュに目を合わせることなくそう云い颯爽と部屋を後にした。


(これじゃ魔導師アッシュ・グラントね。それよりも——)


 廊下を歩くアオイドスは何かに思いを馳せ、そして小さく溜息を着くと後ろを歩く三人に「少しお時間頂いていいかしら?」と告げて大広間へと向かった。

 外に避難をしていた館の面々は、揺れが収まると同時に館に戻っていた。

 様子を伺いに来たネリスは部屋から笑い声が漏れてきたのを耳にすると、慌てて踵を返し玄関ホールへ戻って叫んだのだ。


「親方が戻ってくるぞ! 昼飯の用意をしないと、どやされるぞ!」と。

 <大木様の館>はどうやら、こういった騒動には馴れているようだ。





 

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